#5-4「本当の願いは」
☆Side Yuina☆
ひとは生きてる限り、何度も何度も酷い目に遭う。大切なものを全部奪われて、未来を奪われる。だから家族を殺されたあの日から、僕は何も信じなくなった。世界はそういうものだって、希望を持つことを諦めて、誰かを憎むことしかしなくなった。
だけど、それじゃダメだって言う女の子がいた。悲しいまま終わる物語なんてダメだって。僕が人間を憎んだままでいるなんてダメだって。自分に何の得も無いのに、ただ救いたいってだけで僕を救った人がいた。
悲劇にも不可能にも理不尽にも立ち向かえるって、僕は何度だって幸せになれるって、教えてもらった。
「いたいた。んーと……今から逃げ帰るなら、許してあげても良いけど?」
だから、今度は僕が幸せにするんだ。
大好きな人間を。大好きなあの人を。
「………………」
「おーい、無視? 正直帰って欲しかったんだけど」
やれやれ、モノローグしながら待ってたけどダメっぽい。森の真ん中に歪にそびえ立つ巨大な亀は、僕に気付いてすらいないかのようにゆっくりと歩みを進める。大木も岩も比較にならない城のような巨体を見てるだけで、ちょっとげんなりしてくる。
衛兵の人たちは、足で軽く蹴られてやられたらしい。つまり、ほとんど情報ゼロ。ま、必要無いけど。
「じゃ……ぶっ飛ばしますかッ!」
一呼吸して、強く地面を蹴る。
飛び上がって空を見上げる。銀色の曇り空の隙間から、希望に似た白い光が差し始めていた。だけど僕は体を翻して、その下の真っ黒な絶望に目を向けた。黒亀というだけあって、背中は甲羅のように丸くてゴツゴツしている。狙うなら──
「頭ッ!」
飛行はもうお手のものだ。急降下して、視覚から丸い頭に迫る。アイツに負けないくらい真っ黒に染まった拳を握りしめて、後ろに引いた。
「『竜牙』ああああああっ!!」
落下の勢いも、拳に込めた竜の力も、破壊衝動も全部込めて、その一撃を叩き込んだ。
殴り込んだ瞬間に感じたのは、予想外に鈍くて硬い触覚。
「硬ったあああああ!?」
っ…………は!? ぜんっぜん効いてないし……こっちの方がむしろ痛いし!?
「…………!」
「やべっ」
こっち見た……一つ目!? 一つ目で、下にでかい口付いてる! 気持ち悪っ!
「ヴゥゥゥゥゥ……」
「ひゃっ……風がっ」
やばっ、口の中に、吸い込まれてく……やっ、待てよ? 口の中なら!
「外より柔らかいよねッ!」
抵抗を止めて翼を広げ、逆に風に乗って黒亀の口へ接近した。
あと10メートル。5メートル。1メートル。叩き込める。
「……あれ?」
風、止まっ──
「ヴォォォォォォォォォォォォン!!!」
「うわあああああっ!?」
しまった……吸い込んだなら、今度は吐き出すに決まってる!
逆風に体が吹き飛ばされる。風、強っ……バランスなんて取れたもんじゃない。飛べてない。風船が飛んでくように、ただ風に押し流されてるだけだ。
「ぐえっ」
痛った……なんか刺さって……違う、木だ。木にぶつかった。早く、立て。あいつは……来てる!
「ヴォォォン!!」
「うっ……くそっ!」
また風が……とりあえず射線から出ないと!
僕は黒亀の真上まで飛び上がった。どうしたもんかな……あの六角模様の甲羅は、頭より硬いんだろうし。踏み潰されたらお終いだから、手足も近寄りにくいし。なんか甲羅が光り出してるし。
「ほえ?」
光り出してる?
……熱ッ!?
「ヴゥゥゥゥゥゥ!!」
「ちょちょちょ……うああああっ!?」
甲羅の六角模様に沿った、細長い光線。瞬きの合間にそれが飛んできて、気がついたら僕の腕に当たっていた。熱と痛みでようやくそれに気づいて、急いで急旋回して射線から逃れる。けれど光線は器用に向きを変えて、執拗に僕を追ってきた。
「なんだよあれ……あんなのもう兵器じゃん!」
無理だこれ。生き物同士の力比べってレベルじゃない。アイツは、周りの全てを壊すことしか考えてない。まるで、そのために生まれてきたみたいな体だ。
木々に身を隠しながら、僕は急いで森の奥へ逃げ込んだ。一旦引いて──
「……あっ」
そして、逃げ場はもう無いと気付いた。小さな家と野菜が実った畑。賑わいの跡を残した商店街。ジアンソの街が、もう目前まで迫っていた。
「………………あーー、もうっ!!」
分かったよ。やるしかないんだろ。
勝てば良いんだろ。
*Side Fio*
曇天は少しずつ晴れ始めていた。あたしは屋敷の外へ出て、草葉の陰までくまなくハーティを探して、そうして見つけた。
「いたいた」
屋敷の横の小さな小屋──倉庫みたいでホコリっぽいにおいがする──そこで、彼女は膝を抱えていた。
「大丈夫?」
「……フィオさん」
彼女が顔を上げた。随分不安そうな表情。初めて会った時も、こんな顔してたっけ。
「自信、無くしちゃった?」
ハーティの横で小屋の壁にもたれて、あたしはそう聞いた。
「……自信なんて、元々無かったんです」
顔を伏せたまま、彼女はそう言った。
「ヒールを……神授を授かれなかったあの日から、ほんとは自信なんてありませんでした。だから何者かになりたくて、落ちこぼれじゃなくなりたくて……だから、善意のフリをしてみんなを助けて。みんなに認めてもらおうと、必死になってただけなんです」
さっきと同じことを、ボソボソとそう語る。随分頑固なひがみだ。
「本当にそれだけ?」
あたしは座り込んで、涙を溜めた彼女の目と視線を合わせた。
「出会った日、足ケガしたあたしを抱えて歩いてくれたのも? マルトンの森で子供を助けたのも? ユイナと話して分かり合おうとしたのも、全部自分のため?」
「………………」
「"助けたい"って、ちゃんと思ってたんでしょ? みんなのために頑張って、その結果認められたから嬉しかったって、それだけじゃない?」
「……でも……その"助けたい"って気持ちも……その裏に"認めてほしい"って気持ちがあったような気がして……自分のことが、自分でも信じられなくて……」
「じゃ、あたしが信じてあげる」
彼女の白い手を握った。冷たいけれど、その奥に確かな温もりを感じる。震えているけど、細くて綺麗な手。
「あたしはあの日、ハーティに助けてもらえて嬉しかった。友達になれて嬉しかった。それだけは絶対変わらない事実なの。だからハーティが自分を信じられないなら、あたしが信じてあげる」
「フィオ……さん……」
「ユイナも言ってたわよ。ハーティがいたから、僕は笑えてるんだって」
「でも……私、知っちゃいました。自分は何も出来ないんだって……フィオさんみたいに人を引っ張れないし、ユイナちゃんみたいに強くもないって……」
「まー、そうね。そそっかしくておっちょこちょい。ちょっと世間知らずだし、あんまり体力無いわね」
いや列挙してみると弱点だらけね。ちょっと言いすぎたかも。
「でも、誰よりも優しくて勇気がある。その勇気に救われた人がここにいる。これからもきっと、たくさんの人を救っていける」
「でも……それだけじゃ、何も……」
「だからあたしたちがいるんでしょ? みんなで助け合うために」
「だけど……」
あーもう! でもでもってうるさい!
もうめんどくさいから、思いっきり抱きしめてやることにした。恥ずかしいけど言ってやる。
「何にも出来なくてもいいの! あたしもユイナも、ハーティが大好き! 誰かより出来ないとか、落ちこぼれとかどうでもいい! 他の誰かじゃなくて、優しいアンタが大好きなの!」
……アンタもそうでしょ? ユイナ。
「…………私……いても、良いんですか……?」
震える体。伝わる体温。すすり泣きながら、彼女が口を開いてそう言った。震えて呂律が回ってなくて、ボロボロで、でもあたしの好きな声だ。
「ええ。だから教えて。ハーティは今どうしたい?」
何だって付き合ってあげる。友達なんだから。
「…………助けたい。みんなを助けたい! このまま全部壊されてみんなが泣くなんて、絶対嫌! あんなのに……あんな怪物に勝てるわけないのかもしれないけど……でも、絶対に嫌!」
嫌だ嫌だって、子供みたいな願い事。だけど、あたしはそんな風に願う彼女が好きだった。
「うん、あたしも。じゃあ、ユイナを助けにいかなきゃね」
「ユイナ、ちゃん……?」
「今、一人で黒亀を喰い止めてるの。勝てるって言ってたけど、正直流石に厳しいと思う」
「そんな……!」
「落ち着いて。アイツ一人じゃ勝てなさそうだけど……でも、あたしがいれば勝てるかもしれない。不確かな賭けだけど、一つ策があるの」
あたしの神授で。その、まだ試したことのない使い方で、もしかしたら。
「それに、ハーティに応援されたら、きっとすごく張り切るわよ。アイツ」
だから、ほら。そう言って立ち上がり、あたしはハーティの手を引いた。
「勝つわよ。お母さんに見せつけてやらなきゃ」
「……はい!」
斜光が照らす彼女の顔が、青い瞳が、ようやく笑顔に染まった。
そうだ。涙はもう良い。
黒亀を倒して、もう一度3人で笑うんだ。
 




