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最後のデート

「さて、今日は何する?」

 私と亜美の誕生日前の、最後の日曜日。私と直樹は新宿で待ち合わせをした。付き合ってからは、お互い他に大事な約束が無ければ毎週のように会って、デートをしていた。それが決まり事のように。

 ただ、ブラブラと歩くだけの時もあった。何時間も、カフェで喋っていた時もあった。一日中抱き合っていた時もあった。


 これが直樹との最後のデートになるかもしれない。 


 直樹に聞かれて、私は少し考えて言った。

「…海に行きたい」

「海?」

「鎌倉に行きたい」

「鎌倉ぁ?なんで?」

 直樹は予想外の私の答えに驚いていた。

「三年の初めに遠足があるんだって。イノッチによると鎌倉にいくらしいのよ。行きたいじゃん」

「だって遠足で行くんでしょ?」

 直樹はきょとんとして私を見た。

「いいの。行きたいの」

 だけど頑として私は譲らない。直樹が溜め息を一つついて、私の頭をぽんぽんとやさしくたたいた。

「じゃあ行くか」

 私の頭にのせていた手が、頬に移動して私のほっぺたをつねった。そのまま手は下に落ち、私の左手を直樹の右手がしっかりと握る。

 ひんやりとした冷たい手が、心地いい。

 

 新宿駅の改札を通り、二人で横浜へ向かうホームに降りた。

 電車に乗り込むと、暖かな空気に包まれた。直樹に無言で促され、空いていた端の席に座る。直樹が暖かい笑顔で私を見下ろした。    

 私もその行動に思わず笑顔で答える。ジェントル直樹。

 新宿から三つほど行った駅で、隣が空き、直樹が腰を下ろした。

「外寒そうだよ」

 右隣から直樹が窓の外を眺めて言う。

「いい天気じゃん」

「いい天気の時のほうが寒いじゃん」

 私は雲のない薄い空を見て、確かにとつぶやく。

「でも海行くの?」

 めんどくさそうに言う直樹を軽くにらむ。

「行くの!」

 そう言う私を直樹は笑う。

 横浜で乗り換えて、また何本か電車に乗り、鎌倉駅に降りた。

 寒さで潮の香りは薄い。海へ向かって歩く。

「海だ」

 直樹が隣でつぶやいた。私も同じ方向に目をやる。

 深く、濃い海が見えた。

 たぶん、亜美はもう二度と来ることの無い海。

「亜美、近くいこ」

 あれほどめんどくさそうにしていた直樹がいざ海を目の前にするとはしゃいでいる。

 砂浜を二人で走る。

「おー誰もいねー」

 見渡す限り海が広がる。遠くに犬の散歩をしている人が見えた。

 寒さに身を縮めながら、直樹がうれしそうに笑った。

「寒い」

 寒さで思わず直樹にくっつく。

 直樹が笑って私の肩を抱く。

「だから寒いってあれほど言ったじゃん」

 二人でくっつきながら砂浜を歩いた。波の音が、異常に静かに感じた。

「なんか飲み物買ってくればよかったね。あったかいの」

「じゃあ、じゃんけん」

 飲み物を買ってくるじゃんけんで、見事私は勝利した。

 一人になると、さっきの倍寒い。少し先に堤防が見えたので、歩いていってそこに腰掛けた。

 飲み物を買いに行った直樹が見えなくなり、浜辺にたった一人になっていた。

 たった一人の孤独。亜美が死のときに感じた孤独は、どんなに辛いものだったか。急に襲われた喪失感に、恐怖感に、手が震えた。

 消えることが、この夢が終わることが、怖い。冷たすぎる手に、息を吹きかける。

 汚れた海でさえ、離れがたく思う。

 亜美は、今、何を思っているのだろうか。こんな私を見て。

 消えるのがひどく悲しいと同時に、亜美への罪悪感が痛い。直樹に恋する気持ちが苦しい。自分の中で、たくさんの矛盾が生じている。

 亜美が生きていたら。生きていたらよかった。私のくだらない嫉妬なんてほっといて、直樹と幸せになって。

 そしたらきっとこんな醜い感情を味わったりしなかった。

 亜美を愛しているのに。きっと、この世で一番大切な人だった。それなのに、感情を抑えられない。

「待った?」

 突然直樹に後ろから抱きしめられた。あたたかさに涙がこみあげる。

「はい。紅茶でいい?」

 私の肩に抱きながら、そのまま隣に座った。どうして直樹が隣にいるだけで、こんなに周りの温度が違うのだろう。さっきの寒さがうそのようだ。

「ありがと」

 熱いほどの缶紅茶を開ける。あたたかい熱気が入り口から溢れていた。

「あったかい…」

 ほっとしたような、あきらめたような。気持ちが一気に落ち着き、泣きたいような気分だった。 

「犬欲しいなぁ」

 直樹の言葉に、振り向いた。直樹の目は、まっすぐ海を見つめている。

「犬?なんで?」

「散歩したい。犬連れて」

「何犬?」

「お前何犬?て。なんか洋風な犬がいい」

「えー柴犬とかかわいいじゃん」

「かわいいけど。なんかこう…アンドレっぽいのがいい」

「意味わかんない。何アンドレって!ベルばら?」

 私の爆笑に、直樹が顔をしかめる。

「なんかとにかくでかいのがいいの!ゴールデンレトリバーとか」

「じゃあ名前はアンドレね」

「決定かよ」

「それで散歩は浜辺でしょ?」

「じゃあ家はこのへんに買おう」

「一軒家?」

「だってアンドレがいるからマンションは大変じゃん」

 その言葉にまた笑う。すでにアンドレを飼う気満々な直樹がかわいい。

「アンドレにあわせて、なんか洋館っぽい家がいい」

 私も直樹の夢にのっかって、思いをめぐらせる。

「洋館?」

「かわいいじゃん。そんで庭に秘密の花園を作るの」

「…何それ。てかどんな金持ちだよ。どんだけ庭広いんだよ」

「がんばって稼いでね」

「わかりました可愛い奥様のために馬車馬のように働きます!」

 二人で夢見がちにクスクス笑った。

「じゃあ、今度の遠足で下見でもするか」

 夢だ。

 きっと直樹は冗談でそう言った。

 私たちの未来の一軒家。高校生のカップルが語る夢なんて、叶うことはないと私は知っている。わかっている。ただの「夢」なんだってことは。

 遠足には、きっと直樹は行かないかもしれない。

 死んだ彼女と最後に行ったデートの場所になってしまうから。

 そうなってしまうとわかっていても、行きたかった。私の自己満足のために、わがままのために、直樹を道連れにした。

 わかっている。どんなに自分が酷いか。


 それなのに。


 直樹が話す未来が、「未来の私たち」が、どんなに欲しいか。

 そんな未来が、どんなに愛しいか。

 あなたの未来に、いたい。

 私の未来に、あなたにいて欲しい。

「亜美?」

 愛しくて、苦しくて、笑いながら泣いていた。

 直樹の目が、不思議そうに私を見ている。


「…あたしが消えても…してくれる?」


「え?」

 自分勝手なことを言っている。ひどく、醜いことを言っている。

「なに?」

 直樹が隣から私を覗き込む。

 目を合わす事が出来ない。

 薄い空と混ざり合うことの出来ない汚れた深い海の間を見つめる。涙を抑えながら。

「私が消えても…また見つけ出してくれる?」

 なんて残酷なことを言っているのだろう。

 胸が苦しい。醜い。自分が汚い。

 それでも、言わずにはいられなかった。言わなければ、苦しくて死んでしまいそうだった。言葉が溢れて仕方なかった。

 たった一度だけの、直樹へのわがまま。

 たった一言だけの、亜美への裏切り。

 許してなんて言えない。直樹の夢を見ることすら、亜美を裏切っている。直樹のことを好きになればなるほど、亜美を裏切っていく。

 直樹をも、苦しめる。

 私が、「亜美」が死んだ後、この言葉に直樹がどれほど縛られてしまうか。

 それでも、言わずにはいられなかった。

「亜美?」

 直樹が不思議そうに私を見る。私は顔を見られないように直樹の腕に顔をうずめた。コートに涙の染みがつく。

「どうしたの?」

 消えてしまうなんて、誕生日に亜美が死んでしまうなんて、言えるはずが無い。信じるはずがない。


 それでも。


 探し出して。


 私を、探し出して欲しい。

 現実の世界で、「恵美」を、見つけ出して欲しい。

 そう思ってならない。そう思わずにいられない。苦しくて。直樹が欲しくて仕方ない。

 今、この瞬間だけは、そう願ってもいい?

 亜美、ごめん。この瞬間だけ、そう願わせて。

 私が「亜美」でないことを知っているのは私しかいない。

 直樹に、恵美を見つけ出せるわけがない。

 わかってるから。

 叶うなんて思わない。思わないけど、想いたい。

「お前はずぶといから消えたりしないよ」

 直樹が私の耳元であたたかく言った。まるで泣きじゃくる子供をなぐさめるみたいに、なだめるみたいに、背中をぽんぽんと叩きながら、私を抱きしめた。

 私は声を上げて泣き出したい気持ちを精一杯抑えて、子供みたいに言った。

「言ってみただけ」

 

 海を見て、直樹に抱きしめられて、何度も時が止まればいいと思った。

 初めて、苦しいくらいの恋をした。自分以外の人間を、本気で愛した。本気で愛しいと思った。その人に、愛されることができた。

 生まれて初めて、幸せだと思った瞬間があった。きっと人生で、そう思えることは少ない。

 親友と呼べる友達が、たくさんいた。修学旅行を再び味わえた。泣きたくなるほど幸せなクリスマスも、お正月も過ごした。

 夢の中で、何度も泣いた。何度も笑った。何度も直樹に恋をした。


 これ以上、何を望む?


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