【3】フィルター
レモンの表情は相変わらず窺えない。
そんな中で、声の死んだ感じは感じ取れた。本当に嫌なんだろうなと、感じ取れる様な声の様。
「……私達は人間の文明を…その……何度も、消滅させてきました」
「……月隕石でか?」
「いえ、隕石単体で…ある段階を超えると、です」
「ある段階って…?」
そう言うレモンの言葉に悠夜はオウムを返して、レモンの言葉に耳を傾けた。
18:42
「文明の破壊基準はAI技術の超発展の手前。…つまり現代の様な、AI技術と混合し、AIの有用さを飛躍的に伸ばし始める文明段階が当てはまります」
「……なんでAI技術が進んだらダメなんだよ」
「先ず、AI技術が進む、人間が他力の有用性を高めると、それに伴って人間は道具を手にして扱わなくなります。…完全自動化は人間の能力を放棄、劣化させる要因として、私達は見ています」
レモンは続ける。
「私達の地球を防衛する目的の説明、ひいては神々の計画については悠夜さんのみにお話しする様なものではなく、今までに同様の形で説明してきました」
「………」
「その対象が…ダンジョンで一定レベル以上に達した、且つダンジョンを複数個攻略した人達に対してです」
「…利用できるレベルになったから協力の持ちかけか」
「そう…ですね、協力してもらう為です。毎文明毎に凡そ数万人がその協力要請レベルに達しています。ただ……この話しをして集まる人の数は数百、多かった時は一万弱、これもまた文明や思考傾向によります」
ーーただし。
「AIレベルが急成長する2000年から2500年代は集まって数十。最悪0の時もありました。出来るだけ早く、協力的かつ強力な人間が必要な私達にとって、そうした数値は切り捨てるにいいと判断しました。機械やAIに頼り切るが為に個人レベルでの強さが下がっていくのとその比率も目安になっています」
「……なぁ」
「…はい」
「レベルアップって、無機物って言うか人間以外、物質…それこそ機械もするって言ってたと思うんやけど、それは使えないの」
そんな簡単に出てきた不思議な点にレモンもまた、直ぐに声にして言った。
「脳レベルが違います、そこが問題です」
「脳レベル…って、AIが人間を超える時代やぞ?」
「実際には人間を超えられていません、所詮人間の作るAI機器は人間レベルの模倣、劣化版であり下位互換以下です。脳の情報集積機能が発達していても本物の人間の脳には辿り着けません」
悠夜はそこに疑問に思った。
「……? どうゆうこと、今の時代の段階でかなり複雑な思考回路を持ってるし、なんなら自立思考型の開発も進んでてーー」
「ーーレベルアップ自体の効果は確かにあります。自立思考型は人間に最も近いものでしょう」
ーーでも。
「人間程秘める能力がないですし、閃く思考も出来ません。人間の脳構造は個人レベルの特質があり、所謂個性があります。全体的な脳構造の特性から自由度も高いです」
ーーしかし。
「人間の作るAIの集積レベルでは個性は作れません、汎用性の高さと単調な思考のみです」
「んー…個性とか閃く能力が欲しいなら…その脳構造を設計したらいいんじゃ?」
「不可能です。人間の全てを完全解析出来ないのに同様以上のものを作ると言う事は不可分です。中途半端な能力を持ったAIは結局また、新たなAI文明という存在を作り、人間は違う分野とベクトルで機械の能力に負け、そして人間の文明が崩壊する。それまでがこの数千年でのセットです」
「…あー……うん」
聞いたはいいものの、なんかあれだなぁっとパッとせず、悠夜は特にそれ以上質問や言葉を返す事をせず考えた。
そうして暫くして。
(まぁ掻い摘んでまとめたら…力にならない文明化は邪魔だから壊すって事だよな、隕石で。それで、まぁ壊せるんだろうけど……ん?)
悠夜はそれについてレモンに問うた。
「え、でも隕石とかで物理的に崩壊させたら地球そのものがダメになるじゃん。どうすんの」
「それは創造の力で世界の同一化を図り、地球をこの次元に再調和させます。それにより世界修復の条件はなされーー」
「ーーあ、わりぃ、俺から聞いてて悪いけどやっぱわかんねぇわ。…まぁ兎に角、神様の力って事で良い?」
「はい、その通りです。創生の力で…はい」
「……おっけー」
悠夜は目を数秒閉じると、ゆっくり開けて息を吐く。
「分かった分かった。…やってる事は敵対する神様らと一緒で、それが神様パワーで生物ごと修復するか根絶するかの違いだな。地球を守る為なら地球に住む奴らはどうでもいい、利用する、使えない文明は壊して新しい使える文明を栄えさせる…そう言う事でいいんだな」
そんな悠夜の超訳にレモンは押し黙った。
何とも返せないと言う雰囲気だけを漂わせていた。
「……肯定と取るぞ」
悠夜はそう言って、深々と溜息を吐いた。
「…確かに、めちゃくちゃな話だわなぁ」
嫌味のように強い言葉調。
「俺達人間にとっては」
悠夜はそう言って髪の毛を掻いた。
利用されていた、信用していたのにただの道具のように思われていた。そんな気持ちが、悠夜の気持ちを煽動させていた。
だから、苛立ちが膨れ上がり始めているのか、自分の事がよく分からないまま右のこめかみに人差し指と中指を押し立てた。
「はぁっ……」
声を張り上げたいと一瞬思った。苛立つ感情が破裂して唸り声を上げそうになった。けれど直ぐに気持ちが鎮火される。やっぱり気持ちが抑えられている。
自分の事なのに、悠夜にはそうした自身の感情の動きを捉える事が敵わなかった。
そうしていると道が路地に変わってきたので悠夜はハンドルを握り、ペダルに足を置く。
19:03
もうじき、家に着く。
「……なんか…もう訳わからんわ」
悠夜は言う。
「神様と対抗する為に力を貸してくれって言われたかと思えば、協力関係のはずの奴らがそもそも地球を壊してるし、それも神様パワーで直してな、何度も。…生産性のある文明を作り出す為にそう言うことするってさ、やっぱさ…人間側がさ、テリトリーと種の存続維持を餌にされた搾取側って事よな」
「……すみ、ません…でも、これしか神に対抗する手立てがなく、苦肉の策で…」
「苦肉の策を何回もできるもんかよ笑わせんのも良い加減にしろよ」
「………」
そして、沈默が流れて、その静けさが煩すぎて、悠夜達はナビの到着の音声すら無視して車内に居座っていた。
「……なんか他に話す事とかあるの」
悠夜のその質問に、レモンは首を横に振った。
「……ないです。隠していた事は、それだけで…」
「ほーか…」
……さて。
このまま、どうする事が正解なのだろうか。
何にしてもレモンを家にあげるべきなのか、縁をさっさと切ってしまうべきなのか。レモンにとってどの行動が最善なのか。
黙ってレモンの判断を待つのか、強引に手を引いて家に取り敢えず入れておこうか。
それを、レモンはどう思うのか。
普通、人並みの感情があるならば、さっきまでの申し訳なさや謝罪が本心からならば、普通。
普通だ、普通家に残っていられない。
だから悠夜は少し、レモンが家に残らないと言う選択を主張する事を僅かながら望んでいた。
実感のない残酷な事実を描く張本人らの一人であっても、その並べた言葉に含まれた気持ちは本物であって欲しかった。
それは本当にただの願望でしかなかった。
そして多分、この段階での正しい答えというのは何もないのだろうと悠夜は達観していた。
そう。答えは何もない。
少なくとも悠夜自身が見出せる答えは。
「………」
「……悠夜さん」
レモンはそんな思案の募る空気の中で、そう悠夜に声をかけた。
そして、レモンは言った。
「…今まで…ありがとうございました……花奈さんにもこの感謝の気持ちと、謝罪の念をお伝えください」
「………」
そう言ったのだ。
悠夜は少し嬉しかった。
でも、虚しくも思った。
「それと」
レモンは続ける。
「今後100年は文明を滅ぼさない様、話は持ちかけておきます。それが悠夜さん達に、私ができる…唯一の…謝罪の手段、だと、思いました…ので…」
「…俺たちだけでいいのかよ、そう言う配慮。他の人達にはないのかよ」
「……悠夜さん達に向ける想いだけで良いです。これは、知ってしまった以上、どうしようもない話なので…それに、今までの…その、本当に幸せな生活をさせて下さった事への御礼でも、あります。……どうか、余生を心配する事なく」
「…」
レモンはそこまでいって、ドアに手を掛けた。
ノブを引き、ドアを開ける。
「ありがとうございました、本当に…。一年と半年…だけでしたが、本当に楽しかったです。…何だかんだありっ…ましたっ…けどっ……か、家族の様に接してくれた事、本当にっ、本当に嬉しかったですっ。本当にありっ、ありがとうございましたっ…」
声が震えている、シートにタッという弾ける様な音が複数回鳴った。多分それは涙なのだろうと、今の悠夜でも思った。
「本当にっ…ごめんなさいっ……」
そして、その最後の言葉の合間だけ、レモンの顔からフィルターが外れた様に見えた。
レモンは扉を閉める。
パ…タンと力ない音を立てて閉まるドア。
ガラス越しに映る少女の虚しげな、そして悲壮感に溢れた走り去る後ろ姿。
でも、その足取りは変で、力無く走っている。
その歩幅は重たくて、苦しそうで、でも、確かに遠くなっていっていて。
段々と遠のいていくその少女の後を、悠夜は追おうともしなかった。
悠夜は少し車内で余韻に浸ってからエンジンキーを引っこ抜き、家に入った。
「……母さん!?」
そんな折り、悠夜はキッチンで倒れる花奈を見つけてすぐさま駆け寄った。
焦りに焦るこの状況、しかし。
「あーおかえ…どうしたの気持ち悪いくらいテンション高いね」
「……死んでる」
「え、喋ってんの聞こえない? もしもーし」
悠夜はそんな花奈の反応に安堵しつつ溜息を吐いた。
「…どうしたんだよ、死体ごっこか何かか?」
「いや、普通にギックリ腰ね、いやぁまいったまいった私も歳ねぇ」
「割と重体の癖に何でそんなに軽そうなんだよ……」
悠夜は倒れて動けない花奈を、カーペットを敷いているテレビ前まで運び上げ、そこで近くに置いてある救急箱を戸棚の下段から取って介抱する。
と言っても湿布を貼るくらいの事。
ちょっとスマホで調べてみると腰を冷やす事も効果があるらしいので、と悠夜はレジ袋に氷と水を入れて堅く結び、花奈の腰に設置した。
「ありがとー」
「ほんま、心配させんなよびっくりするわ」
そんな悠夜の言葉に花奈は薄く笑いながら言う。
「いやーねー、もう歳なのよそんな事言わないで」
「あー……」
悠夜はそうした自虐を聞いて、心の中で頷いた。綺麗な背中をしているせいで気づかなかったが。
「確かにもう俺が34だから…母さん54か。歳とったなぁ」
「言い方ー…。でもそうねぇ、もう54…なのよね……」
「まぁあんまその歳に見えないのが変な話だけど」
「あー、職場の人によく言われるわーそれー。30って言われても違和感そんな無いって」
「それはない。…とも言い切れないんだよな」
普通なら笑いが起こせそうなツッコミだったが、事実が先立って言葉をひっくり返してしまう。
そうして静まった、空気感。
消えているテレビの画面に悠夜達二人の影が映った。
「それにしても、いつもより顔が暗いわね」
声にしたのは、花奈だった。
「…え? そう?」
「……レモンちゃんと喧嘩でもした?」
「ぇっ…ぁ……ゃ、べつに…」
花奈の鋭い質問にそう反射的に答えてしまう悠夜。
悠夜はそうした困惑の色を出しながら、自身の顔の暗さは分かるほどに出ているのかと、ちょっとばかし失望した。
微妙に顕著な表情を隠そうと思っていた事が、その技量不足感を明確に炙り出させていた。
そんな悠夜の心情を知ってか知らずか、花奈は言う。
「図星突かれると弱いわねぇ悠夜って」
「う、うるせぇよ」
そうした悠夜の反応に花奈はふふっと小さく笑って言った。
「まぁー…悠夜って高校生になったあたりから雅君の真似なのか物事を俯瞰的に捉えようとする様になったじゃない」
「え? …あ、あーまぁ」
「そのせいか、あんまり自分の気持ちを声に出して伝えようとしなくなったじゃない。どちらかと言えば心の声で留めてる事が多かったんじゃないかしら」
「う、うん。まぁ、そうだな」
急に何を言いたいのだろう、と悠夜は疑問に思った。けれどただ悠夜は花奈の言葉に耳を傾けた。
「でも、偶に心の中で抑えきれなくなったら顔に出るでしょ」
「…それはー…普通じゃない?」
「ええ、普通の事よ。けど悠夜は直情的な表情を出さないのよ、何処か憂いていると言うか、達観してるって言うか抑えてますよ〜自我ー、って感じで」
「…うん」
「キモい」
「キモい!?」
「…でもそんな感じで全力反応もあるから一概に言えないのよ。弱いとこ突かれたらすぐに分が悪そうな顔と声色で反応するし、さっきのも図星なのが丸わかり。つまり何を言いたいかって言うとね」
「……なに」
「中途半端過ぎるのよ」
花奈はそう言って、悠夜の額に人差し指を押し付ける。
「いてててて…」
「…腰使うなよ、無理すんなって」
「無理してないわ痛いだけ」
「巷じゃそれを無理してるゆうんねんって」
「あのね…無理してるかどうかなんてその人次第なのよ、みんな一緒だと思わないでててて…」
「かっこいい事言おうとすんなら先ず痛がんなよ…」
花奈はゆっくりと指を離して悠夜の顔を見ると、ため息を吐いてから言った。
「俯瞰的に物事を見るのは得意な人だけで良いのよ、状況把握能力が自分でいいと思ってそうなの、見てて痛いわ。共感性羞恥かしらね」
「そんな言い方ってある…?」
「あるわ、現にこうして言ってるしね。……ま、だから辞めたら? 偶には。第三者視点で物事を見てたら主観的な気持ちが表に出てこなくなるでしょ、と言うか表現できないでしょ?」
「……それは…」
花奈の問いには心当たりがあった。
確かに、あった。
さっきのレモンとの話でも、気持ちの奥底では何かしら煮え滾ったような怒りと悲しみがあるのだろうと、自分を客観的に見て解釈していた。
多分。
いや。
やっぱりそう言う節はあったと言える。
でもそうした客観視は今回に限ったことじゃなくて、殆どいつもそうで、他人事の様な見方の癖して自分の事しか分からないから自分の事しか脳内に描写していなかった。
でもだからと言って自身の内情の描写が突出していた、かと言えばそうとも言えない。
どちらかと言えば、不足気味であったと言える。
周囲的な、客観的な視点での思惟はあったかも知れないが、感情の大きな起伏を描写していたのは後にも先にもレモンが幻覚じゃなくて、自分がペドじゃないと言う事が判明した、そんな時ぐらいだろう。
記憶にあるのはそれくらい。
それ以外は自分以外の機微などで、その自身の内情の描写不足などを補い、隠していた。
俯瞰的で、自分の描写だというのに異様なまでに自身の気持ちが表に出ない様になっていたのは、そう言うところからなのかもしれない。
そしてそうした主観とのズレが母さんには気持ち悪く見えたと。
「まぁ、無理にとは言わないわ。でも、気持ちを表に出さないってのは本当に疲れる事だから」
そう言う母さんの言葉を聞き、俺は考えた。
その通りだから、考えた。
多分このままだと駄目な気がした。今の様な考え方の方が気持ちが壊れそうな気がした。
だから悠夜はーーいや、だから俺は。
捉え方を180度変える事にした。
どうやって、と考えれば何にも思いつかない。長年の癖の様な形で体に染み付いているから上手くいかない。
でも、変に周りを気にして物事を考えてみたり、自身の考えを抑え込んで動いたり、判りもしない人の機微をわかった風にして捉える。
そう言うのを取っ払えばその考え方に至れる気がした。
「……確かに、そうかも」
俺は母さんに相槌を打って、瞬きを回数多めにする。
そうして自身の気持ちを優先して考えるように努めて、そして、すると徐々にだけれど、閉じられていたと思っていた気持ちがしっかりと溢れ始めた。
それでいて、何より直近の事柄に対しての気持ちがモウモウと心の中に漂って、俺の心情に棘を刺した。
「…なぁ母さん、ちょっとさ…」
誰かに話したい欲が俺の中で生まれていた、その事に気がつけた。
そんな俺の話口に母さんは「レモンちゃんの事?」と声を出しながら俺の目を見た。
「……うん、そう」
話したい。
けれど…話す前に、母さんにこの話をする前に、俺は、考えた。
ここでレモンに向けての優しさは必要なのか、どうなのか。
この説明をするべきなのかどうなのか、俺は考えた。して良いものなのか、黙っておくべきものなのか本当に判断に困る代物であると。
でも話したい、話しておかなければならない。
そうも思った。
それはこの話と、それに連なる俺の今の率直な気持ち、それを聞いて欲しかったからなのかもしれない。この複雑な心情を共有したいのかもしれない。
心の感覚を言語化するには、主観的であっても中々難しいものだった。
何にしてもそれは正しい事なのか。
気持ちを出した方が良いと言われたからと言って、この話をして良いものなのか。
悩む、レモンが天界に帰ったとでも言って話を終わらせておくべきか。そうすればある意味、双方共に傷つく事はないはず。
(確かに、こんなめちゃくちゃな話を知って得するなんて事、なかったな)
レモンの忠告を蔑ろにして聞いた、そのツケなのだろうか。
俺は深々とため息を吐いて。
「実は、さ…」
やっぱり俺は母さんに、車内で聞いたこの世界の事情全てを話す事にした。