1-1「無能力者ハーティ・コロコの家出」
カーテンの隙間から射す光は、神様からの私への祝福。さえずる鳥の声も、私へのお祝いに聴こえる。嬉しい反面、これだけ背中を押されると緊張も高まってしまう。
私は真っ白な衣を体に着込み、準備をようやく終えた。神からの贈り物を授かるこの日は、清らかで質素な衣服であの式に臨まなければならない。
時計が10時の十分前を指している。私は期待を胸に、部屋のドアをゆっくりと開けた。
「……おお。おはよう、ハーティ」
廊下に出てすぐに出会ったのは、私の姉様だった。そう言えば何十分か前までずっと寝過ごしていたっけ、姉様。服装はきちんとしているけど、寝癖が一つそのままにされている。
「いよいよ神授の日か……いつの間にか15歳なんだな、ハーティも」
話しながら、私たちは神授の部屋へと歩いて行く。
「はい……」
胸の鼓動は中々おさまってくれない。自身の神授の日を大成功させた姉様と一緒に歩くと、やっぱり自分はダメなんじゃないか……そんな気がしてしまう。
「そう緊張するなよ。だいじょぶだいじょぶ」
「はい……でも私、姉様たちみたいに、神授の日の前から能力が発現したりはしなかったし、やっぱり……」
「そんなの、あんまり関係ないって。ほら、もう始まるぞ。顔上げなよ」
いつも姉様は、私が凹んだ時、悩む時、こうやって優しい言葉をかけてくれる。
だけど今日は……いや。今日もこうやって応援してくれるからこそ、絶対に成功させなきゃ。
ドアの上には、『神授の間』と書いてあった。深呼吸してから、私はゆっくりとそのドアを開ける。
「失礼します……」
緊張のせいか、声が変に震えてしまう。
中では母様が待っていた。父様や他のきょうだいのみんなは留守らしい。
「ちゃんと時間通りに来たわね」
「はい。よろしくお願いします」
ダメだ、やっぱりどうしても緊張する。
「私は神授には関わらないわ……そう緊張しないことよ。堂々かつしっかりとした態度で臨みなさい。神から力を授かる、大事な式なのだから」
母様の言う通り。今日は私にとって、何より大切な日。
始まりは、モンスターが世界を脅かし始めた、数百年前の時代だったらしい。
その頃、天界の神々は、人間の力を試すために、15歳になった子供に、特殊な能力……『神授』を授け、自分たちの力だけでモンスターと戦わせるようにしたそうだ。
人間はモンスターと戦えるようにはなったが、それでも被害は大きく、また人間同士の争いも起き始めた。
そんな状況を変えるべく台頭してきたのが、『ヒール』と呼ばれる神授を持つ人々だ。彼らはその力で人々の外傷や病を癒し、必要不可欠な存在として尊ばれるようになった。
そして、危険なモンスターが滅ぼされた現在でも、ヒールの力で人々を救う彼らは、『ヒーラー』と呼ばれ、慕われている。
「……そして、我々コロコ家はヒーラーの名家。5代前から、コロコ家の全ての人間は、ヒール関連の能力を授かり、慈悲と誇りを持って人々を救ってきました。あなたもそのコロコ家の一員。期待しているわよ」
「は……はい」
そうは言っても、私は不安でいっぱいだった。
子供たちの中には、15歳になる前から、自らが授かる神授の片鱗を発揮する者がいるという。今隣であくびをしている姉様も、さらに上の兄様姉様、父様や母様たちも、片鱗を発揮し、見事強力な神授を授かってきた。
だけど、私は片鱗など見せることができなかった。自分の能力を予想すらできない。みんなと同じく、ヒール系だと祈るだけだ。
いや……そもそも、家柄など関係ない。私はヒーラーになって、沢山の人を救いたい。今までこの贅沢な箱庭で過ごしてきた分、これからは幸福をみんなと分け合いたい。そのために、人々の傷も病も癒していきたい。
「……時間ね。始めましょう」
「はい……!」
もう迷いはない。ただ祈るだけだ。私は部屋の奥の石板の上に座り、手を合わせて神に祈る。
「大いなる天界の神よ。希望を抱きし我が身に、神聖なる力を授けたまえ……!!」
お願い、ヒールを。人を癒せる力を、私にください……!
閉じていた目を、少し開いてみる。私の体が、青い光に包まれている。全身に力が湧いてくるのを感じる。これは審判だ、と聞いている。今、神は私を見て、何を授かるかを決めているのだと。
受け取っている。神様から、何かを、確かに。
青は誠実と慈悲の色。大丈夫、私はずっと正しく生きてきた。まっすぐに夢を見てきた。きっと上手くいく。
気付けば、私を包んでいた光は消えていた。
「……終わった……?」
「そのようね」
母様が静かに言う。
「その石板を見てみなさい。あなたの神授が、そこに記されているはずよ」
頷き、立ち上がる。ええと、石板には……。
え?
「え、何これ……?」
文字が、書いてない? 黒いハート型の傷が、石板の真ん中に刻まれているだけだ。それも、私が見た1秒後には消えてしまった。
「……何か感じるか、ハーティ?」
姉様の声で、我に返った。確かにさっきは、力を感じた。感じたはずなのに……。
「失敗なのか……?」
姉様が言う。
失敗? ヒールどころか、何かを授かることさえ出来なかったの?
「考えられるのは2つ。極端に微弱な神授で、本人にさえ気づくことが出来ないのか、あるいは、神に見放され、何も授かれなかったのか」
母様が言う。その淡々としたもの言いが、私の不安を掻き立てた。
私はどうなるの? こんな結果に終わって、それもコロコ家という名家で……私は……?
「どのみち、言ってしまえば大失態ね」
「母様! そんな言い方は……まだハーティの神授が無いと決まった訳では……」
「ならどうするの? ハーティに期待していたのはコロコ家だけじゃない。街の人々や、他の多くの名家の方々……多くの方面から期待されていたというのに、これでは当家の面目が丸潰れよ」
そして母様は、続けて言い放った。
「……この家を去りなさい。面汚しはコロコ家には必要ありません」
必要ない? 私が……?
「……母様!!」
姉様……怒ってるの?
「そんなに面目が大事ですか! ハーティは何も……ただ、神授に恵まれなかっただけで! ただそれだけで、そこまでするなんて……家族でしょう!?」
「あなたこそ、もう19歳でしょう、メルリア? まだ自覚が無いの? コロコ家はただの一家族ではない。ヒーラーの名家として……」
やめて……私のせいで、こんな……。
私がいるから……。
「……」
私は……。
私なんか、要らない……!!
「……出ていきます! 出ていってあげますよ!」
「は……ハーティ!」
姉様……ごめんなさい……!
「……こんな所まで来たんだ」
私は何をしていたんだろう。気がつけば、街の外れまで来てしまっていた。
痛い……胸が、心臓が苦しい。ここまで走って来たの?
「帰らなきゃ……」
ゆっくり振り返って、私は足を進めようとした。
「……ダメだ」
ダメだ。帰れない。あんなことしておいて、のこのこと帰るなんて……。
それに……私、必要ないんだっけ……。
「行こう。どこか、私がいても良さそうなところへ」
ゆっくり足が進んでる。街を出て、ただ『どこか』へ歩いている。
これでいい。もうなんでもいい。どこかへ行ってしまいたい。
どこへ? どこへ行けばいいの?
私は知らなかった。ずっと箱庭で不自由ない生活をして来た。だから、こんな状況になったら何もできない。
1人ですら、生きていけない。
「……ダメ。それでも、行かなきゃ」
止まった足が、また進んでいく。流れる鼠色の雲や、その間をぬって進んでいく太陽とともに、当てもなく土の上を漂う。
たった1人で、地を転げていく。
どこまで行っただろうか。お腹がすいた。喉が渇いた。川の水って、飲んでいいのかな。
「私……ホントに何もできないんだ」
顔を何かが伝ってる。涙がこぼれてるらしい。
胸が痛い。傷ついた心がズキズキする。こんな傷を癒してあげるために、ヒーラーになりたいと思っていた。なのに……。
「何してんの?」
「え……」
目の前に赤い服が見える。見上げると、そこには1人の女の子が立っていた。