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暗闇の底で  作者: いある
3/4

家族

瞼がひどく重たい。こんな感覚は何時ぶりだろうか。

いや、今までに味わったことは在っただろうか。

それすらも分からない程に私は心が安らいでいた。体中の筋肉から力が抜け、沈むように体が気怠い。

けれどその気怠さは心地よいもので。体はいつまでもこの安らぎを手放したくないと必死に訴えかけて来て。


パチリ。


暖炉で薪が爆ぜ、火の粉が僅かに舞う。その音で意識が少しだけ安寧の底から引き上げられる。

未だに何も考えることはできないけれど、それでも尚、今自分が置かれている状況はすごく心落ち着く場所、心を落ち着けることを許された場所だということが理解できた。

「ここが、天国…?」

人知れず、言葉が口から漏れ出した。何故そのような思考に至ったか。その理由など目覚めていない脳でも導き出すことは容易だ。単純に私が『人間』として扱われることなどありえないからだ。

一度は捨てられた身。極寒ではない夏だったということを差し引いてもロシアという国は赤子が外で放置されて生きていける程甘い環境ではない。いや別にそれはロシアだけに限らないのだが。

ともあれ、そんな地で待ち受ける運命など死しかなく。かといって運よく拾われても純粋で悪意のない人間の手に渡ることなんてあり得なくて。


結局、私はまともな扱いなんて望む訳にはいかなくて。最低限生きる環境を与えられたことは私にとって幸せですらあった。生きるということに非常に貪欲であった私は奴隷商の言葉をすべて受け入れて従った。

――その結果、こんな幻を見て死ぬという現状に直面しただけだった。

なんとも救われない話である。おとぎ話みたいに白馬の王子様が現れるわけでも神様が救いの手を差し伸べてくれるわけでもなかったのだ。そんなものは存在しない。

知ってはいたけれど微かに希望を持っていた現実は、平然と真実を語った。


私は、これでよかったんだと思う。ここで目が覚めて中途半端に生き延びるよりはきっと。

「いいことなかったなぁ…人生」


そんな風に諦めていたからこそ。耳元で囁かれた優しい声に反応できなかった。

聞こえるはずのない。かけられるはずのない。そんな優しい声が耳朶を擽る。

「…あの、大丈夫?体冷えてると思うからココア、淹れたんだけど」

幻聴に違いない。私の脳が最期に見せる慈悲に違いないのだ。

そうでも無ければこのような状況…

「んー…大丈夫かな。体はあったまってると思うんだけど。聞こえる?」

「…へ?ありぇ?」

「日本語、わかるかな」

「あ、あの。その…」

現実…?よく五感を働かせてみれば香ばしいいい香りや暖色系の照明器具が感じられた。心を安らげていた要因はこのようなものだったのかと今更ながら気が付くことになる。

暖炉に近いから暖かいと思っていたが、それだけではなかった。

肩までかけられた毛布はそのようなものに縁がなかった私にでも理解できるほど高級そうな素材を使っていて保温効果は抜群だった。毛はふわっふわで体の熱を逃がさず、けれども薄く、かさばらないように設計されている。間違いなく値段を聞いてはいけない代物であろう。

「…もしかして俺、警戒されてるかも、ってそりゃそうか。いきなり見ず知らずの男が何か持ってきたら疑うよねそうだよねごめんね…」

「えっと、その…どうして私は、ここに…」

喉の奥が張り付いてうまく言葉が出てこない。どうしたのだろうか。人としゃべるという機会がほとんどなかったにしても少々てんぱりすぎではないか。声も大きな声を出したつもりなのに蚊の鳴くような声しか実際は発せられなかった。この男性の言う通り、私は酷く困惑し、この人のことを警戒している。

「とりあえず、これ飲みなよ。あったかいココア。覚める前に飲んで欲しい。

…でもこれで変に疑われても困るからどっちを飲むか選んでくれるか」

「で、では…その。こちらを」

これまた相当な値段がしそうなマグカップに入ったココアを両手で抱えて落とさないようにして受け取ると、一口、その茶色の液体を体に流し込む。

口に入った瞬間、久しく入れていなかった温かい飲み物に体が反応した。もっと寄越せ、早く流し込めと体が催促してくるのがすこし恨めしい。自分がそんなものを望める立場ではないと知っていてもここまで体は正直なものなのかと動揺。

結局欲望の赴くままにココアを数回に分けて流し込むと、体は芯から温まっているように思え、それと同時にすごく幸せな気分になっている事に気が付いた。

「すごいね…ココアってそんなに一気に飲めるものなんだ。俺が猫舌なだけかもしれないけど」

そういう目の前の精悍な顔つきな男性は何度も口を付けては「あちっ」とかなんとか言いながら少しづつ飲んでいく。それを見ていると自分が如何に貪欲になっていたかを思い知らされ恥ずかしくなってしまった。

「申し訳、ないです。私、我慢できなくて」

「一々気にしなくていいよ。…思い出させるようで悪いけどどうせまともな食事も与えられずに生きてきたんだろ?君が少しくらい贅沢を言ったって俺は怒らないしその権利が君にはあると思ってる」

「いいん、ですか?」

「ああ、今日からここが君の家だ。奴隷商は性処理だのなんだの言っていたけの俺は君に対して危害を加えるつもりは毛頭ないから安心してくれ…っても信用できないかもしれないけど」

目の前の青年が何を言っているのかわからなかった。今日からここが私の家?

質の悪いドッキリだろうか。愛玩動物として売られたのではなかったのか。性奴隷として売り飛ばされたはずではなかったのか。想像とは全く違う好ましい事態に混乱する。

「これではまるで…家族みたいな扱いではないですか」

そういって私は失敗した、と後悔した。家族だなんて自惚れた発言など許されるわけがない。温情でこうして優しくしていただいているのに親しい間柄だと主張するなど図々しいにもほどがある。


けれども眼前でココアをちびちびと飲む青年は眉一つ寄せず、それどころか曇りなき笑顔で。

「『家族』か。そうだね、そう、俺たちは家族だ。俺には父も母も、祖父母ももういない。もう微笑みかけてくれる家族なんてできないと思っていたけど…丁度いい。俺たちは家族だ。だから変に遠慮なんてしないでくれ、家族ってのはそういうものじゃないはずだ」



やっぱり。目の前の青年が言っていることは、私にはすこし理解が追いつかない。


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