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白亜の天使様は離さない。  作者: mukakinoji_


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第十七話

 夏祭りの会場は、光に満ちていた。

 提灯の優しい光が、夜の空を照らし。屋台の灯火が、人々の顔を温かく映し出す。その光は、昼間の日差しとは全く異なる。それは、何かを隠し、同時に何かを浮かび上がらせる光。

 結城颯太は、その光の中を歩いていた。隣には、久世蓮。

 蓮は、学園ではもう見ることのない笑顔を浮かべていた。アイドルとしての「白亜の天使」ではなく。朝ドラで演じた儚い少女でもなく。

 ただ、ひとりの少女としての、屈託のない笑顔。

 その笑顔は、計算されたものではなく。マスメディアに向けられたものでもなく。颯太にだけ向けられた、純粋な笑顔。

「そう……ちゃん、綿菓子食べたい」

 蓮が、まるで子どものようにねだった。その声には、三ヶ月の朝ドラ撮影で失われた、何かを取り戻そうとする必死さがあった。

 毎日、朝4時起床で、深夜まで撮影が続いた。その中で、蓮はどれだけの時間を失ったのか。どれだけの無邪気さを失ったのか。

 だが、この瞬間。夏祭りのこの場所で。颯太の隣で。

 蓮は、その失われたものを、わずかでも取り戻そうとしていた。

 だが、表面的には。

 ただの、夏祭りを楽しむ少女の声。何の重みもない、ただの願い。

「いいよ」

 颯太は、屋台へと向かった。その速度は、自然なものではなく。蓮の言葉に応じるための、意図的なスピード。

 蓮はその後をついてくる。時折、屋台の商品を指差して「これも見たい」と言う。その度に、颯太は立ち止まり、蓮が見やすいようにそちらの方へ向き直る。

 その光景は、二人の距離を物語っていた。

 三ヶ月の沈黙を経て。蓮がようやく、颯太の隣に戻ってきた。その事実。

 颯太の心は、それだけで満たされていた。いや。それ以上だった。

 三ヶ月間、蓮がいない日々。その中で、颯太は蓮のことだけを考えていた。蓮が何をしているのか。蓮が大丈夫なのか。蓮が自分のことをまだ覚えているのか。

 その全てが、この瞬間、確認された。

 焼きそばの屋台の前で、蓮が立ち止まった。

「あ、これ、好きだった」

 蓮の言葉。その中には、幼少期の思い出が含まれていた。

 颯太と蓮が、隣同士に住んでいた時代。その時も、夏祭りに来ていたのだ。小学3年生の時。蓮がアイドルのオーディションに合格する、ほんの数日前。

 蓮がこぼした焼きそばを、颯太が拾った。

 そんな、つまらない思い出。だが、蓮にとっては、何よりの宝物。

 その記憶が、蓮を支えてきたのだ。朝ドラの撮影で、心が折れそうになった時。国民的な期待の中で、自分を保つことができないと思った時。

 蓮は、その思い出を思い出す。颯太が、自分のこぼした焼きそばを拾ってくれた。その動作。その優しさ。

 それが、蓮の心を支えてきた。

「買おうか」

 颯太が言った。その声は、単なる提案ではなく。蓮へのもう一つのプレゼント。新しい思い出の提供。

「うん」

 蓮の返事は、簡潔だった。だが、その中に、何かが詰まっていた。

 感謝。期待。そして、何か別の感情も。

 屋台の店員に注文する。焼きそば二つ。

 待っている間、蓮は颯太の腕に自分の腕を絡めた。

 ごく自然な動作。だが、その動作には、三ヶ月分の時間が凝縮されていた。

 朝ドラの撮影所で。颯太のことを思い出しながら、蓮が毎晩読み返した文通の束。その中に詰まった、10年分の想い。

「ずっと、こうしていたかった」という、言葉にならない想い。

 颯太は、蓮の腕の重さを感じていた。その重さは、決して軽くない。蓮の全てが、その腕に込められているかのような重さ。

 焼きそばが完成した。店員が渡す。湯気が立ち上っている。その湯気は、颯太と蓮の顔を柔らかく照らしていた。

 二人は、夏祭りの奥の方へと歩いていった。

 人目につかない、提灯の光が優しく差し込む場所。その場所は、夏祭りの喧騒から一歩引いた、静寂に満ちた世界。

 そこで、二人は焼きそばを食べた。

 蓮は、うまそうに食べた。その姿は、本当に幸せそうだった。目を細めて。頬を少しふくらませて。それは、演技ではなく、純粋な喜びの表現。

 颯太は、蓮の横顔を見つめていた。

 三ヶ月前と変わったことと、変わっていないことが、混在していた。

 銀白色の髪は、今も美しい。その髪質は、まるで繭から出た絹糸のような質感。颯太がそっと触れたら、どんな感覚がするのか。そう思いながら、颯太は蓮を見つめた。

 青灰色の瞳は、今も透き通っている。その瞳の奥に映る世界。それは、颯太の顔だ。

 だが、その瞳の奥に、何かが増えていた。

 強さ。覚悟。そして、何か別の感情も。

 それは、朝ドラで学んだ「儚い少女」を演じることで得た、何か。その経験が、蓮の目に映っていた。

「そう……ちゃん」

 蓮が、かき氷の屋台を指差した。

「次、あれ食べたい」

 その言葉は、単なるリクエストではなく。蓮がまだ、颯太との時間を終わりにしたくないという、無言の懇願。

 颯太は頷いた。その頷きの中には、蓮のどんなリクエストにも応じるという、無言の約束が含まれていた。

 二人は、かき氷の屋台へと向かった。

 その過程で、何度も人とぶつかりそうになる。夏祭りの人波は、時間が経つにつれ、ますます密度を増していた。

 だが、蓮は颯太の腕を離さなかった。

 むしろ、その力を強めた。

 爪が、颯太の腕に少し食い込むくらいの力で。

 まるで、颯太を手放したら、また消えてしまうのではないかという、恐怖が、蓮の中にあるかのように。

 その恐怖は、根拠がない。颯太は、ここにいる。蓮の隣にいる。消えない。

 だが、蓮にとって、その恐怖は現実だった。朝ドラの撮影中、毎日、そういう恐怖と戦っていたのだ。

「ここです」

 屋台の店員が声をかける。

 かき氷を買った。蓮は、いちご味を選んだ。

「私の好きな色。白と、赤。この二色なら、何でも好き」

 蓮の言葉。それは、単なる味の好みではなく。

 自分のシンボルカラーである「白」と、その対比となる「赤」への、こだわりを示していた。

 白。それは、蓮のアイデンティティ。「颯太以外の何色にも染まらない」という誓いの証。

 赤。それは、何か。血か。火か。それとも、生きることへの執着か。

 颯太は、抹茶味を選んだ。

 緑。その色は、颯太の内面を表しているかのようだった。

 見えない。目立たない。だが、確実に存在する。自然の中に溶け込むかのような、そういう存在。

 二人は、夏祭りの中心へと戻っていった。

 その道中、蓮が時々、颯太に寄り掛かる。意図的なものか、偶然か。颯太にはそれが分からなかった。だが、その温もりを感じることはできた。

 花火の時間が近づいていた。

 提灯の数が増え、人の密度が濃くなっていく。人々の期待が、空気に満ちていた。

 蓮は、颯太の腕をより強く握った。

「迷子になってしまう」という、ごく自然な恐怖。

 だが、それは、表面的な理由に過ぎなかった。

 本当の理由は。

 颯太を手放したくないという、単純で、純粋な想い。

 最高の瞬間を、一人では経験したくない。颯太がいてこそ、その瞬間は完成される。そういう感覚が、蓮の中にあった。

 花火が上がった。

 最初の花火が、夜空を彩る。

 それは、赤。鮮やかな赤。夜空を貫く赤。

 その光に照らされた蓮の顔。その表情は、子どものように驚嘆していた。

「きれい……」

 蓮の声が、花火の音に掻き消されるように聞こえた。

 だが、その一言の中に、三ヶ月分の沈黙が込められていた。

 颯太は、蓮の顔ではなく、花火を見ていた。

 いや。違う。

 颯太は、蓮の顔を見ていた。

 花火を見つめる蓮の表情。その中に、三ヶ月の朝ドラで学んだ「儚さ」と「強さ」が混在していた。

 儚い少女。だが、その少女は生きている。確実に生きている。

 花火は、次々と上がっていった。

 赤。黄。青。緑。紫。

 色彩が、次々と夜空を染めていく。

 その度に、蓮は歓声を上げた。

 その声は、三ヶ月間、朝4時起床で撮影を続けた、その人からは想像もできないほどの、無邪気さを持っていた。

 颯太の心は、その声だけで満たされていた。

 蓮が隣にいる。

 蓮が、自分のそばにいる。

 蓮の声が聞こえる。蓮の温もりが感じられる。蓮の匂いがする。

 その事実だけが、すべてだった。

 他に何も必要ない。学園での日常も。家での時間も。すべては、この瞬間のためにあるかのよう。

 花火が続いた。

 どのくらい続いたのか、颯太には分からなかった。

 時間は、意味を失っていた。

 蓮との時間の中で、秒数も分数も、すべてが融解していた。

 時間は、もはや「数えるもの」ではなく、「感じるもの」に変わっていた。

 最後の花火が上がった。

 それは、大きな花火だった。夜空を大きく染める、幾重にも色が重なった花火。

 その花火が散っていく中で、蓮は颯太に寄り掛かった。

 その動作は、無意識だったのか。それとも、意識的なものだったのか。

 颯太にはそれが分からなかった。

 だが、蓮の体温を感じることができた。

 その温もりが、三ヶ月間の喪失を埋めていた。同時に、これからの何かを予感させていた。

 花火が完全に消えた。

 夜空は、再び暗くなった。だが、完全な暗黒ではなく。星が見える暗さ。月が見える暗さ。

 だが、提灯の光は、相変わらず優しく照らし続けていた。

 人々は、徐々に帰路についていく。だが、二人は動かなかった。

 蓮は、颯太から身を離さなかった。

 むしろ、その距離を縮めていた。

 蓮は、颯太の胸に頭を寄せた。その動作は、無意識のように見えたが、確実に意図的なものだった。

「そう……ちゃん」

 蓮が、颯太の名前を呼んだ。

 その声には、何かが含まれていた。

 質問。懇願。期待。不安。そして、何か別の感情も。

 その声の中に、全てが詰まっていた。

「何?」

 颯太が応じた。その声も、同じくらい複雑な感情で満ちていた。

「好きな人、いますか?」

 蓮の問い。それは、突然だった。

 夏祭りの楽しい空気の中で。花火が散っていく光の中で。最高の瞬間を共有している最中に。

 蓮は、その問いを投げかけた。

 それは、無責任な質問ではなく。蓮が最も知りたかった質問。

 颯太の心臓が、一瞬、止まった。

 好きな人。

 その問いに、颯太は何と答えるべきなのか。

 蓮への想い。凜への想い。その両方が、颯太の中に存在していた。

 朝ドラの撮影で疲弊した蓮のために、何かしてあげたいという想い。その想いは、恋愛的なのか。それとも、別の感情なのか。

「隣の席」で毎日を共有する凜。その存在の大きさ。その重さ。

 だが、どちらが本当なのか。

 颯太は、それが分からなかった。

 沈黙が、二人の間に落ちた。

 その沈黙は、短かったのか。長かったのか。

 時間は、意味を失っていた。

 花火の音は、完全に消えた。人々の声は、遠くなっていた。

 ただ、二人の呼吸だけが、その沈黙の中に存在していた。

「蓮の好きなところ……いっぱいある」

 颯太は、ようやく口を開いた。

 だが、それは、蓮の問いへの直接的な答えではなかった。

 それは、蓮への想いを、ただ、ぶつけるための言葉。

「蓮の字、綺麗だし。蓮の笑顔も好きだし。蓮が頑張ってる姿も好きだし。蓮が眠たそうにしてる姿も。蓮が何か考えてる時の横顔も。朝ドラの撮影で疲弊してる蓮も。すべて、好き」

 颯太の言葉。その中には、蓮への想いが、ただ、ぶつけられていた。

 それは、蓮に向けられた告白であり。同時に、蓮に対する謝罪でもあった。

 なぜなら、颯太は次の言葉を口にしたから。

 だが、同時に。

「凜も好きだ」

 颯太は、続けた。その言葉は、蓮の胸を貫くような痛みを与えるだろう。だが、颯太は言わずにはいられなかった。

「凜の字も綺麗だし。凜の笑顔も……本当の笑顔は、見たことないけど。好きだ。凜が何か考えてる時の横顔も。凜が本性を見せる時も。凜が頑張ってる姿も。すべて、好き」

 颯太の告白。それは、誰への告白なのか。

 それすら、明確ではなかった。

 蓮は、その言葉を聞きながら。

 その言葉の中に、自分も、凜も含まれていることを理解していた。

 そして、颯太が、どちらも失いたくないと思っていることも。

 その事実が、蓮を傷つけた。同時に、蓮の心を揺さぶった。

 蓮の顔が、段々と赤くなっていった。

 その赤さは、提灯の光が反射したものではなく。

 蓮自身の体温が、頬に集中していることを示していた。

 羞恥。期待。そして、絶望。

 それらが、蓮の顔に浮かんでいた。

 颯太は、その蓮の表情を見ていた。

 だが、何もできなかった。

 自分の言葉が、どれほど蓮を傷つけたのか。その現実を、颯太は感じていた。

 だが、それ以上に。

 自分の気持ちを隠すことができなかった。

 蓮の手が、離れた。

 蓮は、一歩、颯太から身を離した。

 その動作は、決意に満ちていた。

 何かが、蓮の中で、変わったのだ。

 朝ドラで学んだ、その強さが。今、この瞬間に、蓮の中で目覚めたのだ。

「蓮?」

 颯太が、蓮の名前を呼んだ。

 だが、蓮は応じなかった。

 蓮の顔は、真っ赤になっていた。

 その赤さの中に、蓮の覚悟が、浮かんでいた。

 蓮は、何かを決断した。それが何なのか。

 颯太には、まだ分からなかった。

 だが、その決断が、すべてを変えるだろうことは。

 二人とも、感じることができた。

 提灯の光が、蓮の顔を照らしていた。

 その光の中で、蓮の瞳には、何か新しいものが映っていた。

 それは、純粋な愛情か。それとも、戦いの決意か。

 あるいは、その両方か。

 颯太には、それが分からなかった。

 だが、時間は、刻々と進んでいた。

 そして、蓮は、その時間の中で、最終的な決断へと進もうとしていた。

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