24 ネガティブな私は時を重ねポジティブになった。はず
あれから。約十年の歳月が流れた。
私、イン・マイナースももう三十歳目前だ。世間一般的にはまだまだ若いとはいえ少しずつだが体の衰えを確かに感じるようになった年齢である。
私は今。昔お世話になった娼館で働いている。まあまた小間使いだったり客引きだったりの仕事だ。給料も悪くない。
当時可愛がってくれた姉様方の中にはまだまだ現役の方も多く、何かにつけては世話を焼いてくれる。おかげで姉様方へのトラウマが再発するようなこともあるが私はどうにか平和な毎日を過ごしている。
「十年かあ……」
あの日。邪神の中とやらでヨウに迫られたとき。
私はヨウに「嫌い」だとはっきり示した。
選択肢としては他にあるまい。いつ終わるとも知れぬ無限地獄よりは、自分の寿命という刻限が定められている地獄の方がまだマシだ。
そしてその言葉を示した瞬間。
何かに引っ張られるようにして私は海へと放り出された。
「あのときは死ぬかと思ったなあ」
多分邪神がまた封印されて、その代わりに私が表出したのだろう。だが周囲には島も何もなく完全に海一色だった。どうにか必死に泳いで陸を目指したものの、果てない水平線の向こうへと泳ぎ切れるわけがない。私は途中で力尽き、あわや海の藻屑となるかと思ったら……。
気づけば私は『国を守る剣』という名のギルドにいた。
「……目覚めたか」
ごつい体格の男が、私の顔を覗き込んでいる。
ここはどこだろう。私は確か。海で溺れて……。
「お前は海で溺れて意識を失った。そして……まあ、そこから一年ほど『寝て』いたんだ」
「一年……?」
記憶がはっきりしない。
溺れたところまでは覚えている。そしてそこから全く記憶がない、というわけではなく、一年間どこかで生活していたような記憶がおぼろげながらに残っている。単に夢を覚えているだけだろうか?
私が寝ていたらしいベッドから体を起こすと、男が名乗った。
「俺はこの『国を守る剣』のギルドマスター、ソル・プラララスだ。お前が知っているヨウの、義理の父親でもある」
「えっ。ヨウの!?」
「ああ。そして目覚めて早々に悪いが、お前さんに客だ」
「え?」
「久しぶりですね、イン」
未だ状況を掴めていない私の耳に。聞き覚えのある懐かしい声が届いた。
「マスター!?」
現れたのは黒豚の着ぐるみに身を包んだ女性だった。私が所属している『安寧を尊ぶ黒』のマスターだ。被り物のせいで外見からでは判断しづらい。だがこの声は間違いなくマスターの声だ。
「今はテネブーと名乗っています。可愛い黒豚暗殺者のテネブーちゃんです」
「はあ。そうですか」
何言ってるんだこの人。
「そしてテネブーちゃんの仕事はあなたを殺すことですよ。イン」
「え!?」
しまった。そうだ。思い出した。
私は任務放棄の咎 で暗殺者を差し向けられるような身だった。ヨウが撃退してくれるおかげですっかり忘れていたが、ついにはマスター直々にということになってしまったのか!?
「待ってくださいマスター! 私はちゃんと殺そうと頑張ったんですよ!」
「あなたの頑張りに意味も興味もありません。殺すべき相手を殺す。それだけが『安寧を尊ぶ黒』の矜持です」
「ひえええっ!」
私が咄嗟に身構えて……しかしいつまで経っても攻撃される様子はない。
恐る恐るマスターを窺うと。私の眼を覗き込むようにする黒豚の被り物がそこにはあった。視界いっぱいに迫ってくるので威圧感がすごい。
「……あの。マスター? こ、殺さないんですか……?」
「ええ。殺す理由がどうやら本当に消えたようですので」
「?」
よく分からないが助かったのだろうか。許してもらえたのなら僥倖だ。私はマスターの気が変わらないうちに媚びへつらうことにする。
「私は今度こそは頑張りますので。『安寧を尊ぶ黒』の一員として誠心誠意……」
「あ、いえ、あなたはもうクビです」
「なんで!?」
「あなたに暗殺者としての腕は初めから期待していません。実戦経験ところか実力もない童貞を雇い続けるほど、私は酔狂ではありませんので」
「他のメンバーにも引けを取らない実力だっていつか言ってませんでしたっけ!?」
「言ってません」
「あ。それならあれですよ。また私の超能力でターゲットの位置を調べる仕事をしますよ。元々そっちが専門みたいなものでしたし。むしろ暗殺なんかよりそっちが良いですし」
「なるほど。それができるなら構いませんが、できるのですか? やってみなさい」
そう言うとマスターはひゅんと姿を消した。着ぐるみの状態でよくもまああれだけ俊敏な動きができるものだ。とにかく。要するにどこかに隠れたマスターを探せと言うのだろう。
「ふふふ。私の超能力にかかれば余裕で……あれ?」
マスターの位置が分からない。というか超能力が発動する感覚すらない。
「……やはり。あの力も邪神から漏れ出た一部だったのでしょうね」
すっと、再び姿を現したマスターがそう言った。
「結論を言います。イン・マイナース、あなたはもう役立たずです。ゆえに、今日このときをもって『安寧を尊ぶ黒』からの追放といたします」
「そんなぁ!」
「……話は済んだか?」
無職になって呆然とする私に、ソルさんが話しかけてきた。
気づけばマスターの姿は消えている。
私は一縷の望みをかけて、ソルさんにこう申しでてみた。
「あのう。私をこのギルドに雇っていただくってのは可能でしょうか? 雑用なら得意ですよ」
「悪いが、断固として拒否する。ついでに言うとだな、さっさとこのギルドから、いやこの国から出て行って、二度と近づかないでほしい」
「私何かしました!? 邪神の器どうこうのせいですか!?」
「……いや、お前さんは悪くないと俺は思っている。邪神の器、あの黒豚は邪神の子とか呼んでいたが、そうなってしまった経緯には多分お前さんの非はないだろう。ヨウと同じように、生まれ持ってきてしまったんだろうな……」
「じゃあ、なんで?」
「俺のごくごく個人的な理由だ。お前が近くにいると困る。もう体が大丈夫なら今からさっさと一秒でも早く出て行ってほしいんだ」
「酷い……」
そして。
理由も分からずに私は追い出された。
最後に一言ソルさんから「本当に、すまない」と謝られたが、謝るぐらいなら雇ってほしかった。
まあ。結果的にこうして娼館でまた働けることになったし。良しとしよう。
それに十年前のあの日から。いや私の記憶としては九年前からになるのだが。
私はどうにも運が良いというか不幸から解放された気がするのだ。
こうして娼館に再雇用してもらえたり。トラブルらしいトラブルもなく毎日を平穏に過ごせていたり。
それに何より。あれからヨウという存在との関わりが一切ないのだ。
あの日。私はヨウに「嫌い」だと言った。そして私は邪神の封印から逃れて表出した。
ヨウの言葉通りなら。今私の中にはヨウと邪神の魂が眠っているということになる。
ヨウはその状態でも会話できるようにすると宣言していたので、本当にそうなる日々を私は恐れていたのだが十年経った今でもその日は来ていない。
私はてっきり封印が解けた直後にはもう頭の中で「インさん。聞こえてますか?」なんて声が響くのではとネガティブに予想していたから、この結果は嬉しい誤算だった。
でもいつその日が来るか分からない。と今までのネガティブな私なら怯えていただろう。
だがその日はもう一生来ないとも思うのだ。
邪神が自分の中にいたらしい今までの人生は、確かに何か重々しい存在が常に腹の中にあるような感覚があった。あれが自分の中に他の魂があるという感覚なのだろう。それゆえに気分が晴れなかったのだと思う。
しかし今は。もうそんな感覚すらないのだ。自分の中には自分の魂しかないとはっきりと分かる。
ヨウと邪神の魂が私の中から消えたということではないだろうか。魂を余分に二つも入れるのは無理があったからなんやかんやで消滅したとか、私の中でヨウと邪神が戦いあって共倒れしたとか、理由は分からないが何でもいい。とにかく消えてくれたのなら万々歳だ。
「はあ。平和な日々。素晴らしいなあ」
さて。今日も一生懸命働こうか。普通の人生、普通の日常。これこそが人にとっては掛け替えのないものだ。そしてその日々が続くように努力すること、続くと信じるポジティブな心こそが大切なのだと今の私にはよく分かる。
「インちゃん。今日は小間使いの子の面接あるからお願いね」
「はい。分かりました」
姉様の言葉に私は元気よく返事をする。
昔のように自分が小間使いをするだけではなく、こうして新たな小間使いの面接をする立場にまでなったことに私は改めて嬉しくなる。
まあ娼館なんて場所で働くことになった方は明るい気分ではいられないのだろうが。
せめて少しでもその子の不安を吹き飛ばせるようにと私は笑顔で面接室へと向かった。
そこにいた少女の姿を見て。私の顔からは笑顔が消えた。
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次で完結です。




