黄昏辻の老幽霊
セージは裏通りを伝って冒険者ギルドを目指していた。
祭りの主催者に名を連ねて参加するなど、初めから乗り気ではなかったのだ。
饐えた臭いのする幅二メートルの、ろくに整備されていないデコボコの土の道は古びたささくれだった木箱や樽が無造作に建物の壁に並べられていたが、どれも打ち捨てられているというわけではなく、なにがしかの目的で使用されている様子ではあった。
冒険好きな小さな少年少女が脇道から飛び出してくる。
通りすがったセージを見て、壁際に背中を預けるように並んで道を譲る。
その前を、少年少女に全く気づいたそぶりも見せずに彼らの前を過ぎると、少年少女もまた戦傷で顔面が歪んだセージに興味を示す事もなく彼とは反対方向に向かって駆け去って行った。
裏通りの途中、ちょっとした広場のような四角い空間に出ると、そこは四叉路になっており、中央には手入れもそこそこに端々が薄汚れた井戸を認める。
その広場のような場所は、壁際に横長の大人が四、五人座れそうな木の簡易ベンチを見つけてひとまずそこに腰を下ろすセージ。
なんとはなしに右手で顔を洗うように上から下へと三回ほど撫で回し、ふっとため息を吐いてよく晴れた空を見上げた。
(なんて、大人気ない・・・。あんな小娘の物言いに、よくも反応した。これではただの道化ではないか)
両目を閉じて俯く。
(セージ・ニコラーエフの記憶。か。・・・ナターリア皇女・・・。この記憶は、他人セージ・ニコラーエフの物か。それとも、それは俺自身の事か。俺は、大槻誠司ではなかったか・・・。俺は、一体、何者なのか・・・)
唸るようにため息を漏らし、四度右手で顔を撫でる。
ふと、広場の壁の一つに設えられていた薄い木の板扉がギリギリと乾いた、今にも壊れそうな音を立てて開き、腰の曲がった擦り切れたチュニックを纏った老人が姿を現し、開いているのかどうかわからない細い目を向けてきて言った。
「おや、オーガがおる」
やれやれ、一人になる事も出来ないのかと首を振ってセージが立ち上がろうとすると、老人は遮るように彼の前に歩み出して構わず彼の右隣に腰を下ろしてきた。
「やれやれ、どっこいしょ」
唸り声を上げて立ち上がろうとするセージの右膝に、左手で持った杖の先端で軽く叩く。
「ほい、これ、オーガめ。そんなに急ぐ事もあるまい」
「やかましい。こう見えて暇じゃないんだよ」
「ふあっふあっふあっ。暇じゃないならなぁぜこんなうらぶれた井戸端でくすぶっておるのやら」
「ジジイには関係ない事だ」
「ふむ、まぁ。全く関係ないのう」
苛立たしげに老人を睨みつけて、今度こそセージは立ち上がった。
老人はにこやかにその大きな背中に向かって言った。
「やり残した事があるのなら、今度こそやり遂げればええ。人生っちゅうのは、一回こっきりじゃからな。ま、お前さんはどうか知らんが。普通は一回こっきりじゃ」
「人生が一度きりなのは当たり前だろう。何を分かりきった事を」
「お前さんは、分かっとらんようじゃからな」
「何だと?」
殺意のこもった目でセージが振り向くと、ベンチに座っていたはずの老人は姿を消していた。
『まま、ならぬ事があるのが、人生じゃ』
「ジジイっ! どこへ行ったっ!?」
『まま、ならぬからこそ、人はもがき、苦しむ物じゃ』
「戯言をっ!!」
脳裏に響く老人の声に、セージは苛立ち、周囲を見渡して大声で叫んだ。
老人の言葉は続く。
『貴様は落ちて死んだセージか。それとも熊に殺されたセージか』
「いい加減にしろジジイっ、ぶち殺すぞ!!」
『いずれでも何者でも、今そこにあるのがお前自身じゃ。さて、それではその迷い人であるお前如きが、真に守らねばならぬモノを、守り通せるかどうか・・・。楽しいのう。・・・過去に縛られし隠者よ・・・』
「・・・ジ・・・・・・ィジ・・・・・・セージ!」
セージは裏通りの広場の、古びたベンチの上に腰掛けた姿勢で、腕組みをした姿勢で目覚める。
いつに間に眠っていたのか、ぼんやりする視界が徐々に鮮明になっていく。
視界一杯に、盗賊ギルドの幹部の一人でもあるアニアス・ケファルトスが両手で彼の肩を激しく揺すっていた。
うるさそうに肩を揺らして腕組みを解くセージ。
「やめろ、鬱陶しい」
「良かった、正気みたいだな・・・」
心配そうに彼の顔を覗き込んでくる金髪褐色肌の娘は、琥珀色の瞳を潤ませてじっと視線を逃さない。
じっと彼女の視線に耐えていたセージだが、たまらず目線を左にずらして息を飲む
「クソが・・・一体全体何のつもりだ」
アニアスはほうっと、安堵の息を吐いて、彼に近付きすぎていた事に気付いて慌てて数歩下がり距離を取る。
「こ、ここいらは、幻術を見せる幽霊が出没するって噂が絶えない場所なんだっ。よく出るのは黄昏時って言うから、こ、こんな真昼間にゃあ出ないんだろうけど・・・。だからって昼寝する場所じゃないぞっ!」
「幽霊だ?」
訝しむように周囲を見渡し、老人が出てきたはずの壁を、木製建築物の薄汚れた板壁を見る。
そこの扉があったと思われる所にはそれらしい跡は見られず、代わりに半分壊れて落ちた大きな木の箱の残骸が転がっていた。
『ひーめーさーまーーーーーっ! いずこあそばしますかっ! ひーめーさーまーーーーーっ!!』
遠く、老騎士キンバーデの声が響き渡る。
「やばっ、もう来たっ!」
ぱっとその場を離れ、四叉路の道の一本に身を躍らせるアニアス。
「アイツしつこいんだよっ! アタシの騎士になるってっ! アンタ連れてきたんだから何とかしてよっ!!」
「連れてきたんじゃない。ついて来たんだ」
「どっちだって一緒だろ!!」
『ひーめーさーまーーーーーっ!!!』
「ああああっ、んもう!!」
駆け出すアニアスは、「もうこんな寂しい場所で居眠りすんなよなっ!」と捨て台詞を吐いて走り去っていった。
入れ替わりで広場に姿を現すくたびれた鋼の胴鎧を着込んで斧槍を左手に持つ老騎士。
「おお、セージ殿ではないかっ。ここに姫様が来られなんだかっ」
「貴様の言う姫とは、どんな奴だ?」
「天神サーラーナにござる!!」
「来てないな」
「なんとっ、くっ、入れ違いになってしまうとは・・・! このキンバーデ、一生の不覚っっっ。 ひーめーさーまーーーーーっ!!!」
そして、教えてもいないのにピンポイントでアニアスの走り去った道を選んで一目散に駆け去って行く。
「本能か・・・? やれやれ、大した執念だ」
苦笑するとセージもまた立ち上がり、冒険者ギルドに向けて足を向けた。
酷い退出の仕方をした会議室に戻るつもりなど毛頭なく、折角出来た時間なのだからとギルドの業務をこなそうと考えたからだ。
何より、今は何かしらの仕事をしている方が気が紛れる。
彼は少女の言葉に再び蘇った記憶を片隅に押しやろうと、無意識にもがいていた。




