第五話
週末の昼下がり。
郊外へと向かう電車の窓には、都会の喧騒を離れていく景色とともに、所在なげに外を眺める自分自身の顔が映っていた。
(宿泊研修、か……)
結城颯太は、膝の上に置いたバッグを無意識に強く握りしめた。
一週間後に迫った行事の準備。洗面用具、着替え、タオル。しおりの「持ち物リスト」をなぞるたび、胸の奥が微かにざわめく。
とりわけ颯太を悩ませていたのは、「自由準備」と記された水着の項目だった。学校指定ではない、自分自身が選ぶ服。それは、否応なしに他者の視線を意識させる。
「……一人で来て、正解だよな」
独り言が、空いた車内に小さく消えた。誰かと一緒であれば、選ぶもの一つひとつに意味を深読みしてしまいそうで、それが怖かった。
数駅離れた大型デパートは、休日を楽しむ家族連れやカップルで溢れかえっていた。
人波に圧倒されながらも、颯太は淡々と買い物を進める。文房具、予備のバッテリー、日用品。目的の品をカゴに入れるたび、リストにチェックを書き込む。その機械的な作業は、不意に訪れる「あの日」への緊張を紛らわせてくれた。
一方その頃、同じ建物の中で、五味隆之介は完全に「迷子」の体で立ち尽くしていた。
「おい隆、三階のスポーツ用品店ってどっちだ?」
館内マップを睨みつけるが、隣にいるはずの相手はいない。
「……あ、そうか。あいつ、別行動なんだっけ」
颯太を誘ったものの、結局は互いに気を遣って別々に回ることになったのだ。隆之介は、目的を失った足取りで吹き抜けのホールを見下ろした。
中央の特設スペースでは、子供向けの体験型イベントが開催され、賑やかな音楽が響いている。
「後で暇つぶしに覗くか」
彼は軽く鼻を鳴らし、目的のない放浪を再開した。
さらに別のフロア。香水と化粧品の香りが微かに漂うレディースファッションのコーナーで、奇妙な二人が並んでいた。
「凜ちゃん、これとかどうかな?」
楽しげにハンガーを揺らし、華やかなデザインの水着を差し出すのは久世蓮だ。
「……少し、派手すぎないかしら。それ」
少し困ったように眉を寄せるのは、氷室凜。
二人は偶然にも、同じ日に、同じ目的でここに来ていた。そしてさらに偶然、入口で顔を合わせ、「仲良くなった記念」という名目で行動を共にすることになったのだ。
もちろん、その「仲良くなった」という言葉の裏には、互いに対する監視の意味も含まれている。
「大丈夫、大丈夫。せっかくの宿泊研修だよ? これくらい冒険しなきゃ損だって」
「そういうものなの……?」
蓮の天真爛漫な攻勢に、凜は防戦一方だった。けれど、二人は薄々気づいている。自分が選ぶその布切れ一枚が、誰の視線を奪うために必要なのかを。
「凜ちゃんってさ」
「何?」
「結構、真面目だよね。こんなに可愛いのに」
「……それ、褒めているの?」
不意を突かれた凜が、頬を薄く染めて視線を逸らす。その横顔を見て、蓮は密かに微笑んだ。ライバルではあるが、この不器用な少女に対して、嫌悪感とは別の「親愛」に近い感情が芽生え始めているのを感じていた。
そして、運命の歯車は昼食時に噛み合う。
「……あ」
エスカレーターを降り、フードコートへ向かおうとした颯太は、角を曲がったところで足を止めた。
「久世さん? それに、氷室さんも……?」
「颯太!」
「結城くん……」
一瞬の沈黙。蓮は花が綻ぶような笑顔を見せ、凜は驚きに一瞬だけ瞳を大きく見開いたあと、慌てて手元の買い物袋を背後に隠した。
「なにこれ、偶然すぎじゃない? もしかして、運命感じちゃう?」
蓮がいつもの調子で詰め寄る。
「そ、そうね……奇遇だわ」
凜の声は少しだけ硬い。彼女たちが何を買っていたのか、颯太には察しがついたが、あえて触れないのが彼なりの礼儀だった。
「お、全員集合じゃん」
そこへ、背後からひょっこりと隆之介が現れた。
「隆……お前、どこにいたんだよ」
「いや、俺も暇を持て余しててさ。ちょうど腹も減ったし、みんなで食おうぜ」
隆之介の能天気な一言で、四人は同じテーブルを囲むことになった。
運ばれてきた昼食を前に、話題は自然と宿泊研修のことになる。
「海、行くらしいね」
「遊泳は禁止だって先生が言ってたけど、足くらいなら浸かれるんじゃない?」
「濡れたら自己責任って、制服だったら最悪だよね」
そんな他愛ない会話を聞きながら、颯太は二人の様子を観察していた。
以前のような刺々しさは消え、蓮と凜の間には不思議な連帯感のようなものが漂っている。
(……仲良くなった、のかな)
それは喜ばしいことのはずなのに、なぜか颯太の胸には、形容しがたい小さなトゲが刺さったような感覚があった。自分の知らないところで、二人の距離が縮まっていることへの、贅沢な孤独感。
昼食後、四人でデパートを後にしようとした際、吹き抜けの広場で歓声が上がった。
「あ、さっきのイベント、まだやってる」
隆之介が指差したのは、豪華(?)景品が当たるミニゲームコーナーだった。
「やろうぜ。四人の記念にさ」
「え、でも……」
「いいじゃん! 私もやりたい!」
蓮が乗り出し、凜もまた「……少しだけなら」と同意する。
結局、四人は並んでゲームに参加した。結果は、意外にも隆之介が最高得点を叩き出し、颯太は参加賞に近いお菓子。蓮と凜は、お揃いの小さなキーホルダーを手に入れた。
「隆、地味にこういうの強いよな」
「特技なんだよ、無駄なことだけはな」
笑い声が響く。休日、偶然が重なり合って生まれた穏やかな時間。
けれど、彼らはまだ知らない。
今日選んだ服が、今日手に入れたキーホルダーが、そして今日感じた小さな胸のざわつきが、宿泊研修という名の舞台でどのような意味を持つことになるのかを。
物語の種は、休日の陽光を浴びて、静かに、しかし確実に芽吹き始めていた。




