サー・キンバーデ
城砦を出るまで幾人かの兵士とすれ違ったが、皆セージを見知っており久し振りに姿を見せた事を喜ぶ者、ずっと姿を見せなかった事を責める者と様々な反応を見せたが、悪名高いクベールト・ゲーリーを討ったという点では歓迎されこそすれ、彼を責める者は居なかった。
再び城を去ろうとする過去の功労者に、もう一度考え直して欲しいと訴える兵もいたが、彼は首を横に振るだけだ。
主人を護れなかった犬に行き場所などない。
そう言って背を向けるセージを、それ以上止める事は誰にも出来なかった。
自らを「犬」と揶揄して自己を批判する。
普通の感覚ではそこまで自己を貶める事は出来ないだろう。
犬という生き物は、主人である人間に寄り添って生涯を終えるほど愛情深い生き物である。
一方で、決して上に逆らう事が出来ない縛られた存在として、相手を揶揄する単語にもなっている。
自分を犬呼ばわりするなど、どれほどの劣等感を抱けば出来るものか。
城門をくぐる時、門番の兵が声をかけて来た。
「折角戻ってきて、また出て行くというのはあまり関心出来るものではありませんが。何かあったのですか」
「貴様には分からんよ。サジー・ウェンズ」
「名前を覚えていただいているのには感動ですが。本来貴方は騎士として兵を率い、男爵閣下と共に王家の剣となるべきお方だ。何故、躊躇われるのです」
「古傷が疼くんだよ」
「それほどの、怪我を負われた事があるという事ですか?」
「・・・お前には分からんさ。生き延びろよ」
多くは語らず、セージは城砦を後にした。
街道を進めば、楽にコラキアに戻る事が出来るが、それではアニアスの馬車に追いつかれる。
それは今は煩わしい。
(どの道今は、ラーラとも喧嘩中だ。真っ直ぐに帰る必要もないだろう)
そう考えて、セージは街道を外れて城砦からやや南西に位置する山を、森の中の山小屋を目指して歩いて行った。
勝手に一人で山小屋に戻っては、皆怒るだろうが、今はベルナン達友好関係にある盗賊ギルド構成員達と一緒だし、フラニーに全財産を預けてある。
なんとでもなるだろう。
勿論、妻と子を放り出してぶらつくなど、父親として夫として失格ではあるが、触れてはいけない過去の引き出しを開けてしまい、それが日本人、大槻誠司としてはあまりにも衝撃的すぎて何の思考も纏まらないでいたから無理はない。
セージ・ニコラーエフが生涯で初めて愛した女性、ナターリア・マティアナ・セルガノフ皇女。
皇族の中にあって、最も皇位継承権の低い者の一人。
民を愛し、平和を願った少女。
一回りも年下でありながら、持って生まれたカリスマ性で帝国軍兵士からも絶大な人気を誇り、皇位継承権こそ低かったものの数々の戦功を上げ、土地の開拓を進めて皇帝セルジオ・セルガノフ一世からも一目を置かれていた少女が、他の皇族から怨まれたのは当然の事だろう。
罷り間違って、セルジオ一世がナターリアの皇位継承権の向上を認めれば、他の皇族の地位に陰りが出ないとも限らない。
皇位継承権が上がる事は、年齢的にも地位的にもあり得ない事だったが、セルジオ一世の子息との婚姻があるとなれば話は変わってくる。
そして、セルジオ一世は百年以上続く亜人との戦の縮小を志し、早期決着か講和かと常に模索しているような良帝でもあった。
ナターリアが目をつけたエルフ族との和解がなされれば、エルフ族もまた白トカゲ人と敵対する関係上同盟軍が出来かねない。
ロレンシア帝国・エルフ連合が出現すれば、北方のパワーバランスは一気に傾き、人間を捕食する白トカゲ人は敗戦を重ねる事は必須。
戦争の終結。
そうなれば、血で血を洗う戦争で地位を固めて来た皇族と、民草に寄り添う穏健派の皇族のパワーバランスも覆る。
ナターリアは、タカ派の皇族から妬まれ、裏切られ、命を落としたのだ。
エルフ族との講和を進める途中、背後から友軍の奇襲を受け、工作に騙されてナターリアが裏切るという情報に踊らされたエルフ軍との挟撃にあい、彼女を守る私下の兵三千と、彼女の親衛隊であった黒騎兵は全滅し、側近であったセージもまた顔と左頭部、全身に深く傷を負って倒れた。
ナターリアは魔法にも長けた、聖女とまで唄われる人物でもあった。
その彼女が取った最後の行動は、愛する人を遠く飛ばす事。
『どうか、全てを忘れて生きて下さいまし。貴方の生こそ、私がずっと願った事。このような無様な結末に付き合わせてしまい、申し訳ございません』
『姫殿下、それはあんまりだ! 何故一緒に死なせない! 何故最期まで共にいさせてくれないのだ!!』
『貴方の定めでもあるからです。どうか、新たな聖女と共に、平和を・・・・・・』
「平和などクソ喰らえだ!!」
自分の声で目を覚ます。
いつの間にか眠ってしまっていたようだ。
平原に林立する木々の一つに寄りかかって目を覚ますと、辺りはすでに日が落ちて暗闇の中にあった。
林から平原に出ると、星月の明かりが大地を淡く照らし出している。
「腹が減ったな・・・」
林の中に戻って、雑草を手にとってみる。
いくつかは生で食べられる物だが、アク抜きをしなければ苦くて食べられたものではない。
それでも兵士として訓練を受けて来たセージにすれば、食べられないものではなかった。
雑草を毟っては口に運ぶ。
今頃、ラーラはどうしているだろうか。
「これはまた面妖な! 貴殿の前世は鹿か猪か!?」
不意に背後から人の声を聞いてそちらを振り向くと、くたびれたダブレットに錆が浮いている鋼の胴当て、斧槍を右手に持った皺の目立つ穏やかな表情をした老騎士が木の陰からセージの事を見ていた。
胴当てには半分以上削り取られているが、トーナ王国王家の紋章。
没落騎士か、と烙印をつけて無視することにしたセージは、雑草を毟ってムシャムシャと不味い食事を再開する。
これには驚いたのか、老騎士は一歩踏み出すと不憫そうに話しかけて来た。
「これこれ、そこな野人よ。人の言葉がわからぬのなら仕方がないが、それ程まで腹を空かしているというのならばこの騎士、キンバーデが馳走してしんぜよう。さあ、こちらに参るが良い」
鬱陶しそうに振り向いてキンバーデを睨みつけるセージ。
「やかましい、とっとと失せろ」
「平和などクソ喰らえだなどと、その方、尋常ならざる痛みを抱えておるな。どうだ、このジジイとでも話をして吐き出してみては」
クソが、と呟き苛立たしげに向き直る。
左腰の素剣に右手をかけて言った。
「俺は一人でいるのが好きなんだ。放っておいてもらう」
「ワシもな。辛い思いをしてな。ずっとこの地で一人でおった。じゃが、こうして出会ったのも何かの縁。少し、話をしようではないか。肉もあるしのう。性をつけるなら、肉は食った方が良い」
老騎士は不思議な雰囲気を漂わせていた。ただ、不快なものではない。
「肉か・・・人の肉じゃ無いだろうな」
「失敬な! 鹿の肉じゃよ。まぁ、ついて来なさい」
久し振りに疲労を感じていたセージは、気の迷いもあっただろうが老騎士の話を聞くことにして、彼について行くことにした。




