第二十二話 番外
朝。
結城家の居間は、春の日差しに満ちていた。
4月15日。新しい季節の中での、結城颯太の16歳の誕生日。
颯太は、ベッドから身を起こした。その動作は、いつもと同じ。だが、心は違う。
自分が生まれた日。その日がまた巡ってきた。
窓から差し込む光は、新年度の空気を運んでいた。明日から、高等部の1年生。
新しい環境への期待と、不安が混在していた。
だが、今日は、その全てを忘れることができる日。誕生日。
颯太は、居間に降りた。
そこには、すでに家族が待っていた。
母親の由美。父親の健一。妹の美月。
テーブルには、朝食が用意されていた。だが、それは通常の朝食ではない。
颯太が好きなおかずが、ズラリと並んでいた。
玉子焼き(由美が作ったもの)。焼き魚。漬物。そして。
誕生日特有の、少し豪華な演出。
「お誕生日おめでとうございます」
由美が、颯太に向かって言った。その声は、母親としての喜びに満ちていた。
「おめでとう、兄ちゃん」
美月が、颯太に抱きついた。その動作は、妹らしい無邪気さに満ちていた。
「颯太。16歳か。明日から高等部だな」
父親の健一が、笑顔で言った。その目には、子どもの成長を見つめる親としての感慨があった。
「本当ですね。この子ももう高校生なんて」
由美が、颯太を見つめた。その目には、時間の経過への感慨と、期待が映っていた。
颯太は、その光景を見つめていた。
実の家族だけで過ごす誕生日の朝。
蓮はいない。凜もいない。
だが、それが当たり前だった。この時点では、颯太の世界は、この家族だけで構成されていたのだ。
「いただきます」
颯太が、食事を始めた。
朝食の最中。
由美が、颯太に話しかけた。
「颯太。今日は、何かしたいことはありますか?」
その問いは、単なる質問ではなく。誕生日をどう過ごしたいのかを、家族が知りたいという意思の表現。
颯太は、その問いに考えた。
「別に。家族と一緒にいられれば」
その言葉は、颯太の本心だった。
学園での人間関係に、まだ自信がない。新しい環境への不安も大きい。
そんな中で、この家族の温かさが、颯太にとっての唯一の安定だった。
「そっか。では、家族で過ごしましょう」
由美が、笑顔で言った。
朝食が終わった。
由美は、誕生日ケーキを出す準備をしていた。
朝からケーキを食べるという、通常の家庭では考えられないような行為。
だが、結城家では、それが普通だった。
美月が、颯太を手伝った。
「兄ちゃん。16歳。もう高校生だ。かっこいいな」
美月の無邪気な言葉。
その中に、妹としての素直な兄への憧れがあった。
「かっこいいかな」
颯太が、呟いた。
自分がかっこいいと思ったことはない。
むしろ、平凡で。目立たない。
だが、妹の言葉が、颯太の心に温かさを運んできた。
由美が、ケーキを持ってきた。
スポンジケーキ。生クリーム。いちご。
シンプルだが、心がこもった、そういう誕生日ケーキ。
「では、ろうそくを立てましょう」
由美が、16本のろうそくをケーキの上に立てた。
健一が、マッチで火をつけた。
赤い炎が、ろうそくの上で揺らいでいた。
美月が、颯太の横で、興奮した顔をしていた。
「兄ちゃん。早くお願い事して。火が溶けちゃう」
美月の言葉に、家族が笑った。
颯太は、目を閉じた。
お願い事。
何を願うべきなのか。
颯太は、考えた。
明日からの高等部での、新しい人間関係がうまくいきますように。
家族がいつまでも健康で幸せでありますように。
そして。
誰か、自分を理解してくれる人に出会えますように。
その願いは、颯太の心の奥底にあった。
アナログ人間としての自分。読書が好きで。SNSもしない。デジタル文明とは無縁の自分。
そんな自分を理解してくれる、何か特別な人。
颯太は、その願いを強く思った。
そして、目を開けた。
ろうそくの火を吹き消した。
16本のろうそくが、一気に消える。
その光景を見つめて。家族全員が、拍手をした。
「おめでとう」
その言葉が、何度も繰り返された。
朝から昼へ。
家族は、居間で過ごした。
父親は、仕事があるため、午後には家を出たが。
出かける前に、颯太の肩に手を置いた。
「颯太。明日から高等部か。新しい環境は大変だろうが。頑張れ」
その言葉は、シンプルだったが、深かった。
健一は、颯太が新しい環境に怯えていることを、親として感じていたのだろう。
だが、責めるのではなく。励ます。
その親としての姿勢が、颯太を支えていた。
父親が家を出た後。
由美は、颯太に話しかけた。
「颯太。あなたも大人になってきたんですね。もう16歳。高校生」
その言葉の中には、別の意味も含まれていた。
颯太が、新しい環境で、新しい人間関係を築いていくだろう。
その過程で、何が起きるのか。何に気づくのか。
由美は、それを知ることができない。
だが、母親として、その成長を見守る。
「お母さんは、あなたが何を経験しても。受け入れますからね」
その言葉は、無条件の愛を示していた。
颯太は、その言葉に頭を下げた。
「ありがとう」
昼。
颯太は、自分の部屋で、古典文学の本を読んでいた。
明日からの新しい学園生活に向けて、気持ちを整えるために。
本の中の世界に、颯太は浸っていた。
夕方。
美月が、颯太の部屋に来た。
「兄ちゃん。ケーキ食べるよ」
その言葉に、颯太は本を閉じた。
夜の誕生日パーティーの時間。
夜。
夕食は、誕生日仕様だった。
テーブルに、家族四人が座った。
颯太。美月。由美。そして、仕事から帰ってきた健一。
テーブルの上には、颯太が好きな料理が並んでいた。
すべて、由美が心を込めて作ったもの。
玉子焼き。焼き魚。すまし汁。そして。
煮込み料理も。
由美の手料理は、完璧ではないかもしれない。だが、その中には、家族への愛が満ちていた。
「では、颯太の16歳の誕生日を祝いましょう」
健一が、グラスを持ち上げた。
家族全員が、グラスを持ち上げた。
颯太も、ジュースの入ったグラスを持ち上げた。
「颯太へ。明日からの高等部での新しい生活が、充実したものになるように。そして、新しい友人との出会いが、君の人生を豊かにするように。乾杯」
その乾杯の言葉は、深かった。
親として。そして、一人の人間として。健一が、颯太に託す期待と願いが、その言葉に込められていた。
全員が、乾杯をした。
その音が、結城家の食卓に響き渡った。
ケーキを食べた後。
家族は、テレビを見た。
特に何を見ているわけではなく。ただ、同じ空間にいるという、その事実が大切だった。
由美が、颯太に話しかけた。
「颯太。明日からは、学園でいろいろなことがあるでしょう。辛いこともあるかもしれません」
その言葉は、現実的だった。
新しい環境には、必ず困難がある。
「だけど。あなたは、優しい子です。その優しさを大事にしてください。きっと、その優しさが、誰かの心を温めるでしょう」
由美の言葉。
その中には、母親としての信頼と、颯太への期待が満ちていた。
夜中。
颯太は、自分の部屋で、新しい学園生活に向けての準備をしていた。
制服を整える。教科書を確認する。
だが、心は、明日への不安で満たされていた。
新しい教室。新しいクラスメイト。新しい先生。
すべてが、未知なるもの。
颯太は、窓を開けた。
春の夜風が、吹き込んできた。
4月15日。16歳の誕生日。
翌日は、高等部1年B組。
颯太は、その時点では、知らなかった。
その教室で、自分の人生を変えるような出会いが待っているということを。
蓮との再会。凜との出会い。
それらがすべて、明日から始まるということを。
颯太は、ただ。
家族の温かさに包まれながら。
新しい朝への期待と、不安の中で。
眠りに落ちた。




