第八回
昔、馬喰町に風変わりな女祈祷師が居た。人々が言うには、蝋燭を頭にかざして髪振り乱し難語を流暢に放ち、時折疼くように伸吟する。風変わりとはこのときの声をいうのであった。誰しもこの声に堪え難たく病の悪霊はこれによって出てしまうと信じていた。望むのは霊媒師であったが祈祷師とて同じこと、何らかの霊を読み取れるに違いない。果してその祈祷師の霊の眼にこの武者の死霊が映っているだろうか。そして武者の死霊がこの世の怨念を語っているだろうか。歩を急ぐ手には描き上げたばかりの生首の画があった。
馬喰町に着き祈祷師の住居を探すが噂の地所が見当たらず暮れいく路地を迷う。心許なく進んでいくと朽ちた屋敷の影が見えてきてそのなかでうごめく気配があった。招牌の標示もなかったので単なる住居かと思いながらも何か不思議と惹かれる感じがする。辺りは静寂で往来がなかったので尋ねて確かめる伝手もなくただ惹かれるまま表口の前に立つ。黙って耳をすますとなかから呪術の如き奇声が響いてきて穏やかならず。瞬間的にここがその在所と直感した。
急いでなかに入るとなかは薄暗く既に客が入っていてみな黙って頭を垂れ、ひたすら無気味な仕業を見守るかのようにして座っていた。祈祷師の叫び声が聞こえた。噂どおりそれは凡そ女の声色ではなく怪しく震えて張り裂けそうであった。まさしく淫乱に狂う伸吟を思わせた。両手を振りかざして狂わんばかりの演技を行い頭にかざした蝋燭の灯りはその都度、線を描くように揺れていた。
「阿檀地、阿檀地」
絶叫は続く。
「阿檀地、阿檀地」
狂おしいような伸吟はつづく。白装束に身を包んだ祈祷師の発する唱文の阿檀地という謎は奇妙である。
やがて息荒々しい声色も萎えて祈祷師の肩が小刻みに震え、その響きは静かになっていった。終了後しばらくのあいだ部屋は黙ったままであったがやがて安息の色が現われ、緊張を解きほぐした客人たちの影が動き始めた。それらは一様に紅顔し悪霊の払われた面持ちで立ち上がった。あとから入った余の身なりの甚奇さに眼を配らせたがさしたる表情も浮べず次々と帰って行った。祈祷師は余を次なる客と思ったのかしばらく間を置いてから眼を見開き余の様子を観察した。
「いずれの紹介でおいでか?」
それは冷やかな問いかけを感じさせたが口元は麗しく老けてはいるが艶女の気配が漂っていて祈祷の魔性は微塵にも感じられなかった。さしたる縁故もなかったので正直な経緯を答える。
「で、その画をお持ちか?」
祈祷師の顔色が興味を示した。画の由来や素性等一切を語らず、ただこの生首の武者の表情に天地に何かを語ろうとしている容が顕われているか。霊感豊かなればそれを読み取ることが出来るであろうと心託して画を渡した。
画を見て祈祷師の眼はしばらく動かず。どのような返事が出てくるのかと固唾をのみ見守るが祈祷師はただ黙すばかり。やがて逸る気持を押えきれず「何か語っているか?」と問い質す。しかし依然と祈祷師の眼は動かずただじっと画に見入って硬直したままだった。
「その霊は何と言っているのだ?」
尚も高まる心を静めながら祈祷師の動きを見つめていたがその様はまるで何かの餌食になったように動かない。そのとき余の眼に願っていたものを感じた。同時にその確信が全身を貫いていくのがわかった。そして突如響き渡った祈祷師の慄きの声にその証しを固く受け入れたのである。
「阿檀地、阿檀地」
画を持つ祈祷師の手は小刻みに震え眼は凍りついたまま離れなかった。