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 前髪が濡れ、顔が濡れ、水が(したた)るいい男か。なんて考えてみるが、そんな事もないだろうと悠夜は自身で言葉を切り捨て呟く。


「…んー、ちょっと待てって言いたいところだけど、そうだな。帰らないと…今17時くらいだろ」


 春の夜空というのは冬よりも遅いが、夏より断然早い。18時ごろには本格的に日が落ち始める事を加味し、悠夜はスマホを取り出して時間を確認し。


17:06


スマホから目を離してレモンに目線を送った。


「ほらな」

「もー早くどいてくださいよー」


 そんなのは良い、とレモンはぺしぺしと素早く悠夜の頬を叩く。


 少し湿った肌の音。

 悠夜はその連続打撃に少し笑いながら気持ちをすぐさま入れ替えて。


「……このまま寝ときたいけど…っ」


 よっ、と肺から空気を吐き出して立ち上がり、悠夜は左右に体を振って背骨を鳴らした。その心地良い音に目を細めて、漸く帰ろうという気持ちに切り替わった。


 それから悠夜達は温水で全身を洗い、服を着替えて車に乗る。お風呂上がりのような快適さに、悠夜はシバシバする瞼を何度も閉じていた。


「今日も色々とありがとな」


 そんな眠気が邪魔をする下山の道。悠夜はそうバックミラー越しにレモンに言った。


「ほんとですよ、普通ならスイパラ3回ですからね」

「なに当たり前の様に言っちゃってんの」


 レモンはシートベルトを外し、寝転がる。

 静けさに添える、車の音。

 足場の悪さに車体が小刻みに揺れ、車輪の駆動音がほんのりと耳につく。


 ヘッドライトを点灯させるほどの、段々と濃くなる暗がりな空模様には、太陽とバトンを交代してか、月がでかでかとそそり(のぼ)っていた。


「それにしてもさ」

「……はい、なんですか」

「なんで白い動物って、白い動物になったんだろうな」


 そんな悠夜の口ぶり、レモンは(いぶか)しむような口調で応答した。


「…なんですか急に」

「いや、なんかな…。うん」


 そうは言ったものの、はっきりと分からないわけではない。見解はあって、それはとても簡単で、カタスフィアー隕石が降ったから、それだけの話。


 多分その当時の何かしらの影響を受けて動物達は変化したのだろうと、憶測でしかないが、悠夜の頭には色々な話の繋がりに、やはりその隕石、月隕石災害の背景がありありと浮かんだ。


 それ以外にも理由付として悠夜は、あの異様な様と通常種とは段違いの身体能力。それらを前にして、何故だか近しいものを感じていた事も上げられる、と考えた。


 そして、それに加えて身体能力強化、それの果ての魔物になると言う話。


 レモンが異形から始まり、自我を失い魔物化すると説明してた時から悠夜は違和感を覚えていたが、流されるまま、あまり考えずに過ごしていた。


 けど、悠夜は今日、ふと思ったのだ。


 レモンが知っていると言う事は、これはやっぱり天使達が住む世界。そこで恐らく周知されていた事象なのではないだろうかと。


「…やっぱ、レモンなら知ってるんじゃないかって」


 悠夜は考えた。

 それからレモンは、疑問を悠夜に呈した。


「……なにを…ですか」

「ぇや、なんか、全部…」

「……全部…?」

「…ああ。この変わっちゃった山の異変も、何だったらカタスフィアー隕石についても」


 駆け走る車窓(しゃそう)

 それにレモンは目をやり、細い声で「そうですか…」と素っ気なく、呟いた。


「偉く淡白だな」


 そんな悠夜のツッコミに「…えぇ、まぁ」とレモンは少し悩んでから悠夜に言葉を返した。


「…ただ、何でそう思ったのかだけ聞きたい、ですね」


 そうしたレモンの問いと言うか疑問というのは当然か、と理解した悠夜は、今日思った事をそのまま伝える事にした。


「あー…それはあれだよ、お前が身体能力強化のデメリットを力説してくれてた時に異形になるのと自我を失う話をしてくれただろ? で半年前の報告書見た時には気性の荒さ、そっから白い動物……魔物と対峙するたびに何処かしら部位が変だった……異形だった。その事も理由の一つ。後、魔物を前にした時になんか、感じたんだよ。身体強化と似たなんかを」

「なんかって、何ですか?」

「なんかはなんかだよ、感覚的でよくわからんから濁した」


 そうして、時間は沈黙の海に潜って行った。

 静か過ぎる空間、不快感はないが切り詰められた空気感が不思議と感じられた。


「……あの、悠夜さん」


 そんな頃。


「はい、悠夜さんですが」


 悠夜はカパッと、片手間に缶コーヒーの蓋を開けて相槌を打つ。


「ちょっと、お話ししたい事があります…」

「…おー、うん。どした」


 そう相槌を打つと同時に走行中の車体が木の根を踏んづけ、ガタンッと大きく縦に揺れる。


 開けていた缶コーヒーがドリンクスタンドから少し浮き上がった。悠夜はギョッと瞬間的に目線を向けるが、直様前を向いてハンドルを握り直す。


「ビビったぁあ…」


 一応カメラ認識のオートアシスト機能を作動させているものの、オートドライブトラックチップが埋め込まれた都会のアスファルト道路ではない為、手動で走行をしている。


 運転には確かにカメラ認識機能を使ったオートアシスト機能によって多少の補正がかかってはいるが、道が道だ。


 余所見をすれば普通に事故るという事には変わらない。


 悠夜は兎に角(こぼ)れなかったコーヒーの姿を見てホッと一息つく。


「でレモン。どうしたん?」

「えぇ…と、はい」


 間が空いて、静まる空間。

 悠夜はその中でピアノを大袈裟に、それでいて適当に引く様な、そんな指使いで握るハンドルを軽く叩いた。


 革の硬質な音と指の乾いたタップ音。


 そこに挿入歌や音楽は掛からない。ただ静かなドライブ音だけが耳に聞こえてくる。


 そして声の高い咳払い。


「……今回…その。まぁ、いつかは話すつもりでは居ました。だから今は…そう。ちょっとそれが早まったといいますか…ーー」

「ーー前振りは長くなりそう?」

「あのっ、結構頑張って話そうとしている人にかける言葉じゃないですよそれっ」


 もーっと頬を膨らませるレモンは、流石に寝転がりながらでは気分が良くないのか、背凭れに腰を掛けると、レモンは息を長く吸い込み吐いてから言った。


「始めに…その………」


 悠夜は缶コーヒーを口内に含んで、デジタル時計に目を向ける。


17:30


「………」


17:31


 レモンは苦しそうに目をギュと閉じて、そしてゆっくりと目を開けた。バックミラー越しに見えるその影た目の雰囲気は、少しだけ安心するような、落ち着いたようなモノを孕んでいた。


 その一瞬だけ、レモンの目が見えなくなったように、悠夜には見えた。


「レモン…?」


 こっから家まで後一時間ちょっとは走らなければならない。少し荒めの運転ではあるものの、悠夜はもう少しだけアクセルを踏み込んだ。


17:34


「……悠夜さん」

「はい悠夜さんですが」


 レモンは口を閉ざしてから息を小さく吐いて言った。


「もし、私が……その、ダンジョンが突然各地に出来るっ、て…言ったら……信じます、よね…」

「いやなんで急に勝手に信じると思ってんだよ。びびるわっ」


 悠夜はうっすらと笑いながら小さく唸る。


「んー。…その前にさ、ダンジョンってなに? あれか? ゲームとかで言うモンスターとかが階層ごとに出てきたり、宝箱とかが不自然に湧いたりする場所的な物の事?」

「……ええ、はい。その考え方であってますね。……それで」


「どう思います、か?」というレモンの揺れる瞳を鏡越しに確認しながら、缶コーヒー片手に悠夜は笑って言葉を紡ぐ。


「そうだなぁ……。そりゃまぁーなー。信じるかどうかで問われたらー…信じるな。魔法とかあるし、君とか居るからね。そこに新たにダンジョンが出来るっ、モンスターが出てくるって…言われてもあーそんなんが出来るんかー、程度にしか思わない。魔法を見た時ほどびっくりはしない。……けど、でもーー」


 悠夜は。


「それを聞くと余計、なんか…夢みたいだなぁとは思うよ」


 言った。


「夢、ですか」


17:37


「そー、夢。なんつか、ゲーム的? て言うか、ダンジョンなんて言葉もそうだし、この魔法の力とかもそう」


 悠夜は続ける。


「どれも非科学的で、超常的で、突拍子が無いようで、でも実は元から何かに紐付けされている。それこそ、君が教えてくれた魔法の力とかそう。あり得ないけれど、君はあり得る力としての理論を展開し、俺に教え、俺がその理屈を通して使っていけるーー」


ーーこれって、普通じゃないんよ。


「…ほらだってさ、あり得ないんだもん、世界観的に合ってない。考えてみればミスマッチ。科学の力で似せることはできるけど、魔法という概念とは相容れない、寧ろ目標でしかならない存在ーー」


ーー……でも。


「実際使えてる訳だし、教えられてる訳だし…あり得ない力をね? だからこそなんだよ、だからこそ。俺はちょっと夢みたいとだなって思う。と言うか夢と言われた方がまだ納得できるーー」


ーーけどま……。


「この魔法とかそのダンジョンとかってやつ、君も含めてさ、やっぱり夢じゃない、そんな気もする。そんでもって夢だったとしても、目覚めた先にはこの力も君も、居るような気がする」

「…なんで、そう思うんですか…?」

「んー…」


 悠夜はスキップをするような軽快な笑い声を含みながら、首を横に振った。


「特に理由はないかな。…うん、なんもないわ。それもこれ、多分俺の願望ー。目覚めたせいで魔法とか使えないって状況が普通に嫌なんだと思う」


 そういうと、悠夜は缶コーヒーの残りをぐびっと飲み干し、ふぅと息を落ち着かせた。


「信じたいんだよ、多分。単純に」


 信じたい。

 信じていたい。

 願望が直向(ひたむ)きに走ってる感じ、そう悠夜は考える。


 そして悠夜はレモンの質問に、もう一度自身の考えを伝えるように言った。


「ま、だからダンジョンが出来る云々(うんぬん)については疑うとかもないと思う、抵抗もない。ありのままを受け入れるつもり。それでいいって思ってる」


 夜の(とばり)が下りた空の下。水色の車は漸く見えてきたアスファルトの上に躍り出て、車体をガタングワンと揺らす事なく走り出す。


 安定した道のりに、悠夜は重い荷を下ろすように強張らせていた肩を落として、ゆっくり座席にもたれ掛かった。


17:53


「……他に聞きたい事は?」


 悠夜はそう言って軽く喉を鳴らす。

 それに対してレモンは、悠夜の後頭部にパッと目を向けてはゆっくりと落としていった。


 バックミラー越しに映るそんなレモンの姿。


 華奢(きゃしゃ)な姿と幼さと、言論にはそこから感じさせる歳とはかけ離れた、ませた雰囲気が混じっている。成長期、その時期の女の子。


 ただ、偶に出る生意気さと、子供さながらの何かを訴えかけようとする目を見せられるたびに、それを、まだ少女である事を実感する。


 そんな俯く少女の、紅く美しい眼の色には。


「……悠夜さん、お願いがあるんです」

「お願い…?」

「…はい……」


 レモンは言いづらそうに、それでも言おうと決断した口の強ばり方で口を閉じ、スゥーと息を吸い込んで。


18:01


 ハァーッと深々息を吐き出して、少女は言った。



「……私達と神を殺す協力を…して頂けませんか」



 確かに重たい眼差しを、その美麗(びれい)な瞳を、宝石のような(まなこ)を、レモンは悠夜に焦点を当てて向ける。


 そんな真っ赤に塗られた瞳の奥には、バックミラー越しではあるものの、ほんのりと、黒い炎が立ち込めている事を、悠夜はそれとなく感じていた。

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