死人の館
廃虚までの距離は遠い。
レナ達一行は、昼過ぎには小高い丘から廃虚となった屋敷の敷地らしい森を遠くに認めたが、そのまま行軍しても辿り着く頃には日が落ちると判断してひとまず野営を張ることにした。
小さな焚火を囲んで持ってきた保存食の乾燥コーンと粗く削った拳芋で簡単なスープを作り、干し肉を主食に夕食を取る。
開けた土地での野営であり、魔物や野盗などの外敵がいないとも限らなかった為、交代で見張りを立てる事になり、魔力を途切れさせない為に休息の必要な魔法戦士のフラニーと、神官のアミナは見張りから外れて焚火の側で毛布に包まって眠り、戦士のレナとキルトスで前半と後半に分けて見張りに立つことになった。
退屈な時間だけが過ぎて行く。
深夜を回る頃にキルトスと交代して毛布に包まると、早々に眠りに落ちて、気が付けば暖かなスープを煮立てる香りに目を覚まされた。
短い行程とはいえ、野外の冒険には危険が伴うものだが、幸いにも魔物などに遭遇する事無く旧ヒアキンス邸の敷地である森に差し掛かる。
しかし、旧ヒアキンス邸の玄関口である森に差しかかった所で雰囲気は一変した。日中で日の光もさんさんと降り注いでいるというのに寒々とした空気に満ちており、まるで冬のように吐く息も白い。
冬も間近な季節。
皆、防寒対策に、内側に綿を縫い込んで若干ふっくらとしたダブレットとブリーチズを着用し、靴底のしっかりとした革のブーツを履いている。手もかじかんでは武器を取り回し辛くなる事から手首の上までの長さがある革の手袋もつけている。
レナも、同様の装備で、異世界転移時に着ていたワンピースとジーンズは宿の衣装タンスにしまってきていた。
エルフのフラニーに至っても、深緑色の膝上まで丈のあるシャツの上に着込んだ革鎧の内側に毛皮を仕込んで防寒着代わりにしており、腕には肩の近くまでの長さのある革手袋に装備を変えている。
森に立ち入ってから一気に気温が下がった為に、レナが白い息を吐きながら言った。
「無茶苦茶寒い! コート着てくればよかったよね!!」
フラニーがかぶりを振る。
「確かにね。毛皮鎧があればよかったわ」
「お父さんの借りればよかった。サイズぶかぶかだけど」
「気持ちはわかるけど、レナがあれ着たら毛むくじゃらの何かよね」
「そこ、失礼な事言わない!」
「はいはい。悪うございましたね」
フラニーとレナのやり取りに混ざろうとしてキルトスが振り向くと、ソリ型の台車を引くアミナが小柄な体躯からは想像出来ないような鋭い視線を向けて言った。
「キルトス様、よそ見をしないで前を警戒して下さい。開けた道とはいえ森に囲まれた場所です、獣が出ないとも限りません」
予想だにしない厳しい口調に、キルトスは余裕を持って答える。
「そう心配しなさんなって。ヒアキンス邸と言やあ夏の怪談スポットだ。魔物が出たって報告だってないんだぜ? まぁ、出て来た所で俺が退治してやるから、安心しなアミナちゃん」
「勘違いされているようなので言わせて頂きますが、若者が肝試しに訪れる時期はスクーラッハ寺院が冒険者を雇って戦闘経験の豊富な神官を巡回に当たらせています。比較的高レベルのアナタが受けるような依頼ではありませんから知らないのも無理はありませんが、この森の中では幾度かゾンビが目撃されているのです」
語るアミナの表情は固く、キルトスの人となりを見抜こうとしているような不気味な光が宿り、可愛らしい顔から向けられるその視線はある種の威圧感があった。
ゴクリとキルトスの喉が唾を飲み込むように大きく動く。
アミナが続けた。
「ゾンビと戦闘になったというケースはこれまではありませんでしたが、今回、私達は館の調査に来ています。はたして館の中にまで足を踏み入れようとする者に対して、どのような動きをするか分かりません。緊張感を持って下さい」
「おいおい、アミナちゃん。いう相手が違うんじゃないのか? 俺はベテラン冒険者だから常に周りに警戒している。初心者のレナやフラニーの方こそ雑談してるのを指摘してやったらどうだい」
「レナ様は敵性対象の接近を感知出来る魔法の本が使えますし、フラニーお姉様はエルフ族特有の超聴覚があるので直ぐに異常を検知出来ます。アナタはただの戦士です。その両眼だけが頼りなのでは? それとも、何か技能をお持ちですか?」
「そりゃあ、これまでの経験上ってやつだ! なに、ゾンビの一体や二体、なんの障害にもならないさ!」
「経験上。何の根拠にもなりません。どのような経験に則っておっしゃっておられるのですか?」
森に入ってからのアミナは緊張からか少し怖い。
不機嫌そうに少女を睨みつけるキルトスを見て、フラニーはなだめるように言った。
「悪かったわアミナ。私達だって会話してたって警戒は怠ってはいない。そんなにも緊張しないで」
「そうね、私も常に魔法の本は開いておくわ。視界が悪い所では、早期発見がキモだものね!」
レナもフラニーに続いて魔法の本を起動して周辺の地図を表示するページを開いて言った。
そうこうして、ほぼ直線の凸凹道を進んで行く行程もまた平穏そのもので、レナの魔法の本の地図ページに敵性対象を指す赤いドットが表示されることもなく、昼前にはヒアキンス邸廃虚の正面口にたどり着く。
館そのものも広い土地に建てられており、形の良い石を積み重ねて作られた高さ3メートルの外壁に囲まれた館は鉄の格子状の大きな観音扉の門に守られており、格子の間から望む館は数十メートルの距離はある庭を横断する必要があった。
平たい石畳の道が門から館までまっすぐに続き、石畳の道の左右はそれなりに手入れがされた低木が整然と並んで左右の庭を彩り、道の中程を過ぎると魔獣の石像が等間隔で三体ずつ、都合六体まるで狛犬のように並べられており、全て異なる姿勢で、しかし基本的には台座に片膝をついた格好だが上半身は様々な姿勢で顔だけ門を睨むような造形でまるで館を守っているかのように威嚇している。
一行はじっと門の格子扉から庭の様子を伺っていた。
「こいつは、先輩冒険者の勘だが、庭には魔物の類はまずいないだろう。ただ、あの魔獣の石像は恐らく魔法の魔物だ。近付けばたちどころに襲ってくるだろう。俺が突進して引きつけるから、レナとフラニーは各個撃破してくれ。アミナちゃんは回復役に徹すること」
キルトスが真面目に指示を出す。
一様に緊張した面持ちの娘達は、こればかりは素直に頷いて従い、心なしか先輩面が出来たキルトスは満足そうに頷くと閉ざされた門の幅6メートルはある格子状の観音扉を右手で掴み、慎重に引いてゆっくりと開けて行く。
格子状の観音扉が右側半分が錆び付いた耳障りな摩擦音を立てて人が一人ようやく通れるくらい開くと、キルトスは左手の大盾を前面に構えて腰ベルトの左のカラビナに吊り下げられた小剣を右手に抜刀し小脇に小さく構えてゆっくりと館の敷地内に足を踏み入れた。
平たい石畳の上を大男のブーツが一歩、二歩と踏み締める。
次にレナが左手の小盾を脇腹を隠すように構えて素剣の切先を後方下に向けて構えて続き、後を追うようにアミナが台車を引いて中へ。
最後にフラニーが細剣を右手に前方やや斜め下に構えて敷地内に入ると、空いた左手でそっと格子扉を引いて音も静かに閉じると、一行は隊列を組み直してアミナを守りつつ石畳の上を静かに進んで行く。
三分の一ほど進んで、キルトスが小剣を肩の高さに上げて静止を促して来て一行は立ち止まって周囲を見渡した。
左右に広がる庭園に、ぎこちなく蠢く人影を認めて息を飲む。
「ねぇ・・・。あれって、庭の手入れしてんのかな・・・」
レナが疑問を投げかけると、みすぼらしくすす切れたチュニックに継ぎ接ぎだらけのブリーチズに靴底の薄そうな革の短靴を履いて大鋏を不器用に庭木の手入れをしている人影を三人確認して一同は顔を見合わせる。
道中、人が通った形跡は無いに等しかった。
つまり、時折訪れる心霊スポット観光気分の若者くらいしか訪れていないはずなのだ。
所が、庭を見渡すと、左の庭園に大きく離れて似たような動きで庭木の手入れをする二人の姿があり、右の庭園には大きな庭箒を両手で持って払い落とした枝葉を一箇所に延々とかき集める一人の姿を認めて困惑する。
キルトスが視線だけは相手に向けて不思議そうに呟いた。
「なぁ、あれって、生きてるのか?」
フラニーが首を傾げつつ、彼らの足元に注目して答える。
「ボトムスの膝下から見えてる脚なんだけど、あの脛って随分と骨張って見えないかしら」
アミナが左手を青い神官服の胸元に差し込んで首から下げた聖印を取り出すと、ギュッと握りしめて意識を集中させ、やがて呻くように言った。
「彼等は確かに死人。昇天出来なかった魂の残照で動く骸人です」
「おいおいおいおい。ゾンビって事は、骸人製造が使える術者がいるって事か?」
厄介そうに呟くキルトス。
骸人製造の魔法は、高位な神職か魔法使いが扱う高等魔法で、単一的な命令を二つ、ないし三つ程度与える事が出来る衛兵生成魔法だ。
単一的な命令とは、「ここに居ろ」「私が主人だ」「他の者は攻撃しろ」などの片言な命令を指し、「庭木の枝葉を周りと同じように切り揃えろ」「落ちた枝葉を掃除して集めて片付けろ」といった、やや複雑な命令を与えるには向いていない。
だが、目の前で確かに蠢く人影は、ぎこちない動きから生命力は感じられないのに、しっかりと仕事をこなしているように見える。
しばらくすると、右の庭で掃除をしていた個体が庭箒を取り落とし、小脇に突き立ててあったピッチフォークで集めた枝葉を突き刺しては脇に留め置かれた車輪が朽ち落ちているかつて荷車だったであろう朽ちかけた物体に乗せては枝葉を突き刺す動作を繰り返す。
そして、ほぼ満載になった荷車だったであろう物体の前に歩いて行くと、驚いた事に引手を両手で持って引き摺り出したのだ。
明らかに目的を持って「作業を」している。
アミナが苦しそうに呟く。
「死の呪い、アンデッド・フォー・エターニティ」
一同が疑問符で一杯な表情でアミナを見ると、アミナは冷や汗を浮かべて言った。
「不死者にまで上り詰めた伝説上の魔法使いが使った死の呪いです。対象の生命力を完全に奪い取りつつ、死体に魂の断片を繋ぎ止めて朽ちて行く死体のまま現世に留めさせる呪い。一説には不老不死の魔法の失敗作だとか。伝説上の魔法ですが、現実にあるとすれば生前の活動を作業のように繰り返すだけの生きた尸を作り出す魔法かと思います」
「とんだ邪法ね・・・」
フラニーが眉をしかめる。
レナも嫌悪に満ちた目で作業を続ける人影を見て言った。
「死体が朽ち果てるまで、延々と生前の行動をトレースし続けるっての?」
「朽ち果てるまで、とは言いますが、魔力で作り出されたゾンビは朽ちる事を知りません。もちろん食事を取らなければ死体は衰弱して骨と皮だけになるでしょうが、思考を司る頭部を破壊されない限り活動し続けます」
「うわぁ・・・グロ・・・」と、レナは身を縮こまらせてからふと思った「え、ちょっと待って。食事を取り続ければ肉体は維持出来るの?」
「それは、まぁ、元は人間の身体ですから。栄養を取る手段が有ればですけど、生前の肉体を保てるのではないでしょうか」
アミナの仮説に、キルトスが乗っかってきて言う。
「エルダーゾンビって、語り草があるが。確か、屍王手前の状態じゃなかったか?」
「屍王手前の状態なんて存在しないと思いますが、その表現は良い得て妙ですね」
何処と無く納得したように頷くアミナ。
すぐにかぶりを振って言った。
「ですけど、エルダーゾンビなんてモノが存在するなんて聞いた事がありませんし初耳です」
「まぁ、冒険者の間でまことしやかに囁かれる伝説だけどな」
「そんな根も葉もない・・・。ともかく、彼等は刺激しなければ無害でしょうから、今は館に向かいましょう」
アミナの言に、フラニーも賛同した。
「そうね。私達の仕事は、館の調査だもの。無害そうなのは放っておいて、件のヒアキンス邸の中を調べましょ」
「えええ、呪いのゾンビが居たって事で調査終了で良くない?」
何処と無く逃げ腰のレナ。
キルトスはため息を吐くと言った。
「今見た事だけじゃあ調査出来たとは言い難いだろう。中も調べて、可能ならサンプルを持ち帰らないと」
「マジで言ってる? あの動く死体かも知れない奴を連れ帰るの!?」
思わず興奮して大きな声を上げるレナに、作業を続けていたゾンビ達が活動を停止させて顔をこちらに向けて来た。
何をするでも無く、ただじっと佇んで肉のそげ落ちた骨と皮だけの顔で目だけが異様に輝いて見える薄気味悪い視線が一行に注がれる。
慌てて屈んで、庭木の影に身を隠す一行。
「お、おい、早く行こうぜ。気味悪ぃ」
キルトスがレナを責めるように睨みながら言い、アミナも同様にレナを非難するように言った。
「レナ様、注目を浴びると良くない事が起こるかも知れません。不用意に大きな声を出さないで下さい」
「で、でもだよ? いや・・・ごめん・・・」
そーっと顔を上げて庭木の影から頭だけ出してゾンビを確認すると、何事も無かったかのように作業を再開していた。
ほっと胸を撫で下ろす一行。
一応、一番冒険者経験の長いキルトスがリーダーぶって言った。
「おし、ゆっくりだ。ゾンビ共を刺激しないようゆっくりと行こう。あの石像群がガーゴイルじゃない事を祈ってな・・・」




