#5-2「現実」
故郷が、ジアンソが滅びる。そう聞いて、姉様について行かないわけにはいかなかった。
「……なるほどな。それで、ずっと3人で旅をしてたのか」
私たちのこれまでを話し合えると、姉様はフィオさんたちにそう言った。
馬車が石ころを蹴り、砂埃を上げながら進む。今は知っている丘を越えれば、ジアンソの街が見えてくるはず。徒歩では険しくて通れなかった最短ルートを通っているのと、乗り物のおかげで、行きよりもずっとずっと速い帰路だ。
「ハーティを旅に誘ったのはあたし。その……勝手に連れ出したのは、良くなかったと思ってます。この子のことは許してあげて」
「僕も、ハーティがいたから辛いことを乗り越えられたんだ。勘弁してあげてよ」
「別にあたしは気にしてないよ。この子の面倒見てくれてありがとな」
姉様が、いつも通りのおおらかな笑顔を見せた。
「姉様……ジアンソが滅びるって」
私には、笑顔を返す余裕なんてなかった。
ジアンソは豊かな街だ。住んでいる人たちもみんな心優しくて、犯罪も少ない。よそとの諍いもほとんど無い。滅ぼされるいわれなんて無いはずなのに。
「ああ。もうすぐ見えてくるはずだ」
姉様が前の方を指差した。馬車が丘を登り切って、指し示す先の景色が露わになる。この先には森が広がっていて、その向こうに大きなジアンソの街がある。
そのはずだった。
「…………あれは……!?」
森を闊歩する、暗黒の渦。
「でっか!!」
「何よあれ……災害!? 冗談でしょ……!?」
2人も目を見開いて、体が馬車から落ちそうなほど身を乗り出して"それ"を見つめていた。
一緒になって数秒間見つめて、気が付いた。
「……歩いてる」
渦巻きじゃない。黒くて巨大な、生き物。真っ黒で四角い胴に、頭と四つ足が付いている。その這いつくばった四本足が前へ進むたびに、森の巨木が大波に飲まれるように倒れていく。
「実は昨日、あたしも別件でたまたまウォーラに行っててな。その時、ジアンソがやばいって連絡が家のメイドから届いた。それと同じ頃に"ウォーラの各地で人助けをしてた、白髪の女の子"の話も住民から聞いてて、もしかしてって思って追いかけて来たんだ」
そしてゆっくり、だけど着実に進んでいく"それ"の向かう先に、大きな街があった。
「ジアンソに!?」
「ああ、向かってるみたいだ。"黒亀"って仮称されてる。今実際に見て確信したよ……あれだけ強い奴が街まで辿り着いたら、間違いなく全てが滅ぼされる」
「黒、亀……」
夜より深い闇が、ふるさとを飲み込もうとしていた。
「よし……なんとかバレずに済んだか」
あれから十数分、黒亀に見つからないよう外を周りながら、ジアンソの街の門へ辿り着いた。運転手さんにお辞儀をしつつ馬車を降りて、大きく開いた門の先を、半月ぶりの故郷を見据える。
静かだ。街に入ってすぐの商店街はいつも賑わっていたのに、今は誰もいない。放置された果物もパンも、色を失って美味しくなさそうに見えた。
歩いていくうちに、いろいろな景色が見えてきた。噴水の水は無機質で冷たそう。道の左右に並ぶ家も、温かみが無くて廃墟みたい。思い出の詰まった街は、今は悲しくなるほど活気のないつまらない色をしていた。
「姉様、街の人たちは?」
「ここにみんな避難したよ」
姉様が指差した方を見上げる。
白い屋敷。私たちの家だ。確かに、ここなら何百人もの人を入れてあげられる。
「え……あれ!? ハーティってもしかしてお嬢様!?」
「あー、言ってなかったっけ。結構良い家の子みたいよ、この子」
「そっかー。だからおっぱい大きいんだ」
「関係ないでしょそれ」
後ろからフィオさんと、驚いたユイナちゃんの声がする。恥ずかしいこと言わないで……。
「行こう。母様も中にいる。フィオちゃんたちも遠慮しないで入ってくれ」
「……母様……」
忘れかけていた出来事が、ふっと鮮明に蘇った。
そうだ。神授を授かれなくて、母様に否定されて、何も言い返せずに家を出て行って……そうして、私の旅は始まったんだ。
「ハーティ?」
「……ああ。あんた、お母さんと」
フィオさんは、私の話を覚えてたみたい。母様とは、もっと気持ちの整理が付くまでは顔を合わせたくなかった。
でも。
「大丈夫です。会いたくないなんて、言ってる場合じゃないですから」
大丈夫。旅をして、色々なものを見て、きっと私は変われたから。あの日々が無意味なわけがないから。きっと、母様ともちゃんと向き合える。
石階段を上がって、姉様がゆっくりと屋敷の戸を開けた。ぎぎいと音がして、暗い室内に外の光が差していく。だけど外はいつのまにか曇っていて、その光もかすかなものだった。
左右に部屋が連なる薄暗い屋敷。その右奥に、ほのかにエメラルド色の光が見えた。
「母様……もう始めてるのか」
呟いて、姉様が急に駆け出した。そうだ、あの光はお母様の……!
「お母様!」
姉様に追いついて、2人で部屋のドアを開ける。確かここは大広間だ。
「ちょっと、何よ急に……あっ」
「わっ……何だよこれ」
一秒遅れてやってきたフィオさんたちが、声を漏らした。
鉄臭いにおいが、まず漂ってきた。そして赤色の点在する大広間を見渡して、そこで何が起きているのか理解した。
「母様!」
「…………メルリア、戻ってきたのね」
その部屋の中心にいたお母様の元へ、姉様が駆けつける。エメラルドの光は、彼女の手から放たれていた。
「遅れてすみません。手伝います」
「助かるわ」
姉様が駆けつけて、母様の隣に座り込む。光はより大きくなった。
「…………う、ぅ」
その呻き声に引っ張られるように、無意識に首がそっちを向いた。家具の片付けられた大広間に並んで寝転がる、十数人の大人たち。どの人も体から血を流していた。決して浅くない傷口から、命のかけらをどくどくとこぼしていた。
「ああ、俺、の……俺の、足、ちゃんと……ある、かな……死ぬ、のか……?」
「大丈夫です、すぐに治療しますからね」
「あぁ…………」
あれは……料理担当のメイドさん。部屋の奥で、足からひどく出血した人に包帯を巻いている。ほとんど1対1で、他のメイドさんもみんな看病に当たっていた。
だけど、どの人もみんな声に余裕がない。焦っている。胸を焼きつぶすような重苦しい空気が、部屋を埋め尽くしている。
「ハーティ、大丈夫?」
「え?」
ユイナちゃんの呼びかけでようやく、自分が無意識に座り込んでいたことに気がついた。でも立ち上がれない。骨を丸ごと全部抜き取られたみたいに、体を支えられない。
「ほらっ」
「ご、ごめんなさい」
「…………ハーティ?」
フィオさんに支えてもらって立ち上がった途端、また私の名が呼ばれた。今度はユイナちゃんではなかった。
「どうして、あなたが……メルリアが連れてきたの?」
母様の落ち着いていて低い声だった。姉様は問いかけに頷きで返し、口を開く。
「ええ、もちろん。ようやく見つけました」
「お母様っ」
私はすぐさま、お母様の方へ駆けつけた。立ち話をしている場合ではないと、見て分かっていたから。
2人が手を伸ばす先には、腹から血を流した男の人がいた。たくさんの切り傷。内臓まで傷がついているのかもしれない。普通の応急処置ではきっと間に合わない。
「……その……勝手に家を出て、ごめんなさい。わ、私も手伝います!」
「無理よ。あなたは下がってなさい」
「でも!」
「神授の儀式から逃げ出した子に、人の命なんて任せられないわ」
「母様!」
お母様の言葉に、姉様は何か言い返そうとした。だけど、反論なんてできやしない。私があの日、あの場から逃げたのは事実だ。
だけど、逃げ出して、何もしてこなかったわけじゃない。それだって事実だ。
「私は……今までずっと、旅をしていました。旅の中で色々な人に会って、人の温かさも尊さも知りました。人が生きているということがどれだけ素晴らしいことか、幸せなことか知りました。だから、ここにいる人たちを見捨てることなんて出来ません。だから!」
「母様。ハーティはヒールが使えない。だから"心のヒーラー"を目指して頑張っているそうです。顔つきも以前と変わりました。だからこの子の努力を──」
「………………その経験は、今役に立つの?」
「え……?」
「旅をして、それでこの神授が使えるようになったの?」
"この神授"。母様と姉様が手から放つ、緑のあたたかな光。
本物の"ヒール"の神授。私が、どうやっても使えない力。
使えるわけがない、力だ。
「傷口の時間を巻き戻して治す私の神授。心拍や発汗を抑えて、心身のコンディションを落ち着けるメルリアの神授。あなたの手でそれが出来る? それとも彼らをすぐに治してあげられる医学知識がある? 無いでしょう……余計なお世話よ。どうか邪魔をしないで、関わらなくていいの」
邪魔。そう言ったのかな。
うん。言った。
「ちょっと……そんな言い方無いでしょ!?」
フィオさんの声がした。
「ハーティのお友達かしら? ごめんなさい、この術は集中力が要るの。その子と外に出ていていただけるかしら」
「何よ……邪魔者扱いして! 娘におかえりの一言も無いの!? あんたは……」
フィオさん、やっぱり優しいな。
「フィオ、やめなよっ」
ユイナちゃんの声がした。
「良いんです、フィオさん」
「でも!」
「大丈夫です」
大丈夫。だって、全部。
「全部、私のわがままだったんですから」
そう言って、心配させたくないから、微笑んだ。
何も無い私には、それしか出来ないから。
そうだ。
"心のヒーラー"。
そんなの、ヒールが使えない弱い私の、わがままな悪あがきだったんだね。




