OUVRIR 5
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フレデリクが執務室を出て行ってから、二時間ほど。
テーブルの上の菓子をあらかた食べ尽くしたフィニクスは、少し前から窓に貼りついて、熱心に外を眺めている。
スールェの方は、二人掛けのソファに行儀悪く寝転び、手のひらサイズの文庫本を読んでいた。王の書棚から拝借したそれは、竜使いの少年が世界を股にかける冒険小説。棚に同シリーズがずらりと並んでいたのを、少々意外な思いで引っ張り出してきた。
スールェから見ると、フレデリクは現実主義で皮肉屋だ。夢と希望が詰まった、おとぎ話のような部類は好まないと思っていたのだが、どうやらそうでもないらしい。
「スールェ、スールェ!」
一巻の中盤に差し掛かった頃、フィニクスが声を上げてスールェを呼んだ。
「あれ取ってきていいか?」
開いたページに指を挟んで、彼女が窓を見れば、装飾としてつけられているアイアンの柵に鳥が止まっていた。
緑の羽と長い尾をしたきれいな鳥で、ガラス越しにフィニクスが騒いでも逃げる様子はない。
フィニクスには、珍しいものを見ると、とりあえず手にして口に入れる、赤子のような癖がある。一度、悪いものにでもあたれば懲りるのかもしれないが、そもそも神である彼に食べ物にあたると言う概念はないらしく、何を食べてもけろりとしているから、いつまでも直らなくて困っている。
「だめ」
目を輝かせる赤毛と鳥を交互に見てから、スールェは本へと目を戻す。
鳥にとっては幸いなことに、ここの窓ははめ殺しで開かないし、開いたとしてもスールェとフィニクスは腕一本でさえ、勝手にこの部屋を出ることを禁じられている。
しかし、せっかく見つけた楽しみを止められたフィニクスは、当然のように膨れた。
「なぜだ?」
「フレッドがいないし」
「あれが欲しい」
「セイが迎えに来てからね」
「我はやつが嫌いだ!!」
「わたしは嫌いじゃない」
地団太を踏んでごねたフィニクスが、最後のスールェの言葉にびくりと動きを止める。
真っ赤な眼を真ん丸にして、震える唇で尋ねた。
「す、スゥは……我よりやつが好きなのか?」
「嫌いじゃないって言ったよ」
外の鳥のことなど、消え去るほどの衝撃を受けたらしい。おぼつかない足取りで、そろりそろりと近寄ってくる。
ソファの傍まで来ると、フィニクスは床に座り込み、仰向けになったスールェの腹に頭を載せ、懇願するような必死さで言いつのった。
「我は……我は、スールェが一番に好きなのだ。スールェは、我が嫌いか?」
いつもは、自分が最もスールェに優先されるのが当たり前と言う顔をしておいて、彼女がそうでない素振りを見せると、途端に怯えて全身で縋ってくる。
偽ることを知らない純粋さに、結局スールェは負けるのだ。
「フィニのことは、好きだよ」
本を閉じて、腹の上にある赤毛に手を突っ込み撫で回す。
「それにフレッドも、セイも嫌いじゃない」
「……スゥを十九年も閉じ込めたのに?」
「それは前の王様」
一応、訂正をしながら、スールェは苦笑する。
十九年。悠久を知る神からすれば一瞬のことを、長いと言うフィニクスがおかしかった。
正確に生まれた時からかどうかまでは分からないが、物心ついたころには、スールェはこの城の地下に幽閉されていた。
その部屋が城の地下にあったことも、そこを出てから知ったくらいだが、スールェ自身に閉じ込められていると言う意識は全くなく、むしろ衣食住を保障されて、のんびり暮らしていたと思う。
逆にフィニクスは、神としての力を使えないその部屋に不満を持っていて、外から来る人間をひたすら威嚇していた。おかげで、スールェと顔馴染みになるほど長期間、世話係を務める強者はいなかった。
幽閉を命じた先の王が逝き、代替わりしてスールェを地上に連れ出したのがフレデリクだったが、幽閉に至った理由や経緯を彼が説明することはなかった。
必要がなかったとも言える。
初めて部屋を出たところで、フィニクスが長年の鬱憤を晴らすがごとく暴れ回ったのだ。スールェはその時、初めて彼の神たる所以を見た。
加減を忘れた熱と炎が狭い通路で爆発し、左右の壁だけでなく石造りの天井まで溶かして崩壊させ、上の階にも被害を生んだ。もし地上での出来事だったら、物だけでなく多くの人間を巻き込んだ惨事になっていただろう。
フレデリクが王の守護神であるストルムを召喚し、ルナシィを持つセイアッドが駆けつけ、姉弟神によってようやく押さえつけられたフィニクスを前にすれば、幽閉理由を察するには十分すぎる。
以来、半年の間スールェは、昼間はストルムの加護があるフレデリクの執務室にいて、夜はルナシィの加護があるセイアッドの家で世話になっている。
あの事故――とフレデリクは言った――の時がほぼ初対面のセイアッドに預けられることに、さすがに何とも思わなかった訳ではないが、
『お前が寝ている間に、周囲を焼き尽くすのは嫌だろう?まぁ、ぼくの私邸に部屋を作ってやってもいいが、それはつまり、王の妃になるってことだぞ』
と言うフレデリクの言葉に、スールェとフィニクスの消去法が一致した結果だ。
そして、城下にあるセイアッドの家に居候を始めてから、彼に対してフィニクスの敵対心は続いている。最近は特に顕著だ。
何故なのかは――。
「我は……やつが嫌い、なのだ……」
顔を伏せたまま呟き、そのまま寝入ってしまったフィニクスの頭をもう一度撫でて、スールェは続きのページを探して本を繰った。
仕事を終えたセイアッドが執務室に現れるまで、あと三十分ほどだ。
人物その他
ストルム…名前のみ