そこに小五郎がいた
その犬が栗本家にやってきたのは2年前のことだった。栗本の叔父がペットショップで選んだのである。柴犬が好きだった叔父は、2匹の柴犬から選ぶこととなった。一方は、元気の良い、やんちゃな犬。もう一方は、比較的おとなしい犬。叔父は元気な方を選んだ。体高40cmのその雄犬はやがて「小五郎」と名付けられた。11月末の寒い日に小五郎は東区の栗本家にやって来た。
僕は、その犬のことは叔母から聞いてなんとなくは知っていた。叔母に誕生日メールを送ったとき、返信メールにこんな文言があった。
「我が家に犬がやってきました。小五郎です。叔父さんは小五郎に夢中です。」
そして、メールの最後にはこう書いてあった。
「もっと早く買ってあげればよかった。」
叔父はアスペルガーだ。繊細な感情と高い能力を併せ持つ一方、他人の感情の機微が理解できず、周囲と軋轢を生んでしまう。幼いころからそうだったのだろう。叔父は周囲と孤立しがちで、友達がほとんどいなかった。それに加え、叔父の両親は優秀な叔父の兄ばかりをかわいがり、何かにつけて比較した。そのことが叔父を孤独に追いやった。理数系が得意で国立大学に進学できたはずなのに、大学進学を許されなかった。それでも叔父は優秀だから、某大手電機メーカーにオペレーターとして就職した。しかしそこでも、周囲と軋轢を生み退社を余儀なくされた。その後叔父は電気工事店を始めた。技術に詳しく、腕の良い叔父は評判を呼んだが、折からの不景気などで次第に客が遠のき、遂に廃業せざるを得なくなった。それから叔父は医師である兄の病院のホームページ管理の仕事を週に3回行うようになった。しかし、そこでの仕事もやりがいがなく、第一線で働く兄の姿がちらつき、過去の傷がえぐられる思いがした。いつしか叔父は精神を病むようになった。叔母にも当り散らすようになり、とうとう壁に穴をあけてしまった。叔母にも暴言を吐くようになり、叔母にもストレスがたまるようになった。そのストレスが向かう。ストレスの連鎖は広がるばかりであった。
小五郎を飼うようになったのはそんなときだった。叔母がどこかからペット療法の話を聞いたのだ。ペットが比較的好きだった叔父は喜んでペットショップへと向かった。そこで出会ったのが小五郎だった。小五郎と出会ってからというもの、叔父は見違えるほど元気になった。表情も明るくなり、食欲も出てきた。暴言も少なくなり、暴れることもなくなった。何より自分の人生に意味を見出したようだった。常に兄と比較され、自分のやりたいことをできなかったこれまでの人生。それを取り戻すかのように小五郎に向き合った。小五郎はそれに応えてくれる。小五郎は叔父の人生の空白のジグソーパズルのピースを埋め合わせたのだ。穏やかで満ち足りた日々、小太郎はそれを叔父にもたらしてくれた。だから、叔母も小五郎に感謝している。そのメールには写真が添付されていた。その写真は、なんと犬嫌いだったはずの叔母が小五郎を抱いている写真であった!それほどまでに小五郎を愛しているのだった。子供がいない叔父夫婦だ。小五郎はまるで叔父夫婦の子どものようだった。
僕は叔父のことが好きだ。叔父はアスペルガーだから意図せずに人を傷つけることがある。僕もその被害者の一人だ。けれども、叔父のことが嫌いではない。叔父との会話が何よりも楽しみだった。理数系が苦手な僕に数学を教えてくれることもあった。授業で当てられた問題がわからず、叔父に解いてもらったことも何回かある。叔父との思い出は語り尽くせないほどだ。
しかし、僕が大学進学で東京に行って以来、あまり会うことはなくなった。せいぜい、正月に会う程度で、その時もそんなに話はしない。僕はそんなものだろうと思っていたから、特に淋しくはなかった。けれども、ここ最近、叔父への思いが強くなった。また色々話したい。叔父との思い出を再び作りたい。そんな思いが強くなった。そんな折、資料収集のために県立図書館によることとなった。そこで、図書館にほど近い叔父の家に遊びに行くこととなった。
資料収集を終えて、僕は叔父の家に向かった。貝原駅から徒歩5分、路地を突き抜けたところに叔父の家がある。叔父の家のドアを開けるやいなや、駆けつけてきたのは小五郎だった。ハフハフと息を弾ませながら僕を見つめる。僕はこの犬独特の「挨拶」がどうも苦手だ。いや、犬自体、もっと言えば動物が苦手だ。だから、動物園にも行かないし、動物番組も見ない。僕はとまどいながら小五郎と一緒にリビングへと向かう。情報番組が映っているリビングには、叔父夫婦がいた。小五郎は真っ先に叔父のもとへと向かう。そして僕に対して、コミュニケーションを取り始めた。靴下をなめたり、匂いをかいだり。僕はそのたびに悲鳴をあげそうになる。あの濡れた鼻があたるのが苦痛で仕方がないのだ。「小五郎、やめなさい!お兄ちゃんが嫌がっているでしょ!」
叔父がそういうと小五郎は叔父に抱き着く。そして叔父は小五郎を抱き、鼻をつんつんと小突く。僕にはそれができない。残念だが致し方ない。
隣の部屋には小五郎のグッズとみられるものが散見された。ペット用の餌の皿や水飲みをはじめ、散歩用セットや歯磨きセット。なかでも圧巻なのが冷蔵庫だった。
「あれは小五郎用の冷蔵庫。」叔父は冷蔵庫を指さすとそう言った。それは、小型ではあるが、普通に人間が普通に使えるタイプのもだった。一人暮らしの僕のアパートにあるものと変わりがない。僕はなんだか情けなくなった。
「この冷蔵庫には名前があるんだよ」叔父は嬉しそうにそう言った。
「何て名前なの?」そう聞くと、5秒ほど間をおいてこう答えた。
「小五郎冷蔵庫」
僕は思わず腰を抜かしそうになった。あまりに安直すぎるネーミングだったからである。もっといい名前はなかったのだろうか。そして叔父はその小五郎冷蔵庫の中から、何かを取り出した。何やらケーキのようである。
「これは?」
「小五郎用のケーキ。」
「小五郎用?」
「そうだよ。800円した。」
「800円も。」
そう言うと叔父は嬉しそうに小五郎に食べさせる。小五郎は実に満足げに食べる。
「もういつもこんな感じなのよ。まるで子供みたい。」
叔母が呆れた表情でそう言った。
ケーキを食べ終わると小五郎は再び叔父に遊んでもらおうと抱きつく。
「小五郎、小五郎・・・・・。あ、噛んだな!ひっくりかえしてやる!」
そう言うと叔父は、慣れた手つきで小五郎をひっくり返してしまった。そして、僕に犬の体の説明を始めた。これが肉球、これが爪。爪の尖端にも神経が通っているから、爪切りは注意を要する・・・・・。5分ほど説明が続いた。僕は熱心に説明をする叔父を見て、叔父にとって小五郎がかけがえのない存在であることを感じた。
夕食後、リビングへと戻る。どうやら僕のことが気に入ったようだ。小五郎はやたらと絡んでくる。靴下やジーパンをなめたり、匂いを嗅いだり。「小五郎やめなさい」僕はそう言う。小五郎を無視してテレビを見ていると、小五郎はぐたっと倒れた。
「叔母さん、小五郎疲れたみたいよ。」
僕がそういうと、叔母は、
「あー、すねているのよ。遊んでくれないから。」
どうやら僕のせいのようだった。仕方なく僕は小五郎と遊ぶことにする。小五郎の遊び道具である布製のピーマンを小五郎冷蔵庫めがけて投げる。それを小五郎がとって帰ってくる。そしてまた冷蔵庫へ投げる。その往復運動を繰り返す。ちょっとでもテレビを見ていると、小五郎はすねるから、油断ならない。僕は結局30分ばかり小五郎と遊んだ。遊び疲れると小五郎は、へたり込む。その時に見せる甘えた表情は、犬嫌いの僕でも可愛いと思う。耳を下に向け、上目づかいでこっちを見てくる。人間でもなかなかしない表情である。犬って案外かわいいものだなと感じた。
翌朝、起きて戸を開けると、小五郎が駆け寄ってきた。僕が起きてきたことがよほど嬉しかったのだろう。また例の「ハフハフ」がはじまった。朝食を終えると、僕は小五郎としばし遊んだ。毛をぶるぶるさせると、足をあげて僕のもとへと駆け寄る。まだ肉球の感触が苦手なので、犬の手を握ることが出来ない。しかし、なんとなく嬉しい気がした。小五郎は階段へと向かうと階段でへたり込む。そして目を閉じたり、開いたりする。まだまだ寝足りないのだろうか。まどろむ小五郎の表情を見ていると、満ち足りた気持ちになる。きっと、犬を飼う喜びというのはこういうことなのだろうとなんとなく感じた。
そうしていると、叔父が起きてきた。
「ようし、小五郎散歩するぞ。輝彦も散歩に付いてくる?」
「そうする。」
僕は小五郎の散歩に同行した。貝原駅周辺を30分かけて回るコース。小五郎のスピードが速い。叔父によれば、いつもの倍のスピードなのだそうだ。おかげで、叔父が小五郎に引っ張られる形となった。5分おきに小五郎はマーキングする。大学寮の近くで散歩中の雄犬と出会う。小五郎は興奮し、足をあげて雄叫びを上げる。
「やめなさい!」
叔父は小五郎の口元を閉じ、小五郎を叩いた。しばらくすると落ち着くのだが、犬とすれ違うとまた吠える。そのたびに叔父の鉄拳が飛ぶ。その表情はこれまで見たことがないものだった。
「体罰は本当はいけないんだけど、吠えるといけないからね。柴犬は頭はいいけど、頑固だから」
そう語る叔父の表情は、まさに親そのものだった。
散歩から帰ると、僕は帰路についた。途中、ああ、これで小五郎から解放されるという安どの気持ちと、また小五郎のあの表情が見たいという気持ちに突き動かされた。小五郎と暮らしたのはほんの1日だけだったけど、僕にとって忘れられない一日だった。
小五郎が死んだという知らせを受け取ったのは、数日後だった。いつもの散歩コースにあった毒入り団子を誤って食べてしまったのだ!叔父はその日以来、ふさぎ込み、仕事にも行けなくなった。物も食べず、ひきこもる生活が続いているという。
僕はどうやって叔父を慰めることが出来るか考えたが、言葉が見つからない。きっと叔父は自分を責めているに違いない。ほとんど子どものようにかわいがっていた小五郎の死は、叔父の心に再び空白を作った。それを埋めることは僕には荷が大きい。小五郎のいた日々を僕らは一生忘れないだろう。