夜明け前の森の中、滅びゆく祖国
◇
帯刀は、三つ子の月を見上げた。
深い森から見える月。
それは、一つめが三日月。二つめが半月。三つめが満月の形をしている。
明るい月明かりが、おびなたの硬い毛皮を照らした。
おびなたの毛皮は、顔の中心と眉、あと胸元と手足の先が灰色。他は黒い。
犬の獣人らしい、ふさふさした毛が生えている。
しかし若い時よりは固く薄くなり、自分でも老いを感じる。
筋肉は減って、腹は出てくる。
毛皮を覆う鎧も古くなり、しかも今は、返り血と泥で汚れている。
――この国は、もう滅びる。
◇
おびなたは、自分の姿をかえりみた。
どう見ても、英雄ではない。いいとこ山賊の風体。
立場も、子どもの頃に憧れた物語の主人公ではない。城に務めるまではしたが、国も城も救えなかった。
「にゃー。おびなた」
おびなたは、自分と一緒に、城からこの森に逃れた、加賀の声に振り返った。
猫の獣人、カガは、おびなたと同年代だ。お互い、おっさんと言われていい年齢だった。
おびなたは、「この歳になると、夜の山登りはキツイよね~」という目をやる。
カガは、おびなたと同じ支給品の鎧。古い汚れと新しい汚れも、同じように付いている。
カガは加齢に伴い、へにょへにょにくたびれた毛並みをしている。うす茶色と白の、平凡な模様。目は老獪な険がある。
「おびなた。休んでる暇はにゃいにゃん」
「追っ手はまだ来てないわん。そうだな。今の内だわん」
疲れて疲れて疲れて、なんかもう、語尾が油断した口調になってる。
山越えチームはみんな、疲労と非常事態の緊張がクライマックスで、変なテンションだ。
たまらず、侍女の桜田が、「ぶふぉっ」と吹き出した。いちいち笑ってしまった事に、笑ってしまう所まで、精神状態が来ている。
桜田は、フードを目深に被り、手足もゆったりした布で覆う、敬虔な侍女の服装だ。
ナメクジの獣人である。
雌雄同体で、桜田は女性寄りで暮らしている。顔には黒く模様が走り、唇は桃色にぽってりしている。
この山越えの、最重要の運び荷。まだ赤子である、第二皇女を大事に抱えていた。
◇
おびなた達の使命は、落ちる城から皇女を連れ出し、安全な所へ逃がす事だ。
王族は主に、王と王妃、五人の御子がいる。
城が滅びても、国が滅びても、王族の血さえ残っていれば、いつかまたお家は再興できる。
少なくとも、この命を下した老臣は、そう信じていた。
王族は各護衛と共に散り散りに逃げ、第二皇女は、おびなたを含む六人と城を出た。
只今、城から半日離れた森の中だ。
犬の獣人の兵士おびなた、猫の獣人の兵士カガ、ナメクジの獣人の侍女桜田。
そして、鳥の獣人の兵士風岡、クモの昆虫人の兵士ワルド、寄生菌で現在はアリの姿の兵士ゾーラ。
おびなたは歯がみした。
平兵士ばかりのこれは、精鋭のチームではない。
侍女の桜田を含め、同じくらいの勤続年数を経て、気心は知れてるとは言え、体力の最盛期は過ぎた。
風岡は腰が痛い。ワルドは関節が曲がりにくい。ゾーラはボケ始めている。
おびなたは力任せの頑固親父。カガは日和見の窓際。
――これはだめかも分からんね。
◇
おびなたは、小休止をとっているみんなを、少し遠い目で見た。
わんわん、にゃんにゃん言っていた、おびなたとカガは、桜田のふきだし笑いで我に返った。
桜田は悪くない。疲労の余り、幼児語のような口調になってしまった、おっさん達が悪い。
おびなたとカガは、気を引き締めて口調を整えた。
「よし。いっちょやるか!」
おびなたは自分に活を入れる。
一刻も早く、この戦乱の国から出るのだ。
おびなたは、ときの声を上げる。フックをかます時のように、右腕を力強く上げた。
「走るぞ!」
号令を受けた各自は、「まじっすかぁ……」や「勘弁……」とこぼす。
しかし、まだまだ訓練には参加していた体は、若い時の残像のように、思ったよりも軽い足取りを作った。
全員一律の歩調は、見るからに然るべき訓練をされた兵士である。……大まかに見て。
◇
おびなた率いる皇女一行は、道無き道をひた走る。
森は里山というやつで、道路はないが、やぶなどには人の手が入っている。
腐葉土と虫の音が、おびなた達を包んでいる。
ひくり
おびなたは、黒い鼻で追っ手のにおいを嗅ぎ取った。
斜め後方。風上から、数人の獣人のにおいが迫っている。
カガの猫耳も、ぴんと立てて物音を受け取る。
にわかに物々しい雰囲気を感じた桜田は、皇女を強く抱き締めた。
その白い手の甲にも、顔と同じ模様が走っていた。興奮状態を表して鮮やかに浮かぶ。
風岡は両腕の、茶色と白の翼をバサリと開いて警戒した。
全員、追っ手を迎え撃つ体勢を取る。
ワルドは昆虫の素早い動きで、みんなを守る前衛の位置に着いた。
ゾーラは、やや緩慢な動きをしている。顔にはコケのような物が生えて、目はうつろ。ゾーラの本体はコケっぽい方の菌類で、アリの昆虫人は死体だ。
クモだが、同じ昆虫人のワルドは、ゾーラを敬遠する。
関節がむき出しで尖った指を、突きつける。ごつい顎をかちかちと鳴らした。
「おい。俺が死んでも、寄生するなよ」
ワルドの軽口に対して、ゾーラはうつろな目を、心外だとばかりにしかめる。
「失礼な。ワタシにも宿主を選ぶ権利がアル」
ゾーラは自分の体を、ゆるく抱き締めた。
「ワタシはコイツをアイしていた」
「……知ってるけども。そういう話を聞きたいんじゃないんだけども」
まさかのノロケ攻撃。
なんだか、倒錯的な話になって参りました。
細かなひずみはあるが、チームワークは悪くない。
その筈……。と、おびなたは、自分を納得させようと強く信じた。
◇
ざわり
木々の間から、追っ手の一人が姿を現した。
魚人のそいつは、沼泉と言って、おびなたも知っている、城勤めの兵士だった。
諜報を得意としているらしい。わざとなのか根っからなのか、すごく印象が薄い。
茶色と灰色の間のような鱗。
魚人には、魚型とか人魚型とか色々あるが、沼泉は人型で、手足や背中にヒレがある。
人型の魚人の例に漏れず、鼻が低くて目が離れてる。口は大きい。
手の平には水かきがあって、少し開いた口からは、尖った歯列が覗いた。
「おびなた……」
沼泉は、知らぬ仲ではないおびなたに、苦い声を掛けた。
◇
そもそも今回の混乱は、他国からの侵略が理由だった。
城内の数人のお偉方が王族を裏切り、他国と通じて、その侵略を助けた。
そして王族は負けて、城を追われている。
城には、王族側と裏切り側の、二つの勢力がいた。
おびなたは王族側。沼泉は裏切り側というわけだ。
数日前まで同じ城勤めだったが、追う側と、追われる側に分かれてしまった。
ちなみに城内の人数は、二対五の割合で、裏切り側の優勢だ。
この割合を見ると、王族に人望が無いのか、敵国の条件が良いのか、と思う。
王は、良く言えば優しい。悪く言えば頼りない。
敵国はと言えば、侵略者だが、別に殺戮者ではなかった。
まあなんちゅうか、統治者としての資質と言うかなんと言うか……そういう事だ。
おびなたも沼泉も、たぶん意図してこの立ち位置に付いたのでない。
直属の上司とか、世話になった人とか、仲間とか付き合いとか、色んなぼんやりとした要素が混ざり合って、こうなったのだ。
派閥と風見鶏はつらい。
そういうのを読むのに無関心だったおびなたは、まあ、無関心も一つの罪である。こうして山中を走り回る事になっている。
沼泉は自嘲のような顔をした。
その表情は、裏切り側に付いて勝つからなのか。
おびなたと沼泉は、不器用な正直者と器用な世渡り上手として、相対した。
「……」
沼泉は、おびなたに何か声を掛けようとしたが、やめて、そのまま手持ちの武器を構える。
沼泉が持つのは、支給品の大量生産の長槍だ。
◇
おびなたは、なまくら剣に手を掛ける。
カガは、小ぶりの斧を両手に使う。たらりと両腕を下げて、無気力に見える。
しかし、腐っても猫科のしなやかな動きで、そこから音もなく先制攻撃をした。
そのすぐあとに、沼泉と共に付いてきた五人弱が追いつく。
ここは見通しが悪く、木々が乱立して立ち回りが悪い。
混乱した現場で、それぞれは剣技の型もなにもなく、わあわあと、ごちゃごちゃ動いた。
「侍女なめんじゃないわヨ、オラァ!」
ナメクジの獣人の侍女桜田は、追っ手から弱者と見なされて狙われたようだ。
捕まる寸前に怒声を発し、ぬるぬると素早く動いて、逆に、追っ手の腕を締め上げる。
粘液を飛ばして、足止めをしたり、目つぶしをしたり、口を塞いだりする。雄々しい砂かけ婆みたいな働きをした。
寄生菌のゾーラは、宿主のアリの昆虫人を操る。
アリは宿主特有のぎこちない動きで、不気味さをかもし出した。
トリッキーな動きでまわりを翻弄して、剣を繰り出す。その防犯スプレー的な攻撃をした胞子は、意図したのかお漏らしなのか、どっちだ。
クモの昆虫人のワルドは、一対の足と、三対の腕を広げて威嚇する。
その姿は、まわりの人間の二倍から三倍の大きさに見えて、迫力がある。
八つの目は、対戦相手を糸で巻き付けようと、隙無く睨んだ。しかし糸には強度がない。巻き付けても、すぐにプチプチと切れる。さびしい加齢を感じた瞬間だ。
鳥の獣人の風岡が、茶色と白の羽を広げ、揚力を使って空中で側転した。
少し長めの尾羽は、夜の空気を切り、美しい弧を描いた。
風岡の利点は身の軽さと、飛脚としての連絡係だった。
こてんっ
しかし、寄る年波には勝てない。風岡は着地に失敗してこけた。
ずざざざざ
カガとワルドが、風岡の両腕を担って引きずる。沼泉たちと距離を取った。
こういうトラブルには慣れてるのか、手早い処置だ。
風岡は弱ぶった声で言う。
「お、おぉう。すまないねえ……」
「お互い様、お互い様……!」
「もう若い時と同じ訳には、いかないんだから……!」
息を上げてお互いをねぎらった。
◇
おびなたは、沼泉にやる気がないのに、気付いた。
本気でおびなた達を捕まえる、または殺す気は無いようだ。
――後ろ盾の当てもない、小国王族の赤ん坊を逃がして、何になるのだろうか。
このまま逃がしても、のちのち驚異になる可能性は低い。
おびなたにも沼泉にも、そんな考えが浮んでいる。
おびなたにとっては、少し悔しい事であるが、この国を滅ぼした敵国は、強くて安定している。
今後も、他の国を飲み込んで、大きくなるのだろう。
おびなた達の抱える小さい皇女は、さして驚異ではない。
おびなた達は、じりじりと、沼泉達と距離を取る。
泥臭い乱闘で、中くらいの痛手を負った沼泉たちは、しばらくおびなた達を追うフリをした。
無理しないで追っていたら、ぼんやり見失った。
――こんな些末な出来事を、誰が咎めるだろうか。
ちなみに沼泉には、皇女をちょっと見つけましたが、逃がしました。などと正直に報告する気はない。
おびなたは、沼泉に感謝しながら、山道を進んだ。
沼泉とは、特別仲が良かった訳ではないが、一番最初に見かけた時よりも、自分たちは歳を取っていた。
◇
おびなた達、皇女を逃がす一行には、それぞれに家族がいたり、いなかったりする。
今回の命令が一段落すれば、また家族と暮らせるかもしれない。
こっそり呼んで、こっそり暮らせば、それは可能かもしれない。
メドは立っているのだ。おびなたは、進路方向の確認をする。
東南の海を目指していた。
そこを渡った島国に、皇女を逃がす。
温暖な気候に、農耕民族の大らかな国民性。
そこそこ先進国で、または変なところで変なオタク性を発揮する、摩訶不思議な国だ。
猫耳メイドとは何ぞや。
◇
仇討ちをして、お家の再興。というのは流行らないと思う。
おびなたは、桜田の抱える、小さい皇女を見つめた。
夜も遅いのに、目は覚めているようだ。恐ろしいほど新品の目が、きょろきょろと動いている。
今夜の騒ぎにも一切、泣きわめかずに、大物っぷりを発揮していた。
皇女の容姿は、この大陸の獣人よりも、別大陸の人間に近い。
つるりとした肌は、おびなたには馴染みが薄いが、どんな種族でも、赤ん坊や子どもは可愛いものだ。
桜田は、皇女を包んでいる布を優しく整えた。
――でも、皇女が将来、仇討ちと再興を目指すと言うのなら、それに付き従うのも良いかもしれないね。
おびなたはそう思って、少し老いた目尻をへにゃりと下げた。
目が合った皇女は、幼い声を出して、侍女の名を呼んだ。
「……さくらだ」
しゃべれたの!?
おびなたは、小さい子がどれくらい喋れるのか知らない。
幼い皇女は、自分を連れて山越えをする者達を、睥睨した。
「さくらだ。このものたちの名を教えておくれ……」
桜田は、皇女の言う通りに、それぞれの名前を教えた。
おびなた達は大体全員、しゃべれたの感が強くて、場の成り行きを静かに見守っている。
皇女は、桜田から教わった名前を繰り返した。
「おびにゃた。かが、かざおか、ワルド、ゾーラ。……」
噛んだよ。でも可愛いから良いよ。
おびなたは、自分のあだ名が、今後しばらく「おびにゃた」になる予感を、強く感じた。
「すまぬな……。ありがとう……」
目を潤ませた幼女にねぎらわれて、おびなた達の頑張る気力が、底なしに湧いた。
カリスマというか、マスコットというか、そんな物を手に入れたおびなた達は、皇女に恭しく礼をして、スッと立ち上がる。
特に忠誠心が強い気質である、犬の獣人のおびなたは、背筋とか瞳が、五歳くらい若返った。
お家の再興を目指すかは、定かじゃないが、逃げ切った先での暮らしは、ささやかな幸せがあれば良い。
おびなたは、やや白んだ空に、目を細める。三つ子の月が沈んで、双子の太陽が昇る。
強い潮の香りが、鼻をくすぐった。
◇