第十一回
読本「南珂夢」の六丁裏挿絵の件はその後依然と沙汰がなかった。角丸屋が果たして馬琴と調整したのだろうか。麹町五ノ蔵へ出かけて探ってみようと思ったが腰がなかなか上がらず散らかした作画と画工材のなかに相変わらず居座る。
年が改まって住居を今度は浅草の聖天町に移した。時候も立春が迫りこの前角丸屋が訪れたときからもう半年は過ぎていた。
戯作者と挿絵師の意見が合わないということは出版の主として大いに迷惑しているところであって彼は恐らく百方を奔走しているに違いない。巷の書問屋の意見を集めて参考にしているのか。しかし、誰がいったいこれを解決することができよう。やはり一度馬琴の処を訪ねて確かめてみようと決意した。
紅梅咲き匂う浅草誓教寺境内を抜け八丁堀から神田へ向かう。馬琴の住居へ着いたとき玄関の景色、先に見た紅葉の葉はとっくに盛りの色は消えていた。
「既に第一の挿話は完結した。第二、第三の物語もその稿は角丸屋の手元に渡っているはずだが。実は各々の挿絵がまだ出来上がってこないので某の方に何かあったのではと心配していたところだ」
馬琴の表情にはもはや先般の苦渋は無く余の突然の来訪に驚いていた。ことのほか喜び親しく招き入れてくれた。例の件は果たして解決したのだとそのとき思わずにはいられなかった。それに会わない間に次の第二、第三の物語が既に進んでおり原稿が角丸屋に渡し済みとなればかえって角丸屋の方に別の意向が生じたのだろうかと心配になってきた。
「角丸屋とは一向に交渉がないのでそんな話になっているとは知らなかった。角丸屋はその稿の挿絵の依頼を誰かにと考えているのだろうか」
余が怪しむように洩らすと馬琴はそれを聞いて呆れて笑い飛ばし、
「何を馬鹿なことを。角丸屋にとっては今日在るのは先の水滸伝しかり、挿絵は北斎師匠があってのこと、よもや今回の作品の途中に戯作者の意向も聞き入れずに絵師を変えるなどという不敬な魂胆を起すはずがないではないか」
と言った。
「それに師匠はまた住居を変えている。角丸屋が師匠を尋ねようにも迷う道理ではないか。だから未だ届けられないのだ」
真、年の初めに転居していたので言われてみれば合点がいかないわけでもない。
「そうであるかもしれない。早速、角丸屋へ出向きその稿を拝見することにしよう」
失笑しながら答えると余のその呆けたる様を馬琴は観察して健やかな笑い声をつづけた。馬琴の笑い声を聞きながら角丸屋がいかにして六丁裏挿絵の悶着を解決したのだろうかとふと思った。そしてその大いなる彼の妙意を感じないわけにはいかなかった。
久しぶりの歓談で馬琴は大いに喜び、食を用意してまで遅くまで語り合った。
帰途に着く。夜も更け静まり返った道に犬の遠吠を聞く。その響きが夜空に渡り闇のなかにこだました。馬琴が折れたのはなぜか。あんなに難色を示していながら本当に角丸屋の説得に応じたのだろうか。馬琴がその詳細について一切触れなかったのは今後のことを思い憚ってのことなのだろうか。
夜空を見上げると北斗七星の形は見えなかったが進みいく胸のうちには仄かな輝きがあった。それは信仰の輝きのように思われたので大切に仕舞っておいた。




