カップ&ソーサーで
マリアンとフレッド
街も城も、いまだ朝霧に沈む夜明け前。
地下にあるこの部屋から外の様子は分からないが、携帯端末が示す時刻はリミットを示している。
マリアンは静かにベッドから抜け出した。
柔らく暖かなベッドは、いつもマリアンを甘く、またときには荒々しく包み込んで欲を拭い去っていく。
脱ぎ捨てた服を探そうと、サイドテーブルのスタンドを点けた。オレンジの光の中に、用意されたまま手を付けられなかったコーヒーカップが二客、浮かび上がる。
いっそ、小娘のような恋心も、冷めたコーヒーと一緒に捨ててしまえたらと思い、できるはずのない考えに自嘲した。
「もう行くのかい?」
まどろみの中から囁く声に、マリアンはシャツの襟を正して振り返る。
「じきに夜が明けるわ、フレッド。戻らないと」
「王に?」
「そうよ、陛下」
たおやかな手が、波打つシーツの間から伸びてきた。ベッドの端に跪いて、マリアンはその繊手に唇を捧げる。
「ほんの一時、ぼくの傍に引き留めても、君はそうしてぼくを置いていく」
「わたしは酷い女ね」
「でも、ぼくの光だ」
体を起こしたフレデリクが、手首を返してマリアンを引き寄せた。
暫時の包容と口付けを交わし、彼の手は離れる。
「マリー、愛すべき民。君を光の中へ帰そう」
◇
年老いた侍従長に見送られ、マリアンは小さなエレベーターに乗り込んだ。二つのフロアを結ぶだけの箱には、階数表示も無駄な装飾もない。
光沢のある壁に体を預け、マリアンは目を閉じた。
「お姫様の魔法は十二時で解ける。……夜明けまで魔法にかかっていられるだけ、まだマシなのかしら」
でも結局、別れを未練がましく引き延ばしているにすぎない。
マリアンがフレデリクの隣にいられるのは、見る者のいない夜だけ。残す靴がなければ、陽の下でその手を差し伸べられることもない。
「酷い王だわ、フレデリク」
初めから分かっていて、終わりが見えないふりをして、マリアンに愛しいと囁く。
置いていかれるのは、マリアンの方だ。
そして、また一日が始まる。
三通りの、コーヒーを挟んだ距離感のおはなし。
次回から本編に入ります。