ゆっくりと【2】
智樹君は静かに風呂の中に入り、俺と対面する。
「…ふぅ……ここのお風呂広いですね、後風呂の数も多いです」
濡れた黒髪の中にまみえる青色のメッシュ。
そう穏やかな表情を浮かべながら智樹君は言った。
「だねぇ、結構楽しめるよね…」
「……ですねぇ」
智樹君の言う通りここは尋常じゃ無いほど広い上に風呂の数もサウナや電気風呂、今入っている香りの強いお風呂や露天風呂など、楽しもうと思えば幾らでも楽しめるだけある。
色調もやはり純和風、和風モダン的なものだからか目も心も安らぎを覚える。
「…なんかこれから毎日来れると思うと結構お得感増すわ」
そう言うと智樹君はケラケラ笑って言った。
「まぁ普通は色んな形式の風呂にいつでもなんて入れないですからね。タダで来れるっていう背徳感もありますし」
「そうそう。…いっぱい入って元を取らねば」
「いやだから元はないでしょ」
ツッコミが飛んできた。
俺はそれにただ笑って返し、ふぅと息を吐く。
「あっそうそう、智樹君」
「はい? なんです?」
「今日やった測定の感じ、どうだった?」
智樹君にそんな質問をすると、少し満足そうな表情を浮かべた。よっぽど良い成績なのだろうか。
「えっ、そんなによかったの」
「いやぁー…まぁまぁ、そこそこ、それなりにって感じでしたね。多少平均より高い記録が、ってだけなので」
「ふーん、なるほど、ニヤニヤしてる理由が解明されてスッキリした」
「してないです」
やっぱり高記録が出れば誰しも嬉しいもの。
相田さんもそうだったが、点数の良し悪しの上に喜びや嘆きはあって然るべきものなんだろう。
それもこの記録がこれからの仕事上での指針になり、仕事の成績に直結する話でもある訳だし。
「あ…てかそうっ、あのVilmの討伐測定えぐくなかったですか?」
ゆったりとした湯の中で、智樹君はだいぶと落ち着いた顔で浴槽のへりに腰を預け、そんな声を上げた。
「ああぁ…鎧狼ね」
「そうですそれです」
鎧狼は、まぁそこそこな感じだった。
強敵と言った必死さはなく、寧ろ多少の余裕があった。だがまぁ生身での戦闘の為により気を引き締めていたのは事実。
俊敏な動きにレパートリーの少ない単調な動きのようで、実はちょっと癖のあった動き。
だがそれでもやはり手こずったかと言えばそんな事もない相手。傷を負わなかったのが何よりもの証拠だった。
ただ、一つ危なかったと言えたのはあの時の。
「あー…俺はあれだな。ジグザグ走って飛んできたと思ったら急落下して足首に噛み付いてきたやつとか結構印象的だったわ」
「え、待ってそれ! それ僕もやられました!」
「お、おお」
「あれ反則級ですよねっ! 避けれる訳ないですよあんなのっ。もう僕はあれで足首噛まれちゃって…そのまま転んでこうマウント取られて、ドスッガブッて感じでやれちゃいましたよ。結構上手いこと逃げれたり剣とか当てれたりしてたんですけどね」
智樹君はちょっと悔しそうに、末尾に連れて声のトーンを落としながらそう言った。
けれどそんな智樹君の話に俺は意外に思ったところがあり。
「…へぇー。手も足も出ないって事はなかったんやね」
特別馬鹿にした言い方では無く、普通怖がったり速さに追いついていけず攻撃は愚か逃げ続けるのにも四苦八苦する。今日聞いた他のメンバーがそんな感じだった。
だからその意外性に驚いていた。
そうした意図を汲んでくれているのかいないのか、どちらとも取れない「えぇ、まぁ…」と言う言葉を発して智樹君は続けた。
「そうですねぇ。鍛え…てた頃の知恵と言うか感覚なんですかね…。でもその攻撃も掠ったとか偶々とかそんな感じでしたし、逃げてる時も直ぐ追い付かれちゃって…なんとも喜べない感じなんですよ、正直」
「…そっか」
「ええ。昔他家の犬に追いかけられた時は逃げられたんですけどね…あのVilm、ほんと早かったです」
智樹君は笑いながらそう言った。
「それに、あの速さから繰り出されるあの土下座攻撃。あれだけは絶対避けられない。あれは改良すべきです」
うんうんと、頷く智樹君。
そんな彼に俺は言う。
「あ、俺それ避けたよ、反射でギリギリだったけど」
「え?」
すると智樹君はかなり驚いた声色でそう目を丸くしながら言った。流石にそれは信じられないと言った風貌だった。
だが真実だ。
「いやだからあの技避けたんだって、俺。で、今それを自慢してるとこ」
「え、えぇ…何それす、え、いやマジですか?」
「マジマジ」
「……はぁぇー…すげぇ、あれ避けれるんっすね。流石シックスパックマンさん」
「お前をパワークッキーにしてスコアの一部に変えてやろうかぁ?」
「あははっ、世代が合わなーい」
「俺も世代じゃねぇよっ!」
それからも今回の測定の事や特に中身がある訳じゃない世間話などで笑いながら楽しく話し合っていた。時折風呂を変えたりし、かなりゆったりとした過ごし方だった。
そうしていると身体の水分が大分抜けたのか、手先がシワシワになり、頭も身体の纏う熱に疲れてきたのかボーッとし始める。
「…いやぁなんかほんと、上手くいかないと言うか何と言うか、ああ言うのとこれから戦っていくんだと思うと先が思いやられますっ…と」
智樹君は憂いげにそう言って、へりを跨ぎ、湯の外に出る。俺もそれに続きながら。
「……まぁ嫌でもこの一年で慣れるんだろうけどな」
「それは…そうですね」
明後日に出る測定結果の基、平均的な塩梅でグループは作られる。
ひとグループ五人で構成され、基本的に一年間はその仲間達と共同で訓練や座学を行なっていく。つまりはより親密なクラスメイトの様な関係性がこれから続く。
「……誰となるんやろうな、グループ」
そう呟くと智樹君は少し唸ってからいった。
「…嫌な人じゃなきゃ誰でも良いんですけどね…」
「だなぁ…」
それからペタペタとゆっくりとした足捌きで水風呂へと向かい数分浸かって、漸く脱衣所へと移った。
「………」
だいぶとのぼせた体。
少しの目眩にロッカーからバスタオルとスマホを取った後、化粧台に腰を下ろす。
壁付けされている送風ボタンを押し、目の前の化粧台の各所から涼しい風を吹かせ、そうして俺は背もたれに背中を倒した。
「……」
また別でポチッと、緑色ボタンを押す。
すると目の前にある鏡壁の右下にある小さな扉が開き、紙コップに入った冷水が見えた。
それを手に取ってグビッと飲み干す。
「っ…はぁ……」
体全体に行き渡る、清水の心地良さ。
染み渡る冷却感。
もう一杯を欲しがり、出てきたところにコップをセットして水色のボタンを押すと扉が一時的に閉まり、コップに冷水が満ちると再び扉が開いた。
そうしてまた手を伸ばし、ゴクゴクと水を飲み干す。
「………」
スマホに目を向けると17時の表記があった。
それを見てボーッとしながら思う。
(中途半端な時間やなぁ…)
部屋で寝るにしても何かを食べるにしても、とても微妙な時間帯。行動意欲が削がれていく。
何かしたい事もない、そんな感じの時間が続き、けれど何もしないと言うのも気分が落ち着かず、スマホをぽちぽち操作してロッカー式自販機でコーヒーを予約したり、ニュース系の動画や記事を見て身体の熱がある程度抜けきるまで寛ぐ。
そうしているとスマホが震えた。
フレンズの着信だった。
『皆さんご飯がまだなら集まって食べませんか?』
グループにその言葉を投げ込んだのは堀内さんだった。
それに続いて。
『私行きますよー』
冴島さんもコメントを残した。
(このままやとただの女子会やん)
まぁなんにしても。
(飯か…)
今は特別食欲があるわけでもない。その上何かしたい事もないから時間を困っていたわけで。
『時間は何時ごろにする予定ですか?』
俺は時間帯について聞く為にそう文字を打って送信する。それから数十秒して返事が返ってきた。
『18時とか19時位で考えてますね!』
「ぁー……」
その時間帯ならギリギリお腹も空き始める頃か。
『じゃあ僕行きます』
そうしてフレンズを閉じ数分。
続く様にして加藤さん、相田さんも参加の旨を込めたメッセージを送っていた。
『じゃあ後は山田君だけだけど…』
堀内さんが残る山田さんにそう打つと、山田さんから直ぐに返事が返ってきた。
『僕は遠慮させて貰います、すみません』
『ああ! 全然大丈夫ですよっ山田君! 了解です! じゃあまた気が向いたらその時に!』
『はい、その時に』
その後は食べたいものの話で少し続くが俺が気づいた頃には着信は鳴りを潜めた。
「……」
半分乾いた髪をバスタオルでバサバサとかき上げ、乾かす。そして顔、首元と順に残った水を拭き取って送風ボタンを切り、立ち上がる。
トテトテとした歩みで向かうのは自身のロッカー。
鍵を開け甚平に身体を通す。
少しスゥスゥすると言うか空気の通りを感じる感覚があるが嫌いじゃない。
「あ、悠夜さん。この後ご飯でも行きません?」
智樹君はまだ椅子に座っていて、まだいるつもりなのかどうか聞こうと思い声をかけに行くとそう聞かれた。
だが大分と間が悪い話で。
「ぁー…ごめん今さっき丁度先約ができたとこなんよ。明日とかでよかったら」
「あ、そうですか…わかりました、じゃあまたって事で」
「うん。誘ってくれたのにごめんなほんと」
少し悪い気がして、気持ち強めにそう言葉を添えると智樹君は「いやいや!」と慌てて言葉を発した。
「別に謝んなくても良いじゃないですか!」
俺の謝りがかなり強く受けてしまったのだろうか。
今にも智樹君が反対に謝りそうな勢いがあり俺はほんの一瞬の熟考の後。
「あー……いや。あれだ、社交辞令、社交辞令は必要だろ?」
「ちょっ、社交辞令言った相手にそれ言います!?」
そんな反応が面白く、声に出して笑ってから。
「うそうそ、ほんまに今度智樹君が行けそうな時に」
そう言うとちょっと微妙そうにだけれど、智樹君は「わかりました…」と言った。
「じゃあ僕はもう少しゆっくりしてから帰ります」
「あぁ、おっけー。…じゃあ今日はお疲れ」
「お疲れ様です」
そうして別れ、予約していたコーヒーロッカーからコーヒーを受け取り部屋につく。つけば途端に気が抜けて、俺は歩きながらコーヒーを飲み布団の上に座する。
近くにあった充電器にスマホを挿し、ボーッとスマホを弄る。ゴロゴロする。
けれど飽きも直ぐにきて、テレビを付けるが特に見たいものが無い。だからスマホの動画アプリを起動し、見たい動画をテレビに映つして眺めた。
それからも特に何かがある訳でもなく時間は過ぎ、18:30頃、フレンズからの着信があった。
『皆さん今からでも行けそうですか?』
堀内さんの発言に俺は上体を起こす。
『行けますよ』
それに返事を返すと次々に準備が整っているという反応があり、直ぐに移動する事が決まった。
『じゃあエントランスで集合にしましょう!』
俺はその文を合図に立ち上がり腰を伸ばす。
(さて行くか…)
お腹は…まぁ少しは空いてきている。




