初回ガイダンス【1】
スマホを触っていれば時間は簡単に過ぎていく物で、それでいて5分前には席全てに人が着席していた。
(…静かだわ)
俺が座っている席は6人席の中でも左端の席。
真ん中の席のように誰かに挟まれ続けて稼働範囲が制限される場所じゃあない、寧ろ端っこは自由だ。
だから俺は席に座った時は勝った、と思った。
そして今もその勝利は継続中だ。
俺は一体何と戦っているのだろうか。
この席に座る人は女性2人、男性4人という比率で構成されている。
並びとしては俺が左端、その隣にその内1人の女性、真ん中の席とそれに続くように隣に男性が2人席に座り、最後の右端に女性が座っている配列となっていた。
そんな確認もし終え、壇上の壁側にあるデジタル時計に目をくべた所でマイクの音が入った空気が舞い込んできた。
そして、それと共に迷彩服と両手に黒いグローブを手に嵌めた男が壇上脇から現れ。
「……はい、皆さんこんばんは。今日一日お疲れ様でした」
労いの言葉から入り。
「今回1時間程度のガイダンスを担当させて頂きます、河田翔寺と申します。僕についてはお手元の資料1ページ目に掲載していますので気になる方は後ほど是非。……ではこれから開拓者初回ガイダンスを始めたいと思います。よろしくお願いいたします」
そう言いながら彼は軽く会釈をした。
河田さんの歳は28だそうだ、かなり若い。
髪はミディアムで整えられていて髭などはなかった。
体付きはごついというよりも中肉中背、ただそれとない筋肉質な体型なのだろうと思う。
というか風格が並の人のものではないのは確かで、そこに加えて資料を覗く限りダンジョンでかなり上位の階層まで進んでいることが分かった。
つまり、積んできた経験とその経験と共にしてきた肉体の強靭さは、一般人が想像を絶する程にすさまじいものであるという事を意味している。
「今回ですね、こうしてお集まりいただいたのは他でもなく明日実施する身体能力測定の種目、工程の説明を目的としたモノです」
そう河田さんは簡潔にお品書きを述べ、持参してきていた全員の手元に置かれている資料と同様のものを開きながら言葉を連ねる。
「時間が余れば動画資料を交えながらダンジョンについて触れていこうとも考えています。…では早速ですが明日の身体技能測定の概要についてお話ししていきたいと思いますーー」
そうして早速始まったガイダンス。
とにかく資料をより分かりやすく噛み砕いた話し方だ。河田さんは当日会場説明や測定機器の利用方法、その他注意事項などを丁寧に説明し、全員の手元にある電子機器や紙の資料も使って30分ほどで説明をし終えた。
「……はい、という事で以上が明日の身体能力測定の説明になります。何かご質問などありましたらその場で手を挙げるか、お手元の電子パネルにあります【質問箱】というアプリから問いかけて頂いても構いません」
しかしまぁ、そんな呼びかけに倣って質問をする人は現れず、30秒ほど空いた間を一瞥した河田さんは「ではこれで説明を終えたいと思います…」と切り上げた。
「…んー…大体…30分程でしたね。…折角ですし残りの2、30分程を使ってダンジョンについてお話ししましょうか。…では…資料16ページ目をめくってください」
そう言われ、全員同じ様なタイミングで資料をパラパラっと開ける。
そうして、指示され開けた資料にはそダンジョンの外観が映されたカラー写真が3枚と、その写真の右隣にダンジョンの名前、特徴が記述されていた。
「…はい…一番上を見てください」
河田さんは全員がページを捲るのが止まったのを見るとそう言いながら息を継ぎ、言葉を連ねた。
「…一番上に映るダンジョンは、これから皆さんが1年間利用するダンジョン、燈華異ダンジョンという異形のダンジョンです。映像は水中で撮っているので魚の群れなどもいて結構神秘的に見えますねーー」
ーー次に形状ですが。
「今回の異形のダンジョンは特異な形状をしているわけではありませんが、やはりダンジョンである以上形状にも特徴がちゃんとありまして、まず円柱形です。そして全長のおよそ半分辺りから海面に近づくにつれて太くなっていて、たいまつのようにも見えます」
透き通った葵い有無の中、群れて泳ぐ小魚達の煌めき、他にも映る魚達の色合いは河田さんの言う通り神秘的だった。
「あ…因みにですが、これらダンジョンは壊せませんでした。今のところ破壊不能オブジェクトですね。もし力がついて壊せるかな、なんて思って殴った日には腕が大変なことになるので気を付けてください」
河田さんはそんなユーモアのある言葉調で喋るのだが、結構、こう…淡々としてるせいで笑える話も笑えない。
ただ俺は大真面目にその話を聞いて心の中で頷く。
それから俺は燈華異ダンジョンの次にある、カラー写真へと目線をずらす。
次も異形のダンジョン…と言うわけではないようで、どうやら他の写真は【サンマルコフダンジョン】というイタリアの[トスカーナ]で見つかったダンジョンや、日本の[山形]で見つかった【霧乃路ダンジョン】という俗に言う一般的なダンジョン、ノーマルダンジョンの写真だった。
「それでですね、これら異形も含めダンジョンの様相を見てもらえればわかると思うのですが、結構様々な容貌をしています。燈華異の下に載せてますサンマルコフのように彫りが複雑奇怪で、凹凸の激しいダンジョンもあれば…3つ目の、霧乃路のように体表に凹凸がなく、まっさらとしたものなどが例としては見易いものかと思います」
河田さんが言っているようにダンジョンの彫りや形状の特徴は物によって違うことが伺える。
もっと言うなら形状以外にも色も特徴的でバラバラだ。近似色は多くあれど大概物によって違う。
例えば、燈華異なら鮮紅色で反射はせず、岩のザラザラとした質感に近い。
サンマルコフも同様、岩のような質感だ。
が、どちらかと言えばザラッ、ツルッとした感触に近い。加えて軽度の反射を起こしている。色も乳白色で特徴が燈華異とは似通っているが違う。
そして霧乃路。これは薄青色で鋼鉄のような様相で、とてもツルツルしていて反射が強い。
ただ鏡のような反射ではなく鉄板に写した顔のような反射量で歪みがある。
(んー…もしかしたらこの説明いらんかも)
塾で事前学習をしていたせいで、学校の授業範囲、もうとっくに終わってて理解してるんですよね状態。
まぁそれでも、復習として聞いていて損はない話だ。
「では次にダンジョンの中ですね。これは手元の電子パネルから見ていただきましょう。今から流す動画はすぐそこの燈華異、その1階層目の映像です」
そう言って机に置かれた電子パネルに目を向けると、そこにはさっきまでデスクトップ画面と打って変わって、晴れた緑陽の草原があたり一面に広がっている光景のものとなっていた。
「異形のダンジョンは外観の形状以外に異なった特徴を備えていまして、このように上層などでは草原などの自然力の強いバイオームになりがちで、温帯である事が多いです」
ゆっくりと、周囲を見渡す様に動画を撮るカメラは回していく。丘のような場所から撮影しているのだろう、他の部分の高低差がある地形がよくわかる。
広大な大地の上で繁茂している雑草などは芝刈り機で整えられたような、ちょっぴりと伸びた高さだが均等かといえば不揃いでもある。
そんな草達はふいにヒューっと吹いた風に、気持ちよさそうに撫でられていた。
また他にも自然で言えば近場ではなものの木々がそこそこ生育していて、より大地が青々しい。
自然の生き生きとした生活感が辺り一体に広がっていて、太陽もそれらを燦々と照らしている。
空では細い雲がゆったりと青空の上で棚引いて、この自然の豊かさを更に語っている様に見えた。
ただ、そこはダンジョンというには殺風景過ぎた。
「通常の……と言うのはまた違うのですが…えぇと一般的に存在が確認されており、その傾向に強いダンジョンでは、低層がですね…」
そう言葉の合間で移し替えられた映像。
標高が一番高い場所から撮られたのだろう、地面の激しい高低差や凹凸、そして遠い景色がよく見える。
だからこそよく分かったのはその映像はさっきと打って変わって何もない地形、それこそ殺風景な景色が続いている。
植物の姿などはあんまり見られない。
群生している草叢が見えるのはかなり遠い所にある泉周辺だけだった。
それだけ緑がなく、灰色の世界があたりに広がっていて、殺風景な訳で、だが、その映像からは何かが点々といる事が窺えた。
「はい。…ノーマルダンジョンの低階層では自然力が低い地形が続いてですね、このように岩肌で地形の隆起が激しいものが多く……」
映像は言葉が紡がれるごとに切り替えられ。
「上層に進むにつれてですね…」
左下にはテロップで2F、切り替わると7F、次は12F、32Fといった風に表示されていた。
そしてそれらの景色は段々と自然が増え、12階辺りから殆どが草木で生い茂るような景観になっていた。
「このように順当に自然が増えていくと言った傾向にあります。岩肌の多い地形では気候が温帯で西岸海洋性気候の様な特徴になりやすいですーー」
ーーそれでですが。
そう言って、河田さんは自信が握る機械に目線を向ける事なく手早く操作し、始めに見せていた 燈華異の殺風景な景色と、さっきのあたり一面岩肌だったダンジョンの景色を分割して映し出した。
「この二つの違いはこの自然力の部分以外にもあります」
投影されているノーマルダンジョンの映像には点々と何か動くものが見える。しかし異形には自然しか広がっていなかった。
「…殆どの方がお気づきになっているかと思いますが…そうですねVilmが燈華異には居ません。ですがその隣にある映像のダンジョンには遠目ですが…あ、丁度カメラが近くのVilmに向きましたね」
通りかかったVilmに焦点が合わせられる。
そして、そこに映し出されたのは黒っぽい体色をした四足歩行のVilmがトテトテと歩く姿。
印象としてはトカゲやヤモリみたいに地面と腹の位置が近く、ザラザラしてそうな体躯は少しトゲトゲしかった。
それで、なんと言っても特徴的なのが嘴なんだが…これは……カモノハシ?
「このVilmは小型Vilmの黒嘴潰タオラです。黒い嘴で潰すと書いて黒嘴潰ですね。名前の通り嘴の力が尋常じゃありませんーー」
ーー加えて。
「今はゆっくりと歩行していますが緊急時や捕食時にはカメレオンのように素早く動いてきます。緩急が強いVilmで有名で、やはり等速ではないと言うのはかなり厄介な事でもあります」
(緩急か…)
緩急のある動き、これは白ゴリラと出会う少し前から出来るようにと鍛錬を積んでいる。
しかし、今でも単調な勢いになりやすく中々上手く使いこなせない。その上できたとしても正直反動で身体が辛い…は言い訳か。
慣れてなさ過ぎる。
それにレモンには「順応能力は並程度にあるけど壊滅的に戦闘センスがない」と言われたし、まぁ俺の場合こうしたスキルは獲得しづらいものなのだろうと思っている。
だがいつかは習得しなければいけない技術だと思っているから、この一年のガイダンス期間もそうした鍛錬はしていくつもりだ。
あの技も未完成で良いから出来る様にならないとダメだし。
緩急の一言に自身が抱える課題の内容を想起し、反芻する意識界から直様抜け出してきた俺は、目を二回ほど瞬いてからもう一度河田さんの声に耳を傾ける。
「ーーです。はい。…またですね、黒嘴潰 は大体3〜5匹程度で群れ集団で獲物を襲う習性があるので戦闘時はまず囲まれないようにかなり気を配りながら動かなければなりませんーー」
ーーと、まぁ。
「すみません、軽い生物知識は今は置いときましょうか。えー……この…えっと……あ、はい。この異形のダンジョンとにおけるVilm出現の差異ですね。えー…こうした現象が異形と通常のダンジョンとを見極めるポイントの一つで異形のダンジョンは低階層付近まではVilmが出現せずーー」
ーーしかし。
「燈華異なら19階層からVilmが現れるようになります。そしてそのVilmのレベルは通常のダンジョンで出現するVilmと比べると19階層に現れるVilmの強さは通常とはかけ離れておりーー」
ーーその強さは。
「凡そ通常のダンジョン30階層相当の強さに当たります。これも異形のダンジョンの特徴ですねーー」
ーーまとめますと。
「外観の特異な形状。低階層にVilmが出現しない事。階層に見合わないVilmの強さである事。これらが主に異形として分類するときに見る項目です」
つまり、見た目だけで異形とは判断しない、と言う事だった。
俺はてっきり見た目が変だから異形のダンジョンと言われているものだと思っていたーーそう見たことある記事には書いていたーーから少し驚きつつ、自身の情報収集能力の未熟さに小さなため息を吐いた。
(異形のダンジョンについて話す機会がなくてよかったぁ……)
河田さんはそれから分割していた映像を単一のものに切り替え、手荷物小型の電子機器から目を離す。
「これはさっきの燈華異の映像の続きになる物でして……」
そんな解説を聞きながらVilmの居ない、自然だけが溢れている景色を映すパネルに目線を戻した。
と、思うと景色は180度回転し、そして撮影者が急に手を前に突き出しながら歩き始めた。
前方には道、というか同じ草原が広がっている。
その為、急に変なことをし始めたカメラマン、と言う事になるのだが。
しかし。
ある程度スタスタと歩いたところで、その手は壁の様な直立した何かにぶち当たり、触れている部分から継続的に半透明な波紋が広がり続けていた。
「これはダンジョンバリア、DBとも呼ばれる破壊不能の障壁です。その先も地続きですが侵入は出来ません」
そんな言葉と連動する様に映像に映る手はこんこんとその障壁……ダンジョンバリアをこづいたり、肩から突っ込んでタックルをしたり、逆に離れた場所から思いっきりーーの度を超えた、視認できないレベルの勢いでーー石を投げつけたりもしていた。
が、そのいずれも衝撃が加わった地点から半透明な波紋を伸ばすだけで、その先へと進む事も、壁にヒビを入れる事も出来なかった。