測り事【2】
測定が始まると、まずそれぞれに割り当てられた種目へと移動する。
一班15分の時間制限が設けられていて、そのうち10分の間に種目を終わらせ残り時間で休憩、移動の時間として割り当てる様に言われている。
そんなローテーション方式の測定で始めにあたったのは背筋力測定だった。
背筋力の測定は一度もしたことがなく、こうして専用の機械を目にするのは初めて。使い方の説明はその場で軽く受けるが、どう転ぶものか。
記録は体重によりけりだそうだが男性平均は145キロ、女性は81キロだそうだ。
俺は早速測定器の台に乗り、腕を下に真っ直ぐ伸ばして横長のハンドルをくっと握る。そうしてから、背筋を伸ばしつつ30度程度に前傾姿勢を保ってハンドルを引っ張った。
カツッと伸びきったチェーンを、体勢を崩さないように引いて数秒の事。測定員の方が終了の合図を下し、それぞれに表示されている数値を電子機器に入力していた。
「嶋崎さんどれくらい行きました?」
入力確認を待つ間、近くで測定していた相田さんはそう俺に声をかけてきた。
「えっと…」
俺の記録は大分と高かった。
「確か268キロですね」
平均値超え。
筋トレをしていても180だとかそこらだと聞いていたのでこの大幅な差のある記録には自分自身驚いていた。
それは相田さんも同じ様で。
「え、268キロですか……。…え、268キロですか?」
「何で確かめたんですか」
「いやもうその記録アスリートとか筋肉マンじゃないですか、えっ…」
「んー、まぁそうなんですよねぇ。僕も精々200ちょっと行けばいいかなぁなんて思ってたんですけど。…あ、因みに相田さんはどうでしたか」
こっちが先に記録を明かしてしまい、逆に聞くのも申し訳ない気もするが、話の流れ的に致し方ない。そう思って問いかけると、相田さんはメガネをくいっと整えて言った。
「あぁ…記録は183キロです。まぁ嶋崎さんの記録と比べたら見劣りも良いとこですが」
「え、いやいや、平均で145とかなんで180超えは相当なものかと」
「…んー、そうですかね」
「そりゃそうですよ、鍛えてる訳じゃないって話ですし」
見た目はスラッとしたお兄さんだが、案外力強い側面がある様だ。後、なんか少しニヤついてるな。
まぁ、普通その記録出たら多少の自慢欲は出てくるか。
そう思っていると、加藤さんが歩いてきて「どうだった?」と声を振りかけた。
「……へー、俺と一緒かぁ」
「あ加藤さん。僕、案外強いみたいです」
「何ニヤニヤしてんだよ」
「ニヤニヤしてないですよ! え、してないですよね嶋崎さん」
「してますよ」
「うっそぉ」
自身の頬を指で挟みながら首を傾げる相田さんを見て、ワハハと笑う俺と加藤さん。
それから記録のチェックも終了し、次の測定場所に早い段階で移動する事となったのでゆっくりと移動しても尚残る時間を使って休憩の時間をとり、終わるのを待ってから漸く次の測定が始まった。
次の種目は定距離往復走。
100mの直線コースを10分以内に30回往復しろと言う内容で、初っ端から体力消費の激しい種目であることに皆んな渋い顔をしていた。
が、加藤さん筆頭にそれでも頑張るか、と言う空気感が生まれて全員コースに立った。
体力がついてるからこの程度の距離感ならそこまでしんどくはならないだろうが、怠いという気持ちは俺もみんなと一緒だった。
「記録……始めっ」
そして始まった100mの往復走。
正直初めから飛ばす必要は多分ない。
これは記録よりもペース配分だとか、瞬間的、または持続的な走行速度の調査にあたると考えられるからだ。
だから無理して全力疾走するよりも安定した速さで走り抜けることに重点を置いて俺は脚を回した。
そんな事をしていると、横にいる相田さんと加藤さんが俺の走りに合わせて動いていた。
しかしそうして始めこそ張り切って走っていた二人であったが、途中から俺の速さに合わせようとせず自身のペースに戻して走り始めた。
それから俺はペースを乱す事なく計3000mを5分程度残して完走した。
タイムで見てみるとやっぱり全体的に鍛えてる分、後持続的、瞬発的な運動を日頃反復してるからアスリート並か以上のような速さを出せているんだなと再確認する。
その後からもどんどんと測定は進んでいって、握力や反復横跳び、投擲能力ではハンドボール投げなどの学校でやったことがある様な測定から、指圧測定、上方跳躍力、クライミング、四方から飛んできたものを避ける測定や逆に叩き落とすと言った測定もあった。
そんなこんなでお昼時になり、1時間程度の休憩と配給食を満腹にならない様気をつけて食べた。
そうして腰を落ち着ける中、周りが疲れたぁー、だとか身体がもう痛い、だとか、疲れを露わにしている光景が散見されたが、俺はと言えば全くと言っていいほど疲れていない。
一汗拭えば治る様な程度のもの。
測定結果のどれもが平均とされている記録よりも少し上かそれ以上で、周りが平均をバンバン叩き出す中、今もだが浮いてる感じは否めなかった。
まぁ、凄いですね! とかヤバッとか、ヤバはどのヤバなのか微妙なラインだが大抵は褒めてくれている。
変な目で見られてはいない様だ。
それが救いか。いや、というかそもそもこの状況が別に悪いことじゃない。俺は、なんならダンジョンに潜る為に何年も鍛えていた。
そのために仕上げてきた身体なのだから、差があって当然と言うかないと困るもんだ。必然の状況、それを疎ましく思う必要はない。
それから休憩時間も終わり再度ストレッチをしてから測定を再開し、粗方種目を終えてやってきた最後の種目。
戦闘能力測定。
何ともキリがいいと言える順番だ。
(さて…どんなもんかな)
臨場感や動きやすさに重点を置くためARゴーグルではなく、目に張り付けるコンタクトを選び、耳輪に付けるイヤホンを装着する。
嗅覚を刺激する機械はないそうだ。
それから負荷シールという黒色で薄いシールを等間隔で付けた、ピッチっとした上着とズボンを簡易更衣室で着替えて準備は万端。
立つのは35×35mの戦闘場。
四つ角にはポールが建てられていて、範囲をしていた。
握っている武器は両刃の剣。
和風に因んで刀とかあるもんだと思っていたが、いやまぁ確かに日本刀の様なものになったら両手だ。隙を縫って一撃を加えるみたいに距離感を考えて打ち込まなきゃならない。
機動性で言えば玄人ならあるだろうが、素人には扱いの難しい武器にしかならない。それに技量を推し量るにも判定が難しいと言うのもあるか。
鞘から抜き出し、くっと、布がクルクルと巻かれている柄を握り、右腕にかかる重さを嗜む。
(元が造形だけ象ったプラスチックみたいなやつとは思えない)
視覚的にも感覚的にも、造形は確かな幅広めの両刃の長い剣だし、刀身の煌めきや質感、肌に感じる鋭利さと重量は紛い物ではない様に見える。
キラリと光を反射する切先。
俺は更に剣を太陽の光に潜らせながら、ほんの少し腰を落として脚を前後に交差させる。
『準備が完了しました。… 測定の終了は、設定されている体力数値が0になる、または、7分間の制限時間に達した時点となります。…では、只今より、戦闘技能測定を』
イヤホンを通じて無機質な男性の声が聞こえてきた、
それと同時に。
そいつは現れた。
『開始します』
「………」
擬似Vilm、形は獣型。
もっと言えば狼のVilmだ。
対象の大きさだけは事前に告知されており、170センチとは聞いていたが成る程、狼としてみると確かにでかい。
「…ふぅ」
相手を見据えて、息を吐く。
「……」
この狼のVilmには鎧狼と言う二つ名が付いていて、全身の皮膚が鋼の様な硬さを誇っている。
その上、四肢の手根関節より下は毛が生えて居らず、代わりに分厚く硬い皮膚がその周りを覆っているため籠手の様に見える。
そんな鎧狼の毛並みは茶黒く、翻って柔らかくふんわりとした毛はヒューッと吹いた風に靡いていた。だがその物々しさは変わらず、なによりも黄金色の眼からも強い戦意を感じ取れた。
「………」
様子見の意を込めて一歩横に脚をずらす。
すると鎧狼も一歩、横に身体を動かして俺を睨みつけている。
(…あー……)
山の魔物と違う点で言えば、凶暴ながらも多少の知性があるところか。それも狼や人型のVilmは顕著に現れる様だ。
そう言う点では、猪突猛進の体現者じゃないだけやりやすい。
ガゥ"ウ"と言う重低音の唸り声、鼻面に寄せた皺と、牙を見せる様にして開かれる口。長い口先から吐き出されるそれらに、だが気圧される事はない。
「………」
制限時間は7分、残り6分41秒。
それからもまた一歩また一歩と距離を保ちながら相手の動向に目を光らす。タンタンと進む時間の中で、ゆっくりと陥っている膠着状態。
そこで俺は息を軽く吸い込み駆ける。
「……っ」
それに合わせて狼はその瞬発的な、それでいて瞬間的な加速で俺の元へと走り食い千切ろうと口をかっぴらいて勢いよく跳び込んできた。
「…」
一気に正面で重なり合った眼と眼。
最低レベルに設定したVilmのようだが、やはり普通の動物と身体能力に差がある気がする。散々戦ってきたのが白い魔物で普通の程度が微妙にわからないが…。
スローモーションが続く景色、しかし動き続ける視界。
数多ある行動の選択肢の中で、俺は全身の筋肉を奮い立たせて、左足に力を込めながら狼の右側面へとグッと身体を捻り、屈みながら飛び込む。
そうして切り裂く空気、交わらない体積。
交差した、熱がある空気と実態のない冷たい空気。
かなり速い。
更に加速してか、目の端で霧の様に鎧狼の姿は消え入った。
「……っ」
だが、まだ着地の芝生を蹴散らす様なカサカサとした音が聞こえてこない。
(反転…間に合うか……?)
そう思ったが、次の拍子にはタタッと言う音が聞こえてきた。そして鎧狼の唸り声も、空気を割く様な音も全部近づいてきている。
想定よりも速い切り返し。
(もしかして飛んでる最中に旋回してたんか)
着地し、滑りながら旋回する。そしてもう一度噛みつきに来る。そうした事を予想していたのだが、そっか。そうだ、こいつは魔物じゃなくてVilmだった。
凶暴だが知性と理性はある、そんな奴だ。
多少なりの技術がある。
飛びながら相手に目線を向けたり、移動の方向性を変えたりだって出来る。無闇矢鱈な動きじゃない。
(人型じゃないからレモン基準じゃあかんし、魔物基準でもあかんなら…)
俺は捻りと屈めた身体を利用し、着地時に独楽を回す様にくるりと身体を反転させ、その勢いのまま鎧狼に食いつく様に飛び出でて。
「っ"…!」
蹴り上げる。
硬いのだけれど少しグニャっとした質感。
速さで圧倒的に遅かった俺の動きでは顔面を狙ったつもりが首下、肺あたりに蹴りが入ってしまった。
だからやたらと重い。
岩や鉄の塊とまでは言わないが、切り株を蹴飛ばす様な負荷が脚に重くのし掛かる。
「っな"ぁ"!!」
それでもぐっと押し上げて、力一杯に蹴り上げて、その力に飛ばされた鎧狼は重力に引っ張られるまま地面に衝突した。
「…はぁっ」
かと思うとその衝動の反動を利用して直ぐに体勢を立て直し、再び走り込んできた。
(立て直し速いなぁ!)
俺はまだミチミチと芝生を根こそぎ抉り取りながら、回転させる為につけた勢いを殺して体勢を立て直したばかり。姿勢は低く、右手に握る剣は俺の脚の近くに添えられている。
だから現状の行動手段は逆袈裟切りと回避の二つ。
だが相手はもう飛び込んできてる。その鋭利で生臭そうな黄色い牙を俺に向けてきている。考えに耽る余裕はない。
(一先ず躱す。躱して…)
胴体を噛みちぎりに来た飛び込みだと思ってそんな算段を立てる。
すると次の瞬間、鎧狼は突然目の前で急降下し、地面に這いつくばる様な姿勢を維持して俺の足首目掛けて更に飛び込んできていた。
「……っと!」
(ぶっねぇ…)
が命からがら、反射的に身体に力が入り、スレスレの所で足首を狙いから外し回避する。
カチッと言う牙を強く噛み合わせた音。
「…ふっ……」
草をかき分け、ザザザッと滑る自然音。
唸り声。
荒い息。
(今の所、鎧狼の攻撃手段は噛みつき位。……いや狼の攻撃の方法なんてそれくらいしか思い浮かばない。精々してもタックル、とか……それ位か…)
相手がしうる行動を予測、さっきまでの動き方を経験則として浅く考えながら動いていく。
そうして躱して、避けて、飛びのいて、近距離でお互い歩みながら目を見張り、そしてどっちかが急に加速する。
それをまた躱してーー
「ふっ"…!」
ーー俺はすれ違いざまに剣を斜めに振り上げた。
下から上へ。
シュッと素早く繰り出した逆袈裟斬りは浅くも鎧狼の右の下っ腹から臀部辺りまでを切り裂いた。
ここにきて初撃が入る。
軽い切り傷、しかし宙に舞う鮮血。
ニヤリと頬を崩し、振り返る。
剣は振り上げてから直ぐに下へ薙ぎ払っている。
軸足にも力が入っていて、次の動作に移行するには万全の状態。
「………」
鎧狼と目が合う。
少し、睨み方が変わった。
獲物のような見方から、殺す事を意識した目に。
白い魔物がしていたような目で俺を睨みつけていた。
まぁ…誰だって浅いとは言え傷を付けられたら怒る。
鎧狼は強く唸ると、その身体の力強さとそこから編み出される機敏さを巧みに扱い、高速で交互に切り込む様にして走り来た。
相対する距離がそんなに遠いわけでもない。だからそう変に、横に大きく素早く動かれると目で追うのがやっと。
「ふぅ…」
だから。
目よりも音に重点を置いて捉えている。
それに。
戦闘に慣れてきたこともあってか。
(これ位がちょーどいい)
身体能力に差があるなら予測して、攻撃の引き出しで錯乱、致命の傷を負わせないといけない。
瞬時に腰を据えて剣を持つ腕を少し後ろに引き、剣を縦に、右脚は前に突き出して。
そして正に完璧なタイミングでそれが届く間合いになった。瞬間、俺はふ"んっと身体を捻り、右手に握る剣の腹で鎧狼の顔面を精一杯にぶっ叩いた。
音は響かない。
けれど腕にはその重さが響いた。
握る力が抜けそうな痺れ、ずんっと掛かる鎧狼の体重。
(勢いがあっても刺さらんか)
横に薙いだとは言え首に当たる切先、だが一番硬いのか肉を押すだけで刺さる感触は伝わってこない。
(まぁそれならそれで)
工程が増えるだけで、大きな問題ではない。
寧ろ攻撃が通るとは思っていない。
「っ"…!」
ずっしりと腕にのしかかる負荷。
俺はふっ、と直様息を止め、腰を据えて、そうやってブンッと剣で風を割きながら振り切った。
すると鎧狼の顔面は俺とは真逆の方向に向き、急に力を失った様にして俺が叩いた部分を支点に重い胴体を俺の方へと投げ打ってきた。
鎧狼の背面が俺の視界の大半を覆い、見切れた上の空の蒼さと下の大地の青さだけがまだ見える。
けど焦りはしない。
そうなる事は分かってる。
「ふっ"…ん"……」
剣を持つ右腕を直様上に、左腕を下側に構えて鈍重で、強烈な衝撃を胸の中にドスッと受け入れ、そうしてグッと力一杯に抱え込む。
肺から空気が勢いよく飛んでむせそうになるが堪えて、そして体勢は無理に留まるのではなく、勢いそのまま、少し脚を開いて、身体を綱を引く様に背後に落とし更に巨体を締め付ける。
「ふぅ…!」
ミチミチミチッとまた草が千切れた。
(後はっ)
俺は鎧狼を投げ捨てる様にーーなんて事をすれば、逃げられるのはさっきの復帰の速さの通り一目瞭然。確かに叩きつける事で多少のダメージは与えられるかもしれないが、リスクが高い上に本当に多少。
この程度の高さから落とされてもたかが知れてる。
後、1.7mと大きい為に一度制御体勢を崩してしまうと面倒だ。
「っ"……っ…!」
ただでさえ暴れ始めた鎧狼の抵抗に唸らされているのに、本格的に速度などを掛け合わせた行動をされるとなると、はっきり言って無駄が増えるだけ。
だからとにかく、速い段階で抵抗力を奪う必要があった。
その為に、俺は下から回した左手で握る鎧狼の右前足と、上から回して鎧狼の左前足近くまで潜らせた剣を持つ右腕の力をそのまま、鎧狼を地面に素早く落とし込む。
そうして直ぐに右膝で鎧狼の左の太もも、もっと言えば肘関節に当たりそうな部分へ体重をグゥッ乗っけて、そして何度も膝を押し込める。
傷が浅いながらも付いている為か沁みる様な痛さも相まって、鎧狼は重低音響く唸り声とそれとない甲高い呻き声を放った。
(流石に関節は外れんか…)
けれど、ならそれで仕方ない。
俺は次に添わし、密着させていた胸を鎧狼から離し、下側に回していた右腕を次は軽く鎧狼の頬に添え置く。
そうして抜き出すことに成功した右腕を離し、左手に交代してさっきよりも強く顔面を押さえつける。
いや、寧ろ全力で力を加える。
鎧狼はワウワウ、キャンキャンと喉を震わせるが知った事じゃあない。そんな悲鳴で動揺していたら俺が死ぬ。
俺は少しずつ掻き始めた汗の感触を感じながら、暴れる鎧狼の頬にグゥッと体重を乗っけて力を込めた。
その瞬間ほんの少し骨が割れる様な音ともにガクッと骨が外れる音が聞こえてきた。
「っはぁ……はっ…」
そうして間鎧狼の口は閉じられる事はなく、唸り声と流す様にして向けられる恨めしそうな目が俺を貫いた。
「………」
その目には覚えがある。
俺は剣を握る。
強く握る。
ずっと唸り、俺を睨みつける鎧狼。
必死に身体を動かすが、要所要所を抑えられ逃げ出せず。
「………」
しかしその油断ならない目に触発されて。
「……」
だから俺はそして、何の躊躇いも生まないまま、握った剣で口内から脳天目掛けて刃を刺し貫いた。




