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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

鳳凰の庭

作者: 永井 華子

細かい時代設定はありませんので、時代考証的な不備は無視してお読みいただければありがたいです。よろしくお願いします。

 その男は荒れ果てた城壁に似合わぬ小綺麗な装いで、黄昏時にふらりと現れた。都の南の入口である鳳凰門は門番が居なくなって久しい。流人も夜盗も入り放題だが、都城に侵入したところで、もはや強奪するものもない有り様だ。


「珍しい。こんな立派な武人を見るのは何年ぶりかな。兄さんはどこから来たんだい」

 門の脇に座り込んでいた老人が男に声をかけた。老人を屍人だと思っていた男は驚いたが、顔には出さずこたえた。

柴門関(さいもんかん)にいたんだが、もはや関所の(てい)をなしていない。行くあてもないから、都でも見てみようかとやって来たわけだ」


 老人はカッカッと喉を鳴らした。甲高い耳障りな音に男は眉をひそめる。

「物好きだな。物見遊山に来る奴なんて、武人以上に久方ぶりだ。さて、ここが天下の華正国(かせいこく)の都、嘉承(かじょう)だよ、さぞがっかりしただろう」

「いや、期待して来た訳ではないからな。こんなものだろう、思っていた通りだ。これを目に焼きつけるために来たんだ」


 夕陽を背にした男の顔は暗く、表情を読み取ることはできない。だが、老人の眼も大して見えていないのだろう。男の言葉に片方の眉を上げた。

「ふうん。生きた人間を見るのはさらに久しぶりだ。どうだい、兄さんの腰の瓢箪は酒じゃあないのかい? それをくれるなら、(さかな)にちょっとした話をしてやるよ。せっかくの都見物だ。手ぶらで帰るよりはマシだろう。水じゃならんがな」


 男は二つある瓢箪のうち、赤い紐のついた方を老人に投げてやった。

「安酒だが、安い肴にはちょうどいいだろう。つきあってやるよ、どうせこの先どうするかも決めてはいないからな」


 老人は受け取った瓢箪を振って中身を確認すると、ヒッとまた耳障りな音を立てた。

「だいぶん昔の話だよ。長くなるかもしれねえが、時間はたっぷりあるだろう。ここじゃ暗くなる、中で話そうか」


 立ち上がった老人について男は城門に入った。門の中にはかろうじて雨風はしのげるか、という程度の土壁に囲まれた部屋があった。もとは門番の詰所だったのだろう。土間の隅に火をつけて、よろよろと座り込んだ老人は、瓢箪の蓋を引き抜くと口をつけた。

「安酒でも酔える話だ。兄さんの方は水かい? それでも酔えるかもしれねえな」

「随分ともったいぶるじゃないか、そうやってここに来る奴らからいろいろ巻き上げてるのか」

 男は腰に残った白い紐の瓢箪から一口飲むと、老人の向かい側に腰を下ろした。


「ここへ来る奴なんて、死にかけの流人ばかりだ。巻き上げる金も酒もあるわけないさ。みんな外で髑髏(しゃれこうべ)になっちまったよ。さあて、昔むかしのそのまた昔だ。三十年以上前だ。兄さんはまだ(むつき)を着けてるか、お袋の腹の中ってとこだろう……」



 華正国皇帝の正妃が懐妊して十月十日、産気づいたという知らせが朝儀の席に届いた。若き皇帝にはまだ皇子がなく、妃嬪に産ませた数人の皇女があるのみ。嫡男の誕生、しかも正妃の腹なら申し分のない皇子である。居並ぶ臣の誰もが、そして皇帝自身も、今度こそは皇子であってほしい、いや皇子であるはずだと信じていた。


 朝議が終わり、政務の時間になっても皇帝と臣らは席を立つことなく、吉報を今か今かと待っていた。太陽が南中し、男たちの忍耐も頂点に達しようかというとき、甲高くひっくり返った大きな声が宮中に響き渡った。


「鳳凰にございます。只今、鳳凰門の屋根に鳳凰が舞い降りました。皇子のご生誕、聖帝の誕生、皇帝陛下万歳!」


 鳳凰は四霊の瑞鳥であり、徳高き天子の治世に現れるという。御子の誕生にあわせて起こった瑞兆、待ち望んだ皇子が聖帝となる。

 群臣は一様に興奮して「皇帝陛下万歳!」「おめでとうございます!」「聖天子万歳!」と次々に叫んだ。

 皇帝はさらに大きな声で「でかした!」と叫び、走り出さんばかりの勢いで後宮へと向かった。皇帝が後宮の入り口に到着したとき、子の誕生を知らせる大きな銅鑼(どら)の音が鳴った。


「皇子はどこだ! 皇后! よくやった!」

 侍医や薬師が驚き慌てて礼をとる中、皇帝は床を踏み鳴らして寝台へ近づいた。

 深々と叩頭し、震える女官がか細い声を発した。

「……恐れながら、陛下、御子は皇女殿下にあらせられます」

 宮中には怒号のような「皇子殿下万歳!」の声が響き渡っていた。


 父帝が、次弟に(そそのか)された長庶子に(しい)されたのは五年前。その叔父と長兄を断罪し、帝位について四年、皇帝は宮廷をやっと自らの掌中に収めつつあった。

 未だ燻る叛意の(うず)み火を、ここで再び大火とするわけにはいかない。足りないものは多く、中でも懸案であったのは皇太子の不在である。それが満たされたと宮中が慶びに湧いている。慶賀の波はすぐに都の隅々へと広まり、もはやとどめることは叶わないだろう。


 皇帝自身、待ち望んだ皇子の誕生が虚言であったとは信じたくない。だが、鳳凰門に鳳凰が現れたとはどういうことだ? 皇子でないならばなぜ? 叫んだのは誰だ?

 さまざまな疑問が湧き上がる皇帝の前に、女官が布に包まれた赤子を抱いてくる。皇帝は「見せろ」と静かに命じる。

 女官は白い布を開いて、赤子が女児であることを示した。


 皇帝は恐ろしく冷静だった。静かに腰の太刀を抜き、まず侍医たちの首を刎ねた。次に薬師を切り、悲鳴を上げかけた女官たちも切り捨てた。

 静まり返った部屋の中、寝台に横たわる皇后と赤子を抱いた女官の二人だけが、息を必死に飲み込んで惨劇から目を背けていた。右の頬に返り血を浴びた皇帝は、厳かに一言だけ発した。


「赤子は男児である。よいな」


 寝台の上で震える体を、自らの両手でかき抱きながら皇后がこたえた。

「陛下の御心のままに」

 一人残された女官は、赤子を抱きしめたままひれ伏した。


 それから十年、生まれながらに聖天子とされた()()は、その名に潰されることなく成長し、期待を裏切ることのない立派な皇太子となった。

 国中の誰もが永く平和な繁栄が続くことを信じている。

 皇太子自身も、己が聖帝と期待されていることをよく知っていた。国を更なる繁栄に導く皇帝となることを疑わず、日々勉学に励んでいた。

 それを見つめる皇帝ただ一人が、この薄氷の上に広がる平穏をどうすれば引きのばせるのか、気が狂いそうになるほど思い悩んでいた。


 皇子の秘密を知る皇后は心を病み、今では後宮で軟禁されている。せめてほかの妃嬪に男児が生まれれば、皇太子は病死したことにでもすればよい、と考えていたのだが、やはり生まれてくるのは女児ばかり。

 なによりも、皇太子がまるで瑞兆が本物であるかのように優秀であったことが、より皇帝を悩ませた。まだ幼いながらも文武に秀で、師と対等に議論する。


 皇太子(あれ)が真に皇子であれば、どれほどの名君となるであろうか。


 どこで、間違えたのであろうか。皇帝自身も決して暗愚な君主ではなかった。しかしながら、英明であるが故に皇太子の聡明さを惜しんでしまった。皇太子を廃するにはあまりに惜しく、また代わる皇子もない。がんじがらめの中、引き返すことも、新たな手立てもないままに時を過ごしてしまった。



 破滅は唐突に訪れた。

 ある朝、皇帝の執務室へ武装した兵士を引き連れて、侵入者が現れた。その鎧は血で汚れ、手には血まみれの肉塊を引きずっている。

「何事か!」

 皇帝は侵入者に努めて威厳を持って応じたが、その顔を見て驚愕した。


「皇帝陛下の御前にかような無礼をもって侍ること、幾重にもお詫び申し上げる。しかしながら、天下を謀る大犯罪人を成敗して参りました。陛下御自らご確認いただきたい」

 慇懃無礼な男を睨みつけ、皇帝は声を搾り出した。

「お前は……」


「ほう、覚えておられましたか、叔父上!」

 父帝を弑した長庶子、皇帝の長兄の息子であった。

「それではご覧ください。この大犯罪人を!!」

 長く追っ手から逃れ続けていた甥が投げつけてきたのは、既に生き絶えた皇太子の(むくろ)であった。

「この者は女の身でありながら天下を謀り、聖帝を騙って玉座につこうとしていたのです。天と民を欺く大罪です」


 ここに至り、皇帝は大きく息を吐き甥の顔をしかと見据えて、はっきりと応じた。

「確かに、民を欺いたかもしれない。だが、天は欺いておらん。皇太子が生まれたとき鳳凰が顕現したのは、これが真に天に望まれた子であったということだ。これもそれを理解し、よく己を律して努力しておった。そなたの父より、よほど聖帝の素質を備えておったわ!」

「黙れ! そもそもお前が簒奪者なのだ。その子が例え男児であったとしても、簒奪者の子が帝位につくなど許されぬわ! ましてや、その身を偽った女子(おなご)が!」

 声を荒らげる甥に対して、叔父は皇帝としての威厳を失いはしなかった。

「で、あるならば父帝を弑した者の子であるお前も、玉座に登ることは叶わぬはずだ」


 皇帝は居並ぶ兵士たちを一瞥すると、その末端に見覚えのある女官がいることに気づいた。

「なるほど、手引きしたのはお前か。皇后と皇太子にとっては身内も同然と思うておったのだがな」


 生まれたばかりの赤子を抱いていたあの女官は、()()を育て、病んだ皇后をずっと支えてきた。女官は平伏して応えた。

「恐れながら、殿下をこの手でお育てし、お側に侍り、殿下が如何(いか)に英明な皇太子であられるか、私が一番存じ上げております。殿下が真に皇子であられたならと思う心に、ニ心はございません。ですがあのとき、陛下がお切りになられた侍医は、私の父にございました」

「……そうであったか」


「うるさい! 黙れ! 簒奪者も簒奪者の子も、どちらにも天誅が下るのだ。真の皇帝にのみ玉座に登る資格があるのだ!」

 振り下ろされた太刀は皇帝の首を落とした。女官もその後を追うこととなった。


 宮中の中庭には皇太子の血が広がっていた。勉学の後、師と中庭を散歩しながら議論を交わすのが日課であった。その日は、己に(もたら)された天命が真なるものかと師に問うていたという。


「名君の素質は天命の有無にあらず。名君であろうとする心が真であり、民のためにその力を用いることが真となれば、いずれそれが天命であったということになりましょう。天命があることが聖帝の条件ではありませぬ」

 師の言葉に皇太子が破顔した。まだ幼いが聡明な子の最期であった。


 先々帝の孫が正統を主張し、即位を宣言した。しかしながら、瑞兆を得た皇太子が皇女であったとの主張を信じる者は少なく、新たな皇帝は宮廷を掌握することはできなかった。

 力のある者は自ら動き、力を持たぬ者は生き残るために寄る辺を探した。群臣を統べるものはなく、即位から一年を待たず玉座はまた主を失った。


 それから二十年、戦乱に次ぐ戦乱で廃墟となった都にはかつての栄華のかけらも残っていない。



 土壁からはみ出した藁を引き抜き、火に焚べながら男が言った。

「最初に大声でふれまわった者がいたな、鳳凰が現れた、聖帝の誕生だと。宦官だろう? そいつが仕組んだことなのか? 本当に鳳凰を見たのかどうかもあやしいものだ」


「ああ、いたな。銅鑼が鳴るより先だったそうだ。銅鑼がなるのは御子誕生の知らせだが、鳳凰門から宮中へ駆け込んで来た奴が叫んだほうが先だったんだ。生まれたのが男か女か、知っていたはずはねえな。そいつが見たのが本物の鳳凰だったのか、はたまた日を背にした烏だったのかだってわかりゃしねえ。どっちにしろ、事実がどうだったかなんて知らねえよ」

 老人は赤らんだ顔でつまらなそうに言った。


「なるほどな……。じゃあ、こんな話は知らないか? 生まれたのは真に皇子だった。鳳凰の顕現(けんげん)をよんだ聖天子だ。だが生まれてすぐに、宮中から(かどわ)かされた」


 老人は腹の底から大きな声を出して笑った。今までで一番太い声だったが、それでもやはり不快な音だ。

「ハッハッハッハッ、そりゃあいい。そいつがこれから舞い戻って、玉座につくって筋書きだな。いいな、そのときは、聖天子さま万歳! と叫んでやるさ」


 男は、ふんっと鼻を鳴らして立ち上がり、持っていた白い紐の瓢箪を老人へ投げてやった。

 老人は虚をつかれたが、なんとか落とさず受け止めた。

「じゃあ、その道化役の駄賃だ。()()()宮中だけでなく、都中にも響くように叫べよ、そのキンキンした声でな」

「なんだ、こっちの方がいい酒じゃねえか」

「安い肴には安酒で充分だったろう? いい酒にはいい肴を用意しておけよ」


 白みはじめた門の外へと向かう男の背に、老人は声をかける。

「兄さん、一つ覚えておきな。筋書きってのは決まってるもんなんだ。道化一人の登場で変わっちまうような筋書きの芝居は、大した芝居じゃねえや。一流なら道化が出てきても、そいつを喰っちまって、筋書き通りに芝居を整えるんだよ。それが出来ないなら、二流、三流だ」

「違うな。一流の芝居には、一流の道化が出てくるんだ」

 男は振り返らずにこたえて、そのまま外へ出ていった。

 カッカッカッという耳障りな音は、もう男の耳には入らなかった。



 それからまた幾年か後に、西から軍を率いて乱世を収め、玉座についた新皇帝は前王朝の失われた皇子であった、とまことしやかに語られた。だが、新皇帝が自らの出自について語ることはなかったという。

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