第一回
先の「写楽浮上せず」の姉妹編です。
文化四年秋。
生首を描こうと思った。
今朝厠で突然蟋蟀が戸板の節目に止まり、そのままその眼光がいきなり宙を撥ねたかに見えた。その瞬間、それは息を殺した間がしばらくあり、やがて鮮やかに躍動して来る怪しき魂に襲われたのである。しかもそれは無意識のうちに背負い込んでいた重荷であり前々から懸念のあった画題であったのだ。遂にその答えを得た。
蟋蟀はしばらく動かず、そして音色さえ隠していた。止まったままを依然眺めていると銀色の羽の奥からあたかも嘲笑の響きが聞こえてくる。中橋広小路町の版元、和泉屋半蔵の顔が次第に浮かんできた。
「師匠の描く鳥獣略画や職人略画は卓越でその右に出る描き手はいませんが、ここはひとつ物怪の流行にて、あっと驚くような妖魔の如き刺激画を描いてもらわないと」
摺り物の世界にこのところ怪しき画材が蔓延る兆しがあった。世の不安を表わしているのだろうか。怪しきとは悪戯に幽幻の描画であろう。人々はみな自らの怪なる魂を覗き見ようとして世にも有るまじき恐怖の画に興味を持つのだろう。しかし、余の思いつく刺激画とは単なる嗜好を漁るが如き上っ面の怪奇ではない。
摺り物の世界では今や豊国の天下になっていて美人画を幽霊に化した画は確かに凄味を帯びていて幽幻さは絶品である。故に日本橋界隈の書問屋はみな先を争い豊国に描かそうとしている。和泉屋半蔵もそのなかのひとりであった。
自分が花草木、鳥獣の略画に傾注するのは画法の真髄はみな魂の形象を探る所以であってその作業こそ真の画道と確信している。それなのに人々は今や怪奇なる画のみに興味を示しているのは恐らく畏るべき神秘の世界に遭遇したいためであろう。
今閃いた画題はその人々の欲する畏るべき心霊に間違いなく怪奇なるものと合致して興味を極めることであろう。畏れたる根源は人々みな心に持っているが果してその生首の表情を如何に描いたらいいものか。
足元の蟋蟀に注ぐ自分の息遣いが俄かに昂揚し始めその描画の構想に対する炎がまるで魔性の輪のように繋がっていった。