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アイアンバード  作者:
1/1

異世界に転生したけど冒険をするには一世紀遅かったらしい

 

 ︎︎振り返ると、平凡かつ平和な人生の日々が頭に浮び上がる。青年はベッドの上でひとり懐古し、自らの歩んできた21年の月日を余すことなく思い返す。


 ︎︎サラリーマンの父、専業主婦の母。そんな一般的な家庭で生まれ育った彼は、今まさに病魔に侵され余命幾ばくもない中で、幸せな気持ちに包まれていた。

 ︎︎隣には神妙な面持ちで手を握る父と、泣きながらも必死に笑顔をつくる母の姿がある。そんな愛すべき親を、(たっと)い何かを見るかのように、目を細めて視界に収める。


 ︎︎医療技術が発達した現代であっても、治療法の分からない病気というのは残念ながら存在する。かつてのエネルギッシュなオーラは消えて無くなり、老人のように力の失せた青年の身体を侵すそれも、そういう類のものだった。


 ︎︎完全なる治療は無理でも、病気の進行を遅らせることは出来る。そう医者に伝えられた両親だが、ありとあらゆることに金がかかるのがこの社会だ。治療にも金がかかる。それが単なる風邪程度ならばアルバイトに励む高校生でも払える額だろうが、治療法の確立されていない青年の病魔は、処方される薬や入院費も含めてかなりの高額だ。


 ︎︎少なくとも、平均的な世帯年収を維持することに精一杯な青年の父親の稼ぎでは、到底無理な話である。クラウドファンディングで治療費を募る手段もあるにはあったし、頼れる人脈の全てを使って金をかき集めることだって出来た。


 ︎︎しかして当の息子本人がそれを拒んでしまったのだから、親としては不甲斐ない気持ちでいっばいだった。気にしなくてもいいのに、と笑った息子に対し、はてなんと声をかけたか。父親も母親も、当初は息子のそんな言葉よりもとにかく必死に金のことを考えていたが、最終的に折れてしまった。


 ︎︎先行きの見えない延命に縋るつもりは、自分には無い。青年はそう考えていたし、いざとなればストライキよろしく治療を拒否する強行手段も頭にあった。そんな事を言われてしまえば両親は為す術なく、息子の意思を尊重する他なかった。


 ︎︎告げられた余命は、一ヶ月。しかも”良くて”という枕詞がそこには付いている。担当医を始めとした医療関係者たちの予想に反して四ヶ月も生きた青年であったが、数週間前から身体が動かなくなってしまい、今は小綺麗な白いベッドの住民となっていた。


 ︎︎まるで見えない鎖につかがれているようで、青年は甚だ不満であったが、動かないものは仕方がない。そもそも無理を言って自宅療養させてもらっていた身である。問題があればすぐに再入院というのも、医者との間で交わされた約束であった。


「……俺、さ。生まれ変わったらやりたい事があるんだ」


 ︎︎絶え間ない痛みに襲われながらも、両親に心配をかけまいと平然を装う青年は、中々定まらない視界に若干の苛立ちを感じつつも、今まさに明確に迫りつつあった”死”を前に、思いの丈をぽつりと口にする。


「……なあに?」


 ︎︎子供のように泣いて、泣き喚いて、潰れてしまった喉を震わせて、母親は彼に問いかける。親としてもっと話したいことも、言いたいことも沢山あるけれど、徐々に力が抜けていく様を間近で察してしまったからだ。ああ、これは息子の遺言なのだと。


「世界を回りたいんだ。色んな国の、色んな人と会って、色んなことを知りたい」


 ︎︎長い長い入院生活で暇を極めていた青年にとって、唯一の娯楽は読書であった。この病気が発覚する前は読書なんて一切せず、むしろ外で遊ぶ事の方が多かった青年であるが、何で今までしてこなかったと後悔するくらいには、本の世界に夢中になっていた。


 ︎︎ジャンルは様々だ。フィクションもノンフィクションも、推理小説もホラー小説も、時には恋愛小説も。生粋のアウトドア派であった青年とは違って、読書家を自称するほどには読書を日課としていた父は、国内外様々な書物を有していたことは青年にとって幸いと言えよう。

 ︎︎今までは敬遠していた純文学も、その舞台となった時代の歴史的背景や著者の人生まで含めて読み進めると面白いものばかりだった。そうして様々な本に触れるうちに湧いてきた青年の願望──というよりも、漠然とした夢だろうか──は、死に瀕する青年が抱くにはあまりにも不可能な話であった。


 ︎︎世界を回りたい、世界を知りたい、文化を知りたい、歴史を知りたい。

 ︎︎でももう今の自分には無理だからと。せめてもの囁かな願いとして、青年は来世への期待を口にした。天国に行けるとは思っていないが、かといって地獄に落とされるような悪いことをした覚えはない。


 ︎︎ならば、自分に来世があってもいいんじゃないかと、青年は思ったのであった。


「そう……いい夢ね」

「世界一周旅行か。ああ、確かにお前なら出来るさ」

「……そうかな。そうだと、いいけど」


 ︎︎死が怖くないと言えば嘘になる。本当はもっと生きたいし、やりたいことだって山ほどあるのだ。けれど現実は非情で、この世界はそんな人として当たり前の願いすらも叶えてくれない。


 ︎︎……ああ、でも。もし生まれ変わっても、また二人の子供になれたら一番嬉しい。


 ︎︎それが青年の心の底からの本音。色々と迷惑はかけたし、心配も現在進行形でかけているが、それでも青年は二人が自分の親であることに深く感謝していた。︎

 ︎︎時間が経つにつれて意識は混濁し、視界は朦朧とする。もう両親が握っているであろう手の感触はないし、身体から大事な何かが消えていく感覚だけがあった。


 ︎︎何とか最期の言葉だけは伝えようと必死に口を動かし、青年は愛すべき父母にしっかりと別れを告げる。さようなら、と。



──そうして東京都内のとある病室で、青年は息を引き取った。享年21歳、多くの人々に惜しまれつつもその命を尽くした瞬間であった。


 ︎︎子を喪った母の慟哭も、子を喪った父の声にならない声も、青年にはもはや届かない。






■■■




「華やかなりし冒険の時代は終わり、鉄と蒸気の新たなる世が幕開いた。我々は今まさに、歴史の転換点に立っているのだ」


 ︎︎哲学者や法学者として東クラニキア王国に名を馳せていたトーマス・ジャクソンは、産業革命により目覚しい発展を遂げる自らの故郷を見て、教え子たちにそう語ったという。


 ︎︎凶悪な魔物たちの軍を率いていた魔王を倒さんと奮起し、幾多の冒険者が歴史に残る死闘と冒険を演じたのはもはや百年以上も前のこと。

 ︎︎魔王討伐という歴史的大偉業を成し遂げた英雄もその後は行方をくらませ、絶対的正義と絶対的悪の象徴を共に喪った世界は混乱に見舞われた。


 ︎︎それまでは憧れの対象だった冒険者という職業も、英雄の失踪と魔王の死を契機に、市民からは単なる荒くれ者の集まりと揶揄されるようになった。


 ︎︎冒険者の活動を支援するために国家は多額の予算を組んでいたものの、魔王が討伐されたことでその必要性がなくなったことも影響して、国からの扱いも悪くなった。それまでは多額の補助金で資金繰りをしていたギルドは、以後は国の隅々まで冒険者への依頼を自ら集るようになったものの、魔王討伐後は魔物の活動も散発的になった。人語を解するほどの知能を持った魔物が、魔王が討伐された時期に当時の冒険者たちが軒並み駆逐してしまったからである。交易キャラバンの護衛を除けば、村や街の自警団で事足りるレベルに収まっていた。


──つまるところ、自らの存在意義を声高々に叫び続ける冒険者ギルドは、多くの市民にとって単なる既得権益者にしか見えなかったのだ。


 ︎︎有史以来続いてきた魔物との生存戦争に勝利した人類は、自らの文明の発展に力を注げるようになり、それはあらゆる知識と技術の発展も意味している。冒険者の社会的地位の低下は、産業革命という時代の象徴的な出来事といえよう。



──さて、世界で初めて産業革命を成し遂げた国である東クロキニア王国であるが、同国南部のカルヤ州に生まれたアイザック・ウィリアムは、近所の人々からは天才児として有名だった。


 ︎︎三歳で流暢な言葉を話し、五歳で文学を読破し、七歳で中等教育レベルの算術を完璧にマスターしたというその幼い秀才は、地元の新聞からの取材も受けるなどして、両親からの期待を一身に背負って育った。


 ウィリアム家は十年前に建設された紡織工場で働く労働者の家庭であり、革命主義者のいう社会階級で区分するならば所謂ワーカーに値する。故に今後次第では大学機関への入学も夢ではないと思える子供の存在は、両親の自尊心を偉く高め、彼らは愛情と期待を込めてアイザックを育ててきた。


 しかし、その当の本人はというと……、


「(あ”あ”あ”! スマホ触りたいゲームやりたい音楽聴きたいよぉ!!!タバコ吸わせろボケッ!!)」


 七歳児にあるまじき感情の発露に、身体を震わせていた。当然ながらスマートフォンもゲーム機も”この世界”にはまだ存在していない、遠い未来の技術の結晶である。しかしながらアイザック少年がそれを認知して強く欲するのには、ある訳があった。



 前世の記憶──こことは違う別の世界の、日本という国で生まれて死ぬまでの、21年間の記憶がアイザックにはあった。何も成し遂げることなく死んでしまった後悔や無念、死の間際に零した愛情。その全てがこの少年の精神に染み付いているのである。


 三歳になる年には既にこの前世の記憶を自覚していたが、問題なのはアイザックにとってこの世界がその前世の記憶の中にある世界と全く別の様相を示していたことだ。


 記憶の中にある世界。それは地球であり、七つの海であり、五つの大陸である。しかしてどうだろうか? 現実の、アイザックが一つの生命として生まれ落ちたこの世界はそれらの記憶とは全く違うのだ。


 記憶にない大陸、記憶にない国、記憶にない民族──しかも”魔物”やら”冒険者”やら、何やらファンタジーチックな用語も平然と飛び交う社会である。

 西暦2020年代に生きた一般的な現代人の精神と記憶を持つアイザックには到底理解し難く、また受け入れ難い、正しく異世界であった。


「アイク〜? ご飯よー!」

「……はーい」


 俗に言う異世界転生──というには不明瞭な点がいくつもある。元よりかつては大学生として勉学に励んでいたアイザックだが、前世で死する前、長きに渡り入院していた頃は様々な本を読んでいた。その中には親しい友人から貸してもらったライトノベルもあって、こういう展開の作品も読んだ記憶がある。


 流石に内容までは覚えていないが、死後に神様と出会ってチートを持って転生的な流れは知っている。だがアイザックはそのような超常的存在と会った覚えは無いし、そもそもたかが中学高校レベルの知識がいわゆるチートに値するはずもない。


──故に、アイザック少年は結論付けた。


「世の中不思議なことがあるもんだなぁ」


 専門家でもない、サブカルチャーに詳しい訳でもない、単なる前世の記憶を自覚してしまった一般少年は、難しいことを考えるのをやめたのである。



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