事の劈頭
________何処からか、私を呼ぶ声が聞こえる......。
只今の時刻は、午後10時を少し過ぎた頃、学習塾からの帰り道。平々凡々な私が誰かに呼ばれることはほとんど、どころか絶対に無い。特に、男とも女とも、若者か老人かも判断のつかない声の持ち主は知り合いには一人もいない。そのようなことは、少し考えればわかることだろうに、あろうことか私の身体は、声の方向へと歩いていた。その事実に気付き、引き返そうとしたが体は声の方へと引き寄せられていく。________まるで、何者かが私の身体を操っているかのように。
どれくらいの時が経ったのだろうか。ふとした瞬間、身体の自由が帰ってくる。走って家に帰ろうとしたとき、私は見知らぬ山奥の暗闇に一人で佇んでいることに気付いた。この様なところまで来てしまっては、どう帰るかすら分からない。しょうがないので、聞こえてくる謎の声に従う。声に従い足を進めることわずか5歩。突然私の足は空を踏む。その事に気付いたときには既にもう一方の足も地面を離れていた。そう認識した瞬間、私の身体は深い闇の中に吸い込まれていく。私は死を覚悟した。この時脳裏に浮かんだのは家族でも友達でもなく昨日見た桜の華。美しいはずの東雲色のそれは、どこか寂しげな顔をしていた。