恩恵は【1】
階段を降り、大広間に到着する。
そうして見渡した景色は、正に大広間と呼ぶにふさわしく、無駄のない装飾の中にきらりと輝くセンスの塊があった。
船の内側を沿うようにカウンターが一直線にピュンッと伸びていて、その奥には厨房らしきものが付設されていた。
船の外壁側ではくつろげるスペースとして等間隔に座席やテーブルなどが配置されていた。更に特徴的なのが、外壁側の壁がガラス張りで、海の景色がよく見えるという開放的な構図となっている。
中々魅せてくれる設計だ。
外からの光も青さも入ってくるので、やはり空間に押し付けられていると言う感覚がないというのは、構造としては良いものなのだろう。
それから俺たちは早速船内側にある巨大カウンター、この船が経営しているお店で飲み物を注文し、海が良く見える4人用のテーブル席にそれぞれ腰を沈める。
今はまだ、港の景色しか見えない。
「船の中って結構、こう…微妙に揺れるもんなんですね」
智樹君は少し不思議そうな面持ちを浮かべながら、特段天井が揺れているわけではないが軽く天井を眺めていた。
そんな彼に川端さんは言葉を返した。
「そうですねぇ、結構意外ですよね。安定してると思ってたら案外って感じで」
「そうですそうです。この船、多分そこそこ大きな船だと思うんですけど、だから余計に不思議だなぁと」
そう言いながら智樹君はレモネードソーダをゴクゴクと、喉の奥へと下ろしていく。カランと中の氷が涼しげな音を立て、そしてコトッ、と持ち上げていたコップを智樹君はコースターの上にそっと戻した。
船内に流れるのは少し静かな感じのジャズ…アレンジのクラシックなのか。多分複合的な音楽性からジャズだと思う。でも何か有名なクラシックのカバーのような感じで、聞き覚えのある感じはあった。
「まぁ…」
川端さんは言う。
「確かに船が小さければ小さいほど波の影響を受けやすいですが、大きければ大きいほど波の影響を受けなくなると言うわけでは無いのでね。地面にくっついてるわけじゃ無いですから。あ、大陸は別ですが…」
「それは…はい。でも確かに、船は海の上で浮いてるだけですもんね。よくよく考えると不思議じゃなかったかも。客船でも酔うって言うのもちょっとばかし理解できました」
そう言いながら智樹君はポケットから余っていたチョコパイを取り出し、包み紙を割いて、ハムっと齧った。
(まだ食えんのかよ…)
これが若気の至りか…いや、俺もさっきめっちゃ食べてたし、大概か。
「あ、酔うで言えば例外でですがね、揺れは良いけど臭いがキツイって人もいるんですよ」
川端さんはそう思い出すようにして言う。
「んぐ……。…へぇ、臭いなんかで」
「三半規管が揺れて〜ってのはよく聞きますが…」
俺も海の臭いは苦手だが吐き気を催すほどではない。
俺もその意外な話に相槌を打つと「えぇ、それが普通なんでしょうけど僕の娘がそれでして…」と川端さんは頬を軽く掻きながら言った。
「「あぁー…」」
智樹君と声が被さる。
「海の匂いがキツいそうで…あ、釣りによく行ってたんですけどね、小船に乗って酔ったその日から2ヶ月くらいは釣りに誘っても首を横に振られますし、説得しようとしたら顔を引っ掻いて脛を蹴られるんですよね……」
少し懐かしむような、少し困ったような表情を川端さんは浮かべていた。
「所謂…トラウマですね」
俺がそう言うと、川端さんは頷きながら。
「そうですね。…ま、2ヶ月位したらまた釣りに行きたいって言うもんですから、難儀な子ですよ」
そう言って、そして話を切り替えるように「…あ、嶋崎さんとか白柳さんとか、ご家庭、お持ちだったりするんですかね」と疑問の声を発した。
俺達はそんな話題に豆鉄砲を喰らったような驚きを見せつつ、真っ先に智樹君が口を動かした。
「ぁっー…いや、そんな事は無いですね。今のところ彼女自体出来たことがないので……彼女募集中ってぇ…感じです。まぁ欲しいで作るもんじゃ無いとは思うんですよ、彼女とか好きな人とかって。…ほら、何か経験のため? とか作っとかないと馬鹿にされるから? とか……そういうの誠意がないって僕は思うって言うか…その。……ええ」
その弁解は彼女が出来ないから見栄を張って言っているだけなのか、それとも並べたポリシーは本気であり、それらを大真面目に準拠しているから言えた事なのか。
いずれにせよ、ゼロの数字は変わらない。
「なるほど、そうでしたか」
まぁでも確かに、彼女の人数だとか気にするのもどうかと思うのも分かる。俺も彼女の人数だとか、異性関係を築いた数だとかくだらないと思う。うん。
だって最終は1人の人しか愛さないのだから。
「僕も、独身ですね。彼女がいた事は何度かあるんですが」
しかし、ひけらかさない事を世界が許してくれるのならば、だ。
「……え?」
「やっぱ好きな人と一緒に居れるっていいですよねぇ」
「えちょ…」
「いやぁ心が豊かになると言うかーー」
「ーー36歳がマウント取り始めた……」
「おいこら36歳言うなミスターゼロ」
「あ…ミスターゼロのドーナツ…美味しいですよねっ」
「その共通点穴が空いてるだけやなぁ!?」
生物学上、異性を自慢するのは何らおかしいことではない。俺はその本能に準拠したまでで、寧ろそれが地位確立に結びつく事が基本であり普通の事。
自慢は本能にありっ、という事である。
「………」
智樹君は目ん玉をかっぴらいて、隣に座る俺を凝視していた。ほんと信じられない、みたいな顔をしてた。
そして彼は言う。
「…僕はポンデリングが好きです」
「いや誰も聞いてねぇよ」
「なんでしたらエンゼルクリームの方がーー」
「脳味噌ホイップクリームで出来てんの?」
智樹君の頭ん中はドーナツでいっぱいのようだ。
「……どう? マウント取られた気持ちは」
含み笑いを入れながら、チラリと智樹君に目線を向けると智樹君は目を数回瞬かせてから「んー…腹立つ」と素直に気持ちを吐露した。
「羨ましさはないの?」
俺はそれでも尚いじらしくそう聞いてみると「えーと……ちょっと…だけ」と智樹君は目を逸らしながら言った。
「…ふーん、流石ミスターゼロ。羨望の眼差しが熱いな」
「あのちょっとだけって僕言いましたよね今」
「眼差しで溶けちゃいそう」
「そのまま蒸発してしまえっ!」
そこまで声を荒らげ、そして智樹君は項垂れるようにため息を吐いて。
「……酷いっすよ悠夜さん」
鼻を軽く掻いていた。
そんな俺たちを見て、川端さんは面白そうに、楽しそうに笑って言う。
「っいやぁほんと仲が良いですね。今日会ったばかりの人の仲だとは思えないです」
全くその通りだと、俺も思った。
それから暫くは睨み合いが続いたが空気感は徐々に鎮火していき、会話は滞ったままそれぞれその静まりにソワソワし出していた。
目線を時折誰かに向けたり、店側に向けたり、スマホを触ってみたり。落ち着かない感じが強い。
(まぁ無理に話す必要もないしな)
俺はそう思ってスマホに手を掛けて、すると他のみんなもスマホを触る様になって、そうして気づいた頃には船が出港していた。
この大広間に居る人の数も増えた気がする。
「船…出ましたね」
「ですね…」
川端さんの呟きに、俺は海の景色に黄昏た目を向けながら相槌を打った。
「………」
海の景色はガラス越しにでも綺麗に映っている。段々と離れていく港、その陸地の姿。小さくなっていく大陸の有様を見て改めて陸を離れて海へと渡ったんだなと思った。
父なる大地から母なる大海へ、家から外へ、既知から未知へ。そんな感じだ。
全部新鮮で、全部真新しくて、これからの全てが楽しみで。
何故それが楽しみなのかはまぁそう言った開拓精神が掻き立てられている事もあるのだろうが、多分…社会復帰をするという点が一番大きいのだと思う。
しっかりとは自分でも分からない事のだけれども、でも、ただ人と言う存在を怖がっていた俺は、そうでありながらも人との繋がりが恋しかったんだと思う。
今さっきも、こうして人と話し合えているという状況が楽しかったし。
だからついつい智樹君をおちょくっちゃったが…うん、まーいっか。
なんにしても、物事は進んでいる。
俺はこの道を歩いている。
前みたいに傷口が治っても尚あの場所に居座り続けた、止まり続けた怖がりな俺なんかじゃない。
変わってきている、その感覚はひしひしと伝わってきている。
強く成りたい、守りたいもののために、自分のために大きく変わりたいと踏み出した一歩。
前の俺の姿から今の俺はどんどんと離れていく。
俺はそれを良しとした。
それから10分ほどして川端さんが「そう言えば、皆さんってフェルミナンダンジョンの話って知ってますか?」と聞いてきた。
各々スマホの電源を落とし、川端さんに目を向ける。
「フェル…ダンジョンの話ですか…?」
「あぁ、マリで見つかったダンジョンの奴ですね」
「そうです、アフリカのマリで見つかったダンジョンの話です」
智樹君はどうも分からずじまいの様で、困惑の色を強めて俺を横目に見ていた。
「あ、一応概要をお伝えしますとね、この前…まぁひと月前程の事なのですが、アフリカにあるモロッコの下の下。そこにある国、マリで見つかったフェルミナンダンジョンの話になるんですけど」
川端さんは言葉を続ける。
「そのダンジョンのとある階層でですね、永続的に雨が降り続けるというとても凄い階層が発見されたんですよ」
「雨が…ずっとですか?」
「そうです、ずっとです」
それに俺は注釈を入れる様にして話を紡ぐ。
「まぁねずっとって言うのもすごい事なんだけどさ、それよりももっと凄いのが雨水に不純物が殆ど入ってないっていうかまぁほんと綺麗らしいんよ。高レベルな濾過が施された軟水とも言われてて、水質が安定した安全な水だから利用価値が高いんよ」
「へぇ…そうなんですね」
と、まぁこうして自慢げに解説しては居るのだが、実はこの情報がマイナーかと言えばそうでもない。
確かに日夜ダンジョンの発見や研究の情報が発表され続けていて、埋もれてしまう情報がない訳ではない。
埋もれ掛けて、でもギリギリ知識人は知っているような情報もある。
しかしこの話はちょっと前に話題になったくらい有名な話で、知らないと言うのは中々な話だ。
……智樹君はあまりテレビやネットニュースとかは見ないのだろうか。
「もしかして智樹君ってニュースとかあんまり見ない感じ?」
(聞いてみた方が早いか)
そう思い、言葉にして智樹君に聞くと「え?」と少し戸惑った様な顔をして唸りながら。
「あー…えーと、昔はー…まぁ見てはいたんですけど、最近は娯楽に足を突っ込んだり、技の技術を鍛えたりしてて…そういう情勢とかの情報の話は度外視してまして……こう言うのってどう調べたらいいかわからないですし、仕事にもそんな関係しなかったので」
「あー…そっかぁ」
不必要だったから、か。
「じゃあさ、これを機会に新しい情報に触れてみようよ。多分世界情勢とかダンジョンの事とかは特に必要になってくると思うし」
開拓者なら尚の事、ダンジョンについての事は必須情報。
ダンジョンによって揺らいでいる社会情勢も知っておかないと、日本の立ち位置とかも分からずじまいになってしまう。
そんな進言は、どうやら届いたようで。
「あー……いいですね。それはありがたいです」
智樹君は嬉しそうに頷いた。
「おっけー。よし、じゃあさっきのマリのダンジョンの話を続けよっか。…て、言っても川端さんが話し始めた話題だけど」
そういうと川端さんは微笑ましそうに目を細めて「別に島崎さんが続けてくださって構わないんですよ」と言ってくれた。
が、しかし横取りはあんまり気持ちのいいものじゃない。
「あっ、いやいや、ここは川端さんが」
俺は慌てて譲られた席を戻す様に声をかけ直す。そうすると、川端さんはほんの少し悩む様な顔を浮かべてから直ぐに。
「……じゃあ、僕が代わりに」
話をし直し始めた。
「そうですね。そのフェルミナンダンジョンで取れる雨水なんですが、まぁ綺麗で利用価値が高いと。なので早急に運営資源として活用しようとマリ政府が動いてまして、今は貯蓄タンクや貯めた水の配送要員。配送を最適化する為の機械、経路の整備、敷設、Vilmや水を狙う人から守る警備要員だとか、それはもう祭り騒ぎのような勢いで構想がされているんです」
ーーそれで。
「なんでこんなにワンヤワンヤしているかと言うとですね、その水資源によって齎される恵みが現地のマリと、その周辺国を急発展させるかもしれないからなんです」
「…へぇー。水なんかで国が発展するもんなんですね」
智樹君は心底不思議そうに言った。
そんな智樹君の言葉を聞いて川端さんは首を軽く横に振りながら言葉を並べる。
「いえいえ。水と言うのは確かに日本で暮らしていれば身近で綺麗で、それこそ湯水の如くと言う言葉が有るくらいにはありふれていますが、世界ではそうじゃありません」
川端さんは少し息継ぎをし。
「歴史を辿れば、採集できる食料よりも水を求めて争って来た、水のある場所を拠点として定住していた、と言うのが殆どで、それは今も変わらない普遍的な事実ですーー」
ーーただ。
「現在の日本はそう言ったことを余り考える必要がないと言いますか、年々貯蓄量が減ってきてはいるものの水源の豊富さや水質衛生の度合いが極めて高いので注視されることが少ないだけなんですーー」
ーーですが。
「やはり世界に目を向ければ飲める水、所謂淡水と言うのですがそれらは殆どなく、第一に渇きを潤す為の水利用、第二に食糧の生産をする為の水利用がままなっていませんーー」
ーーしかし。
「このダンジョンの階層の登場によって事態は一変します」
「一変……」
川端さんは深みを持たせながら。
「全ての問題が解決してしまうんです」
と言った。
「なんでしたら、全ての問題が解決するは愚か他国から求められるようになるんです」
「他国からも…」
「はい。それだけ安全で安定した水を求める国が多いわけです。後年々減っている水源の確保のためですね」
智樹君は「なるほど」と頷いて更に耳を傾ける。
「ただ、主に水の輸出というのは重さや消費率の高さから単体で運用するのは効率があまりよろしくなくてですね、基本的な水の輸出は穀物や家畜などで行っているんです」
そういうと智樹君は「え? なんで水なのに穀物とかになるんですか?」と、コテンと首を傾げながら川端さんに疑問を送った。
川端さんは言う。
「それはですね、水の活用方法、ここに帰結するんです」




