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北斎画狂人日記  作者: stepano
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第三回


 数日後、他の版元の仕事で馬琴宅へ赴く。

 神田明神に住居を構える戯作者馬琴の処も随分と派手になったものだ。玄関先に生垣があり敷き詰めた石の渡りを踏み入ると庇の陰から紅葉の枝が押し寄せてくるように突き出ている様は風情よりもこれ見よがしにという感じだ。晩秋にはほど遠くまだ葉の色づきはこれから先のことだがそれらはすべてまるで金子の如く輝いているのである。前版の「水滸伝」では版元の角丸屋にも多大な儲けが入ったことだろう。その証拠に今回の気遣いは並々ならないものを感じた。きっと調整の段取りもあらかじめ行なっているに違いない。

 調整とは読本・「南柯夢」の六丁裏の挿絵の件に関する打ち合わせである。「南柯夢」は三分冊の構想で三つの挿話にて構成されている。六丁裏はその第一挿話の完結部分であった。余が既に描き上げていた下絵を過日角丸屋に渡したのだがそれを馬琴に見せたところ馬琴の意図するところと違ったようである。版元・角丸屋長次郎としてはその場で説明がつかず恐らくは本日の招きを講じたものと考えられる。

 馬琴とは初対面ではない。数年来の付き合いでこれまで数多くの作品を生み出してきた。従って彼の性格は知り尽くしている。「水滸伝」のときにも余の挿絵のことで諍いがあった。彼は余の絵を評して慿空(ひょうくう)結構(けっこう)戯墨(げぼく)だと言い放った。見たこともないものをまるで見たように描くの例えだが、彼の謹厳にて実直な性癖にはほとほと閉口させられる。そもそも未だ嘗て見たこともない支那の風物を何を以ってその真偽を確かめることができようか。あのときの気難しい彼の表情が今回も表われるのだろうか。

 通さた八畳敷の居間でやがて三者の会談が始まった。先ず角丸屋長次郎が包みを取り出し、「南柯夢」六丁裏下絵の版下を二人の眼の前に置いた。既に馬琴の意向を聴聞している気配が長次郎のその所作に現われていた。置くと黙ってただ後ろに下ってしまうのである。

 久方の交合だったから始めに馬琴は趣意の片鱗を面に出さず二言三言、時候の挨拶などを交わした。

「その後、如何ですか。お住まいは今度は本所荒井町とお聞きしたが、住み易いですか?」

 確かに前回の時と住居は変えていた。しかしその問いには何か微妙な皮肉が隠されているようにも聞こえた。それは余の転居癖を指していた。

「住むところ何処も同じだ。気が変われば又、何処かへ移ろうかと思っている」

 余が性癖の質感を少しも隠さず生粋快活に答えると馬琴は苦笑した。

「最近はどうですか?忙しいですかな?」

「いやそれほどでも」

 生首の画の構想の件があったがまだ形が煮詰っていなかったので秘すことにした。しばらく他愛のない雑談のあと早速今回の用件を聞くため本題に入った。

「ところで、今度の六丁裏の下絵の件で何か趣きの異なる所存であるとのことだが」

 問うと馬琴の表情が次第に強張っていくのがみえた。それは繊細に面に出ていたが彼はしばらく口を閉じてしまった。今をときめく読本界の寵児が恐らく切り出そうとする言葉を選んでいたに違いなくそれはあたかも苦渋の一端を覗かせる瞬間ともいえた。

 六丁裏の場面とは主人公半七が情死に趣く場面でこの作品の完結部分であった。余が描いたその場面は男女の痴狂の荒みたる背徳を寒夜の風景に見立てて描き表わしたものだった。馬琴の物語の諭旨は常に外れたことを行うと遂には懲らしめを受けるという筋書きにある。従ってその絵は寒夜の単なる風景画ではあったが荒れ果てたすすき野に食を漁る一匹の野狐を加えて描いていたのだ。余としてはこの野狐の影が重要なのであった。

 ところが果たして馬琴が切り出した内容とは、風景の画、いかにも殺伐として物語の意に添うものだけど余所に野狐の姿があるのは如何なものかと静かに答えたのであった。後ろで下がって見守っていた角丸屋の俯きも肌に伝わってきてこれで前もって相談していたことが分かった。更に馬琴が野狐の絵にこだわっている理由がその食を漁る様が如何にも気に入らぬと見えたのである。

「つまびらかに成らないのが男女の情けというもの。野狐の虚しき幻を描くことによってその趣きが(かたち)となっているではないか」

「それは違う。この場合、男女の様不祥にあらず。敢えて情死に赴くのは世を(はかな)むのが普通の感情では。決して抓まれたような類ではない」

 議論は伯仲し、角丸屋はただ後ろで苦心の色を浮かべていた。

「納得できないのはこの野狐の食を漁る様子で如何にも男女を(たぶら)かせているような趣きの影があることです」

 馬琴はそれ以上何も言わず口を閉ざしてしまった。

「そもそも男女の痴狂たる様は異常なことなのだ。だからその心は謎であり不祥だ。しかしこの物語の裏には世の倫を外すことは懲らしむべきだと告げている。だからわざわざ奇しくも化身に譬えているのだ」           

 依然と馬琴の表情は固く遂には議論の収拾の目途も立たず後ろで待つ角丸屋の表情にも益々困憊計り知れないものがうごめいた。

 結局、余の意を汲まないのならその下絵の結論は出ずと判断し、遂には業を煮やして自ら席を立ち馬琴の住居を後にした。



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