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北斎画狂人日記  作者: stepano
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第四回


 本所荒井町から佐久間町に居を移したがまたも三日と持たず新たに浅草馬道に転居した。生首の画のことや馬琴との(たが)いのこともしばらく影を潜め相変わらず室内の有様は四方八方荒れ果てて食い物と半紙の取り乱したなかで暮らす。其の毎日の生活のなかで獅子の図を描くことだけは怠らなかった。何度も気に入るまで描き直しその半紙を丸めては放り投げるの態である。不乱に魔除けの図を描くのもひとつに戯作者馬琴との融合を願っていたかもしれない。それと再婚した妻とも別れ独り暮らしの画稼業にも心痛める息子のことがあった。他に娘が一人いたが既に嫁がせ案じることはなかったが博打好きの息子には持て余した。今は行方知らずの放浪息子だったが悪しき噂を聞く度に倅に取り憑いた悪魔を払うために始めたことだった。

 また、部屋の一角には汚く乱雑に積み上げた家具の柱のうえに蜜柑箱を少し高く釘付けにしてなかに余が信仰する妙見信仰の御身の像を安置していた。妙見信仰に至った経緯は若い頃、自然の威力を眼の当たりにしたためであった。天地に耳をつんざく雷鳴の轟きと降り落ちた稲妻の光裂く大震動に驚愕しその情景を忘れまいと思ったからである。人の知恵をして及ばぬ力が自然には宿っている。それを畏れる心は真なりと悟った所以であった。妙見の教えはその原点を常に宙に広がる星に求め其の象徴を北斗七星に定めていたのであった。      

 転居してからしばらく経ったある日、突如として角丸屋が訪れたときはいつものように獅子の図を描き終えて丸めた半紙を外に向かって放り投げたときであった。馬琴の処で三者が集まって以来のことだったのでその驚きようは尋常ではなかった。彼はその後、余を探して奔走していたらしく居に入ってくるなりしばし呆然と佇み手に握ったその半紙をゆるりと開いて見つめ直していた。

「よくもここがわかったな」

「師匠もお人が悪い。住居が変わったのならその旨知らせてくださればいいものを。おかげで麻布から七軒通、日本橋までの版元を書問屋も含めて全部尋ね廻る始末でさ」

 言われてみればもっともなことだった。角丸屋を座敷に上がらせ先ずは茶の一杯も馳走しようと思ったが隣もわからぬ付き合いだったので小奴が居るかどうかもわからない。ただうろたえるばかりだった。

「前に居たところは隣に小奴の居た処だったので呼べば土瓶に茶を入れられたのだが」

「どうぞお気を遣わないでください。いやいや、この半紙に描かれた絵はやはり師匠の絵だったとは…さきほど居の外に投げ出されたのを見つけたのが偶然にして幸い。まさに思いが通じました」

 と角丸屋はやっと見つけたという安堵の様子を浮かべている。

やがて顔をあげてかしこまった表情を浮かべながらその後再度馬琴の処に赴き所見を仰いだ気配でそのときの様子を報告し始めた。

「戯作者先生の意を汲むのも版元の仕事ですが挿絵師匠の了解もとらずに勝手に版下を彫師へ発注することも相成らぬののが版元の仕事です。愈々完結部分の稿も終わっていることでして、どうでしょうか、このあいだの件を進めさせていただくわけには」    

 角丸屋としては出版の準備を早急に取りまとめたい様子だ。  

「それで、馬琴の意向は?寒夜の景色画を承知したのか?」

 尋ねると角丸屋は言いにくそうに黙り込んだ。

「何と言っているのだ?」

 更に強く聞き質すと渋々と角丸屋の答えるには、景色画の趣きは善いのだが添えて描いてある食を漁るが如きの野狐の態は如何にも蛇足であって削除するようにと申し受けたことを白状した。これには呆れ果てて俄かに憤りが込み上げてきたので大声を張り上げた。

「伝えておけ、余が表わした寒夜の野狐は馬琴の著述を汲んだうえに補ってやった絵。どうしても野狐を削去せよと言うなら前回からの分の挿絵を全部返還しろ。余は今後馬琴の著述の絵に一切筆を下さないと」

 これを聞いて角丸屋は大いに困惑して返す言葉もなく握り締めた獅子の画を何度も見開いては眺めた。

 やがて思案に暮れ彼はすごすごと退散していった。

 再び机に向かい獅子の画のつづきを描こうとしたが集中できず結局その日は一枚も描けなかった。ただ角丸屋が余の放り捨てた獅子の画を拾ったことが不思議でならなかった。



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