#5-5「繋いだ手、ひとにぎりの勇気」
□Side Hearty□
昔から、どんくさい自分が嫌だった。いつもどこか抜けていて、誰かに支えてもらわないとやっていけない自分が嫌だった。
自分が嫌で、自分と向き合いたくなかった。だから周りの人のことばっかり気にして、周りの人を助けて自分を満たしていた。そんな、どこまでもずるい私が嫌いだった。
だけど、そんな私でも好きだと言ってくれる人がいて。そのずるさを"優しさ"だと言ってくれる人がいて。
だから、私はみんなが好きだと言ってくれる私でありたい。だから、逃げない。
「ユイナのやつ、無事だと良いけど」
森へ向けて走りながらフィオさんが言う。ちょっと心配だけど、でもユイナちゃんならきっと大丈夫。イノシシだって倒せるんだから。
屋敷を出て、中央公園を抜けて、商店街を進んでいく。さらに住宅街を横切って、街はずれの田畑が見えてきた。
「……ハーティ、あれ!」
そこにいた彼女の姿は、予想だにしないものだった。
「ユイナちゃん……!」
倒壊した木の小屋。その中に倒れ込んだ少女を見つけ、私たちは駆け寄った。
「や、やっほー……えへへ」
「大丈夫ですか!? ごめんなさい、遅くなって」
困った顔をしながら手を振るユイナちゃん。大きなケガは無いみたいだけど、ところどころ擦りむいていて痛そう。
「良かったー。元気そうだね」
「ユイナちゃんも無事で良かったです。今、手当てしますから」
「んー。そんな時間ないかも」
ユイナちゃんがそう言って指差した方を、私たちも見つめた。
何の変哲もない、例の森の入り口。そう思った。
鍵を薙ぎ倒しながら大地を踏み締める、その足音が聞こえてくるまでは。その黒い巨影が、森の奥に見えてくるまでは。
「出来るだけ食い止めたんだけどねー。ちょっと勝てそうにないや、アイツ」
「そんな……」
あと100メートルも無い。
いや、それよりも。ユイナちゃんでも歯が立たないなら、どうしたら……。
「ユイナ。お疲れのとこ悪いけど、一つ策があるから聞いて」
「マジ!? なんか思いついたの!?」
そうだ! フィオさん、さっき黒亀を倒せるかもしれないって!
「ただ、これをやるとアンタがどうなるか分からない。だから、アンタが嫌なら別の方法を考えるわ」
フィオさんが、立ち上がったユイナちゃんの頭に手を乗せてそう言った。
「まどろっこしいな。早く教えてよ!」
「フィオさん、私たちはどうしたら?」
「"エレメントワーク"。あれを、ユイナに使おうと思う」
「ユイナちゃんに?」
「ええ。だけど、あたしはあの神授を人に向けて使ったことないの。取り返しのつかないことになるかもしれないから」
物質をロープや板、いろいろな形に作り変える神授。確かに、ひとに使ったら体がどうなってしまうか分からない。
「あたし自身、"エレメントワーク"の正確な能力は分かってないの。だけど、もしあの神授が『形を変えることで物体のポテンシャルを引き出す』みたいな能力なんだとしたら……ユイナの竜の力を、今より引き出せるかも」
「けど、もしかしたら最悪死ぬのかー……うーむ」
「そんなのダメです! 命の危険があるなんて……」
街を守れたって、ユイナちゃんが死んでしまったら何の意味も無い。
「そうよね。やっぱり別の──」
「ううん。僕はやりたい」
「ユイナちゃん、でも!」
「やるよ。どうせ誰かが戦わなきゃならないんだから、強い奴が頑張らなきゃ。物が壊されるのも、人が殺されるのももうごめんだよ」
もう何も無くしたくないんだ。ユイナちゃんが、寂しそうな目をしてそう言った。
「でも流石にちょっとおっかないからさー……手、繋いでて欲しいんだ」
そうして、ユイナちゃんは私に手を差し伸べた。この手を私が握ったら、この行方の分からない作戦が始まるんだ。
ユイナちゃんにだって、死んでほしくない。私が弱いばっかりに、ユイナちゃんにも無理をさせてしまうのが心苦しい。何も出来ない自分が憎くなる。
だけど、ユイナちゃんがこれを望むのなら。
「…………何があっても、絶対一緒です」
「うん。ありがと」
握りしめたその手は、少しも震えていなかった。強くて優しい小さな手。どうか、無事で全て終わらせて。
「時間も無いみたいだし、いくわよ。ユイナ、覚悟できた?」
「おっそ。もうとっくに出来てるから」
「っ……アンタはこんな時まで。分かった」
右手を私が、左手をフィオさんが握る。3人が繋がった。
一瞬の静寂の中、フィオさんの呼吸を聞いて。
「………………"エレメントワーク"ッ!!」
そして、その声を聞いた。
ばちっ。ぱあっ。静電気のような震えとほのかな光が、フィオさんとユイナちゃんの握り合った手の中に見えた。そして。
「ッ……来た……! ユイナ、大丈夫!?」
「うんっ……平、きっ……!?」
突如、ユイナちゃんが顔をしかめた。
「っ、うああああああああああっ……!」
「ユイナちゃん!!」
紫電が、不気味な光がユイナちゃんを包んだ。だけどそれは、抱擁と言うよりも責め苦で。
「あああああっ……はぁ、はぁ……っ、うわああああああああああああっ!!!」
「ユイナ!!」
「あっ…………」
「そんな……ユイナちゃん!!」
叫びを途絶えさせて倒れるユイナちゃんの体を、二人で同時に受け止めた。
「ユイナちゃん! 返事をして!!」
「…………大丈夫。鼓動がちょっと速いけど、心拍も呼吸も安定してる。でも、これは一体……」
ユイナちゃんの胸に耳を当てて、フィオさんがそう言った。
確かに、気絶していてもその表情は苦しげではなかった。だけど、今彼女の体を包んでいるこの紫の光は一体。
そんな私たちの疑念は、巨大な足音にかき消された。
「やばっ……ハーティ、あそこ!」
森の方に2人で目を向ける。見たくなかった暗くて巨大な影。それがもう、この小屋のすぐそばまで迫ってきていた。
「……ヴォォォォォォォォォォ」
木々を薙ぎ倒して雄叫びを上げる。黒亀が、ついに私の前にその全貌を表した。
巨大な一つ目が、こちらを向いた。真っ黒な体で一際目立つ瞳。私たちをゴミだとしか思っていないような視線。心を通わせることなんて不可能であろう、あまりにも感情の無い無機的な眼差し。
何の力も知恵もない私にも分かる。この生き物は世界で一番危険で、世界で一番恐ろしい。
「ユイナ! 起きて、ユイナ! くそっ……ハーティ、ユイナを見てて! あたし、ちょっと時間を──」
「……っ、うあっ…………!」
「ユイナちゃん!?」
突然、ユイナちゃんが再び苦しそうな声を上げた。フィオさんが立ちあがろうとした、その瞬間だった。
「フィオさん、手を離さないで! 多分ですが、"エレメントワーク"を解いたらユイナちゃんが……!」
「ユイナ、ごめんっ。そうみたいね……でも、アイツも止めないと……」
「私が時間を稼ぎます。ユイナちゃんが起きてくれるまで」
フィオさんが動けないのなら、選択肢はそれしかない。問題は、私があの怪物を止められるビジョンなんて、私自身にも全く見えてこないことだ。
「ハーティ! 策はあるの?」
「ありません。でも、それでも何とかしないと!」
ハーティ、待ってと、何度も呼ぶ声が聞こえる。だけど私は振り返らず、森の方へ走った。今引き返したら、私はもう2度と勇気を出して頑張ることが出来ない気がしたから。
本当は怖くて仕方ない。私は弱い。あの足で踏み潰されれば、きっとそれだけで死ぬ。あの怪物の気分次第で、私は簡単に死ぬ。それが怖い。だけど、私じゃない誰かが死ぬのはもっと怖い。
だから守る。私は、変わる。
カバンを置いてチャックを開く。急ごしらえで持ってきた道具を取り出して、震える手で握る。策は無い。だから今から考える。
「…………来い!」
正面から迫る黒亀の一つ目を、私はまっすぐに見つめ返した。




