3-7「ありがと!」
ハーティは、目に涙を浮かべながら振り返った。
「……なんだよ……」
なんで泣いてるのか、僕には分からなかった。だけどその涙は自分の傷口に染みてくるみたいで、見ているのが嫌だった。
「……ユイナちゃんが、全部1人で抱え込んじゃうから」
「え……」
「生き物ってね、みんなで支え合わなきゃ頑張れないんです。私はフィオさんに支えてもらえてるから、こうして元気でいられてます。でも、ユイナちゃんは……ずっと一人で戦ってるみたいで」
ハーティの声色は、なんだか辛そうで悲しげで__それでいて、何か願ってるようにも聞こえたんだ。
「支えてあげようとしても、手が届かないんです。本当は敵なんていないのに、いつも何かと戦ってて……苦しいんです」
「……そんなの……関係ないだろ、お前には……」
「関係あります。目の前で苦しんでる人がいるのに、関係ないなんて……私は絶対、言いたくないです。だから、助けたいし……私は、ユイナちゃんの力になりたいです。それが__私が目指してる、"心のヒーラー"です」
僕の手の上に、あったかいものが触れた気がした。
僕は黙って、それをぼーっと見ていた。ぼーっと見ていたそれは、ハーティの手だった。振り払いたいはずなのに、何故かそんな気になれない。この数年、ずっと繰り返してきた"拒否"の代わりに、それとは別の"何か"が見えてきた気がして、この手を振り払うとそれを失っちゃうような気がして__
「……良かった。手だけど、ちゃんと触らせてくれましたね」
「……言わないで。なんか……黙って、ただ感じてたいから」
今までずっと捨ててきたものを、ようやく拾えた気がした。捨てたくなかった。だから、手を繋いだ。20センチもないこの手から、何か始められる気がしたから。
そっか……今なら分かる。お父さんとお母さんが願ってことが。
『私たちの願いを叶えて』
二人が願ってたのは、人間を恨むことなんかじゃなくて。
「……ハーティ」
「何ですか?」
今手のひらにある、これだったんだ。
「あったかいね、人って」
崖の向こう。あの日の鉛の空が嘘みたいに、綺麗な青空が広がっていた。
□Side Hearty□
「むっしゃむっしゃ……んー! うっま!! これうっまー!!!」
「……えーと、ハーティさん?」
「ふぁい?」
フィアさんの呼びかけに、私は口に食べ物を入れたまま答えた。ちなみに、お昼ごはんの最中だ。
「あのさ……そこで暴飲暴食して騒いでる紫髪の子は誰なわけ?」
「ユイナちゃんに決まってるじゃないですか〜」
「嘘つけ! 昨日まであんなにピリピリしてたあの子が、急にこんな底なしに明るくなるわけないじゃない!」
「更生したんです! ねー、ユイナちゃん!」
「ねー! それが分かんないなんて、やっぱりペタンヌ女子だなフィオ!」
「胸関係ないでしょうが!!」
フィオさんがユイナちゃんをグーで殴った。ユイナちゃんは苦しそうな声を上げる。ペタンヌってなんだろう……分からないけど、なぜかフィオさんは自分の胸を撫で下ろしている。
「酷い! 現実を認めず暴力なんて、そんなことしてたら胸なくなるよ! もう無いけど……ぎゃぁう!」
「やっぱ変わりすぎでしょ、昨日はこんな馬鹿なこと言わなかったし……」
「あぁ、痛そう……」
二発目のグーを打ちながら、フィオさんは不思議そうに言う。
「もーやだ!フィオ怖っわ! わー!!」
「いやあんたが悪いでしょ……行っちゃったし」
完食するや否や、ユイナちゃんはすぐさま戸の向こうへかけて行った。彼女が律儀に戸を閉めた後、一瞬の静寂が訪れる。さっきまで賑やかだったのが一転したせいか、ほんの少しの寂しさを感じた。
「マジでどうなってんのよあの子……ホントに随分変わったわね」
「うーん……変わってないのかもしれませんよ?」
「どういうこと?」
フィオさんが不思議そうに聞く。
「たぶん、変わったんじゃなくて……そう、"戻った"んだと思います。きっとあれが、本来のユイナちゃんなんです。今までずっと胸の奥にしまってた自分を、やっとまた出せるようになって……私も最初はびっくりしましたけど、ユイナちゃんがああしたいなら、それでいいと思います」
「そっ。じゃあ今日も成功ね。えーっと、"心のヒーラー"の仕事だから……"心のヒール"?」
「"心療"じゃないですか? 心を癒す、って意味で」
あー、心療……と、フィオさんはその言葉を繰り返した。そして、しっくりきた、と言いたげな感じに頷く。
「……にしても、あたし今回なんにもしてないわね。あんたを追いかけてユイナの家行ったら、二人ともどっか行ってるんだもん」
「えへへ……ごめんなさい。置いてっちゃって」
「いーのいーの。あたしはあたしのやる事を__」
言いかけて、フィオさんはそのまま固まった。
「……フィオさん? どうし__」
「__やっば、バイトすっぽかしてる!!」
「ええええ!?」
☆Side Yuina☆
玄関前の廊下から、人がドタドタ走る音がする。なんだかすごく慌てた様子だ。
「__あっ、お昼ご飯、ご馳走さまでした! お姉さん!」
「ご馳走さまー!」
「はーい」
二人の女の子は、ドアを開ける寸前、姉ちゃんがいる厨房に顔を出して言った。そしてまた、野良猫みたいなスピードで走り去った。
「忙しない子たちねぇ……さっき食べ終えたばっかりでしょうに」
「ねー……」
窓の外を眺めながら、僕は適当に返事した。頭の中で違う事を考えていたから。
それからちょっとの沈黙のあと、姉ちゃんが口を開いた。
「……行くんでしょ? 一緒に」
「え?」
もしかして__
「気付いた?」
「そりゃあね。あんた帰ってきた時、随分やかましくなってたけど……なんだか、ワクワクしてるみたいな目をしてた」
皿を洗いながら、姉ちゃんは静かに話した。
「でも、ひとつだけ約束」
「なに?」
「__ちゃんと言いなさい。"ありがとう"って」
お皿に目を向けていた姉ちゃんが、僕を見て言った。
僕の背中には、飛べない翼がある。あの人との出会いは、僕を飛べるようにしてくれるわけじゃなかった。
ただ__"心のヒーラー"なんて名乗ってたあの人は、僕が引きずってきた足枷を砕いてくれた。
だから__僕は、もっと歩いて、生きて、いつか枷の無いこの体で、飛べるようになりたい。あの人の夢を世界中に運べる、"翼"になりたい。
だから、僕は__
「ユイナちゃん……?」
「んーと、さ……僕も一緒に……いや、その前に__」
記念すべき第一歩として、とりあえず、にっこり笑ってみた。
「__ありがと!」




