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冷たい雨

 暗い部屋の中で、恵美は絶望の中にいた。亜美の部屋でうずくまったまま、動くことができなかった。

 墓参りに行くという両親の声も、恵美にはほとんど聞こえなかった。

 四年前に自分のしたことの罪の深さを思い知る。たった一度のことだった。たった一瞬の出来事だった。


 それがこれほど重い。


 自分にこれほど失望したことは、今までなかった。恵美の人生で、何度も後悔や自嘲を感じたことはあっても、これほど大きな失望は初めてだった。

 亜美を救うどころか、亜美をこの世界から消したのは自分だった。

 未来を奪ったのは、直樹を奪ったのは、自分だった。

 感じるはずのない怨恨を感じて止まない。どれほど亜美が自分を恨んで死んでいったか。想像もつかない。 


 償ってすむなら何でもする。

 死んで亜美の気がすむなら、こんなに簡単なことはないと、恵美は本気で思った、


 亜美が望むなら、死んだほうがいい。

 

 思考はとうに停止していた。

 恵美の目だけは、一点を見続けていた。何も語ることはないその笑顔だけが、視界に映り続けた。


 …行かなきゃ


 自分で呟いた声すら、理解できなかった。呟いたことすら、今の恵美は気づいていなかった。

 無意識のうちに、家を出る。

 目は確かにものを映しているはずなのに、それは恵美の脳に届こうとはしなかった。歩くたびに動く視界は恵美にとってはまったく意味の無いものでしかありえなかった。

 

 冷たい雨が降っていた。

 気づくと、明治通りを原宿から渋谷に向かって傘もささずに歩いていた。

 一体どうやってここまで来たのか、思い出す事ができない。

 雨の雫が、前髪からぽたぽたと滴り落ちていた。寒さも、冷たさも何も感じない。

 足は、勝手にある場所に向かっていた。

 どこへ行こうとしているのか、はっきりわかっていた。

 そして、自分が何をしようとしているのかも。

 冷えきった体と心はひどく冷静で、これから自分がやろうとしている事を受け入れていた。

 着ていたスウェットは雨を完全に吸いきって、鉛のように重かった。街中にはそぐわない格好に、周りの人々は怪訝な表情を向ける。何か、汚いものを見ているかのような視線で。

 まるで、刑に処される囚人のようだ。

 それでも、歩き続ける。あの場所に向かって。

 不意に、思い出が蘇った。

 この道を、二人で歩いた思い出が。

 いや、自分の思い出ですらない。あれは、自分のものではないのだ。


 初めてのデートだった。

 「恵美ちゃんかわいかったら紹介して」

 そう言っていた直樹を思い出す。

 「ドッペルゲンガーに気をつけろよ」

 三月のまだ冷たい雨が降る中、思わず笑みがこぼれる。

 …そうか。恵美が恵美に会ったから、亜美が死んでしまったのか。直樹の言うとおりだったのかもしれない。あの瞬間、恵美が二人存在してしまったせいで。

 

 私のせいで、亜美は死んでしまったのだから。

  

 会いたくて、会いたくて、恋焦がれていた人にはもう二度と会えない。

 会う資格すら、自分は持ち合わせていなかった。


 あの人が、私を許すはずがない。




 雨はすでに恵美のすべてを浸食していて、雨を含んだスウェットが行手を阻むようにずしりと重い。

 それでも、歩き続けた。ある場所に向かって。


 恵美は亜美の死んだあの交差点にいた。 

 

 途端に激しい吐き気がした。あの夢を見てから、ずっと吐き気がとまらない。

 自分に、吐き気がする。

 雨が頭の上から降り注ぐ。その冷たさが、むしろ心地いい。寒さも何も感じない。ただ、頭が冷えていく。嘔吐を、抑えてくれる。

 交差点の信号が、赤に変わった。停車していた車が動きだす。

 

 行かなきゃ。亜美が倒れたあの場所へ。

 自分が夢で倒れたあの場所へ。

 

 恵美は、死へ向かって、歩き出した。



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