第4章 第7話 アディーエ帰還
東方戦線への物資の輸送や援軍を終え、ようやく領都アディーエに帰還すると、イクシス・ワトソンの圧の強めな笑顔で迎えられた。彼の目の下の隈が酷い事になっている。
「まずはお帰りなさいませ。ご無事なご様子、お慶び申し上げます」
「お、おぅ」
「国防のため立派に戦ってきた≪魔境伯≫ご夫妻には、身体と心を休めるお時間が必要かと存じますが。先ずは執務から片付けてください」
「え?今の流れはお休みもらえるんじゃなく?」
「執務が済んだらどうぞ?」
魔境伯夫婦の不在に振り回されっぱなしのイクシスは、二人に対して良く効く圧の笑顔を身に着けていた。
◆◆◆◆
ユイエとアーデルフィアが執務室に館詰にされること2週間。執務室に用意されている寝室でしか眠れていなかった。
「鉱山族じゃないんだから、職場に住むのはキツイんだけど」
アーデルフィアがボソッと愚痴る。
「あー、今さ。執務室の寝室なら寝るのも許されるだし、寝れるだけありがたいって思考が過ったんだけど」
ユイエが生気の抜けた目で返事した。
「順調に調教されてるね?おかしいなぁ、領地持ち貴族ってもっとこう……優雅な生活できるもんじゃないの?」
アーデルフィアも生気の抜けた目で疑問を挟むが、ユイエが首を横に振るのが視界に入る。
「それな。そう思うじゃん?でも思い返すとさー、父上と義父上も大体執務室か応接室に居たよね。領都と皇都と行ったり来たりしてたし」
アーデルフィアが手を止めて天井を見上げた」
「あー、そうね。家督継がないからって自由にさせてもらってた子供時代が、一番優雅だった時期ってなる?」
「でも子供の頃って言われても、修行しかしてなかった気がするけどね?」
「とりあえず文官増やそう、文官。そしてイクシス君の決裁権限をもっと上位の判断まで出来るようにして、イクシス代官が領地を回してくれてます、みたいな状況を作ろう」
「代官か……。良いね。上前撥ねるだけの悪徳領主でも目指そうか」
「馬鹿言ってないで仕事してください」
「「あ、はい」」
イクシスに叱られて仕事に戻った。
二人はイクシスとその部下達と手分けし、情報共有しながらコツコツと書類をさばいていった。
◆◆◆◆
一方その頃。
サテライト1とサテライト2では、新しい防壁が完成していた。防壁内に農場や仮設住宅などが並び、鉱山族達が日々上下水道や浄水設備などの都市インフラを整備している。
上物となる建築物は鉱山族達の協力も得つつ、基本的には他種族の建築経験者達が協力して建物を作っている。
仕事があれば人は集まり、人が集まれば仕事が増える。≪樹海の魔境≫の持つ豊富な資源も東方辺境伯領やマインモールド領に流れて外貨となり、物々交換が基本だった魔境にまともな経済の流れが出来つつあった。
また、アディーエでは皇都から連れてきた孤児とその指導者達が文字を教え、計算を教え、農業を教え、スラムでは生きるために必要だった悪事も成りを潜めて、少しずつ健全な生活へと馴染んで行った。
皇都では東方辺境伯領のプロテイオス辺境伯からリカインド宰相、マインモールド領のジェスタ大公、樹海の魔境のドラグハート魔境伯への感謝を記した書状が届いており、特にドラグハート魔境伯の戦略物資の輸送ならびに翼竜兵を駆逐した竜騎兵の活躍については詳細に報告がなされていた。
リカインド宰相から回ってきた書状から目を離し、ミヒャエル皇王が執務室の椅子に深く身を沈めると、目を通した書状をカミュラ皇女に手渡した。
「魔境伯のお陰で東方の国境戦線は失地を取り戻し、落ち着きをみせるようになった。ドラグハート魔境伯の隠し玉がここまで戦果を上げるとはな。ここまで期待値越えが平常運転では、次代の魔境伯の荷が重すぎるのではないかと心配にもなるな」
書状に目を通しながらカミュラ皇女が訂正を入れる。
「お父様。次代も何も、魔境伯家にはまだお世継ぎがおりませんよ?」
「そうか、そうであったな。子宝に恵まれにくい上位耳長族が正妻なら尚の事か」
「そんなに心配であれば側室でも娶らせれば良いのでは?」
「ドラグハート魔境伯夫婦の間に割って入って、上手くやれるような剛の者に心当たりがあるのか?」
「割って入らずとも、あのお二人と並び立てる者であれば良いのでは?武力面では勝負にならないでしょうが、あの夫婦が苦手な政務の面で支えられる者は受け入れられやすいかと」
「政務面で支えられる人材か。エドワードの甥っ子が潜り込んでいる筈だが、あの陣営には確かに不足しておろだろうな」
「まずは政務官や暗部の諜報員として懐に入り、関係構築から始めるという事で幾人か連れて行ってみましょうか?」
「ふむ……。魔境伯家に害虫が入り込むよりは余程マシか。任せよう」
「畏まりました」
皇室の意向でドラグハート魔境伯家への政務官の援軍が送られる事が決まるのだった。
◆◆◆◆
後日、皇室からの召喚状が届き皇都へと向かうことになった。皇室からのお呼び出しという事で、流石のイクシスも魔境伯夫妻を執務室に館詰めしておく訳にもいかず、皇都行きの準備が行われた。
「久しぶりの娑婆の空気は美味いぜぇ」
ぐっと伸びをしながらアーデルフィアがそういうと、イクシスがムッとした様子で返す。
「服役してた様な言い方は心外です。ただのお仕事ですよ?」
そんなイクシスに苦笑いを浮かべたユイエが宥めるように言う。
「私達にあの量の執務は刑罰を受けている気分になるってだけだよ。向いてないの、分かるでしょ?」
イクシスは渋々と頷く。
「それは、まぁ……。お二人の真価が戦闘行為にあるってのも分かってはいますけどね?」
「何はともあれ、今回のお呼び出しでは東部戦線の件での事だろうから、文官の増員をお願いできるチャンスだよ。リカインド宰相も何かしらイクシス君の負荷を減らす方向で調整してくれるんじゃないかな?」
ユイエの希望的観測にしばし瞑目し、目を開いたイクシスが言う。
「叔父上はあれで結構なスパルタでして。苦労は若いうちに買ってでもしろって言いそうです。皇室の方にお願いできたら、そっちの方が確率は高いかもですね」
折角の皇都行きなので、今回はイクシスに同伴してもらっている。イクシスもリカインド宰相と話をする良い機会になるだろう。
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