魔炎風炉、その2
「ただいま〜」
初めての風呂で、全身の汚れを綺麗に落としたラーラと子供達が部屋に帰ってくる。
ラーラは茶色の翼に艶が宿り、栗色の髪の毛も埃と乾きで膨らんだように広がっていたのが、しっとりと生命力に溢れたストレートヘアに様変わりしてとても魅力的に変身していた。
他の娘達も湯上りでそれぞれ魅力的に変身していたのだが、セージの目はラーラ一人に注がれる。
ラーラが何だか恥ずかしそうに身をよじった。
「ちょっと、セージ・・・。そんなにも見つめないで・・・」
「あ、ああ。すまん・・・」
見かけによらず慌てて目を逸らしたセージに、レナとフラニーは拳を震わせて俯き呟いた。
「っく、一途なのもここまで行くと腹立たしい!」
「仕方ないわよフラニー。お父さんは超絶不器用だもん」
「おい、そこの二人。何か文句でもあるのか」
「「文句しかねーよ!」」
怒って部屋に退散していってしまった。
子供達がセージの足元に纏わりついてくる。
子供達は顔立ちこそ個人差があれど、ラーラをそのまま小さくしたような可愛らしさで父親の足元に抱きついたり背中によじ登って甘えて来たが、セージは優しく子供達を剥がしてベッドに乗せて言った。
「お前達、折角綺麗になって来たんだからママと一緒にいろ」
「「「やー」」」
「嫌じゃない。ママといなさい」
そして、セージが椅子から立ち上がると、ラーラがそっと抱きついて来て唇を重ねてくる。
セージはラーラに応じてしばらく口付けを交わしたが、そっと離れて言った。
「全く。今度は俺が風呂に行かせてもらうぞ」
「はいはい。早くしてね?」
「言っておくが、今晩は無しだからな。子供達もいるんだ」
「ふぅ、仕方ないわねぇ」
「なにがー?」
「ナイナイー?」
「どうしてー?」
「なんでもない。お前らも大人しくしてろ」
「「「あーい」」」
セージとラーラの秘め事にちょっぴりずつ感じ始めている子供達は、それが何かは明確にわからないまますぐに興味を無くしてベッドの上ではしゃぎ始めた。
セージとラーラはお互いの目を見つめて肩を竦める。
「それじゃあ、子供達を頼むぞ」
「はいはい。ゆっくり綺麗になって戻って来てね」
セージは一人、浴場目指して階段に向かい、階下に降りて行った。
マーシャーズ・イン、カウンター奥のマーシャの部屋。
都合、二十畳の広さを誇る大きな部屋には、マーシャ専用のクィーンサイズベッドに大きなテーブル、クッション付きの上等な椅子が設えられており、その椅子の一つにマーシャが座って煙草を燻らせていた。
テーブルを挟んで、三人のゴロツキとシェーンがかしこまって並んで立っている。
ゴロツキの一人は、先程強盗未遂でセージに撃退された男だ。
マーシャは銅の灰皿に煙草を押し付けて火を消すと、指で弾いて男の顔を汚して言った。
「この役立たずが! 人ひとり脅かせないのかい!」
「で、でもマーシャ・・・。あの男、身体はデカイし傷だらけで、おっかないんだよ・・・」
「武器は腰から外してたんだろうが! 丸腰の奴に怖気付いて別の部屋襲った挙句にまんまと逆に脅されて逃げ帰ってくるとはどんな了見だい!」
「だって、あの男、セージ・ニコラーエフだぜ・・・。森の隠者だ。熊も殺すような奴相手に、小剣一本でどうしろってんだよ・・・」
「なっさけないねぇ、全く。ボリン、テメーはしばらくどっかに隠れてな。顔が割れちまったんだからね! グザーフ、ライネン!」
「「へい」」
「お前達は伊達にレベル取ってないだろう?」
「当然です、マーシャ」
「レベル3の戦士の力、余す所なく見せてやりますよ」
グザーフとライネンと呼ばれた、革鎧に素剣を装備したゴロツキ共は、いかにも悪そうな笑みを浮かべて一歩前に出て言った。
満足そうにマーシャが頷く。
「うんうん。お前らは今まで失敗した事無いからねぇ。クソ生意気な盗賊ギルドの客人共を嫌という程犯して、盗賊ギルドの面に泥を塗って来な」
「「任せてくだせぇ!」」
「あとはシェーン!」
「はっ、はいっ!」
マーシャがエロいモノを見るように艶のある視線でシェーンの頭から爪先まで舐めるように見て言った。
「無駄にお前は下のモノまで付いてる変態なんだ。その、女だか男だか分からない身体で、あのクソ隠者をタップリと足止めしてな」
「でも、ボクのこの醜い身体じゃあ・・・」
「時間が稼げりゃあいいんだよ! ったく。顔だけは可愛いんだからどうにかなるだろ!」
「でも、コラキアの盗賊ギルドは他所と違って領民に慕われてるし、いい加減に大人しく言う事を聞いていた方が・・・」
「やかましいよ、この役立たず! 盗賊ギルドに良いも悪いもあるもんか! コラキアから盗賊共を追い出して、傭兵団ゲーリー一家に実権を握らせりゃあ、ウチが冒険者ギルドとして幅を利かせられるんだ。とにかく盗賊ギルドの面に泥を塗って評判を落とさせるんだよ!」
「わ、わかりますけど・・・」
「さっさと風呂にでも行って、あのクソ生意気な大男を足止めしてな!」
マーシャの部屋から追い出されて、シェーンはメイド服のスカートの前を両手で握りしめてため息を吐いた。
「はぁ・・・。ボク、なんでこんな身体してるんだろう。普通に女の子になりたいなぁ・・・」
通路に出て階段の方に顔を向けると、丁度セージが浴場に向かう背中を見つける。
今までは、女の子の魅力と男の子の部分で女性を相手に身体を売ったり騙したりして来たが、男性を相手にするのは今回が初めてである。
「怖いけど、マーシャに虐められるのも嫌だし・・・。やるだけやってみよう・・・」
シェーンはセージの後を追って、震える足で浴場に向かって行った。
セージは、男湯と書かれた脱衣所に入ると黒い毛皮鎧を脱ぎ、薄汚れたチュニックとズボンを脱いで脱衣籠に入れて行って思った。
想像していた以上に、日本の銭湯に似ている。
床には麻のマットが敷き詰められており、歩くと足の裏を常にチクチクと刺激する所はちょっと違うが、脱衣籠を一つずつ入れられたロッカーと言い、大きなガラスの鏡がはめ込まれた蛇口のついた洗面台と言い、見慣れた光景なのだ。
(もしかしたら、俺やレナ以外にも、日本人の転移や転生はあったのかもしれんな)
そんな事を思いながら籠に掛けられていた「マーシャーズ」と宿名を刺繍されたタオルで下半身を隠して浴場に出てみる。
床には黒と緑、青の細かなタイルが敷き詰められ、壁際にはズラリと並んだ蛇口とシャワーの付いた洗い場が並べられ、小振りながらよく反射する上質なガラスの鏡。
湯船の方を見ると、露天風呂を意識したかのような岩を集めて組み上げたような作りで、当たり前の風呂を感じさせる。
宿の規模にしては大きな風呂は、他の宿泊客も少ない為かセージ以外に人は居ない。
(完全に貸切状態だな。久しぶりに贅沢を感じる。気分だけは大槻誠司に戻った感じだ)
自然と笑みがこぼれる。
入口付近に山と積まれた風呂桶を一つ掴んで洗い場に行くと、木の小さな椅子に腰を下ろして風呂桶を蛇口の下に置き、思い切り蛇口をひねってみる。
日本の水道とほとんど変わらない水圧の湯が吹き出して、あっという間に桶を満たして行った。
「コイツは凄い。レナじゃないが、山小屋に確かに欲しくはなるな」
国に帰ってきた気分で、セージは久しぶりにリラックスして風呂を満喫する事にした。
備え付けられていた粉石鹸をタオルに擦り込んで身体を洗って行く。
文字通り洗われていく気分に、この世界に来てから一度も垢すりをしていなかった事に改めて気付く。
「セージ・ニコラーエフとしての生活を当たり前にしていたが、こうしていると日本人だった事を思い出されるなぁ」
鏡に映っているのは、セージ・ニコラーエフその人ではあるが。
鼻歌混じりに身体と髪を洗い、湯で洗剤を洗い流していると、カラリと入口のガラスの引き戸が開かれる音がして一瞬そちらに意識を向けたが、丁度頭をシャワーで流していた為注意を向ける事を怠ってしまう。
あまりにも浴場が日本を思い起こさせた為、危機感が薄れていたのは反省すべきだったかもしれない。
洗い終えて風呂桶でタオルの洗剤をすすぎ落としていると、鏡に背後に立つ人の姿を認めて一瞬で大槻誠司の意識からセージ・ニコラーエフの意識にスイッチする。
(抜かった。ここは日本じゃ無いんだぞ、気を緩めるなセージ!)
不機嫌そうに、余裕ある態度で振り向くと、浅黒い艶のある肌にウェーブのかかった金髪、琥珀色の瞳の小振りだが形の良い胸をした少女の姿が目に飛び込んできて、流石に心臓が止まりそうになる。
「なん・・・!? 何をしている!」
幸いにも良心が勝り、セージは相手を叱りつけた。
少女はしかし、怯えながらも申し訳無さそうに左隣の洗い場に身体を滑らせて謝罪して来た。
「ご、ごめんなさい・・・! でもボク、普通の身体じゃなくて、女湯には入れなくて・・・!」
そう言って下半身を隠すタオルが退けられると、確かに男の子がそこにあった。
これにはどう反応したらいいか分からずに、そっと視線を正面に戻すしかないセージ。
無言でタオルをすすぎ、泡の浮いた風呂桶をひっくり返して新しく蛇口から湯を組みながら、どうにか声を出して言った。
「突っ立ってないで座ったらどうだ」
「・・・え?」
「身体的な特徴は、どうにかしようとして出来るもんじゃないが、幸い俺は洗い終わった。湯船でゆっくりしているから、思う存分洗えばいい」
「あの・・・それって・・・誘って、」
「誘ってない」
あ、ごめんなさい、と小声で謝罪してくる少女(?)は、セージの逞しく傷だらけの身体の隣に腰を下ろしてシャワーを浴び始めた。
香ってくる女の香りにセージは慌てたが、それを気付かれまいと努めて落ち着いた動作でその場を離れて湯船に移動した。
(危ねえ!! 無防備すぎるだろコイツ!!)
大槻誠司の素でドギマギしながら洗い場に背を向けるセージ。
そういう趣味は無かったが、声も体格も美少女そのもので、付いているものがあると言うだけで正直なところ好みの部類に入る。理性がぶっ飛んでやる事をやってしまったら人間として終わるどころかラーラとの関係が終わる。
(危ない所だ。・・・まさかハニートラップじゃないよな・・・)
宿の主人、マーシャからは信用に置けない臭いがしていた。
何かしかの目的があって罠にはめようとしているのかも知れない。
(気をしっかりと持て・・・。もしかしたら、これはピンチかもしれんぞ・・・)
思考を巡らせるセージの右隣に、身体を洗い終えたのか件の少女(?)がやって来て、ゆっくりと身体を湯船に沈めて行った。
思い切り不機嫌そうにセージが責める。
「どう言うつもりだ。この広い風呂の中で。何故わざわざ俺の隣に来る」
「ご、ごめんなさい。なんか、貴方の近くが安心して・・・」
「シェーンと言ったか」
「は、はい・・・」
「そうやって俺に取り入れと、あの胡散臭い女将に言われたか」
しばらくの沈黙。
シェーンはごく自然に小柄な身体をセージの右肩に預けて来て言った。
「確かに、そう言われて来ました。でも、なんだか貴方の近くにいると、本当に安心するんです。・・・おかしいですよね」
ふふふっと、弱々しく笑ってシェーンが言った。
「安心ついでに、全部ぶちあけちゃいますね」
「おい待て、何も聞くつもりはないぞ」
「ボク、こんな身体だから、女性相手に身体を売らされてるんです」
「知らん」
「下手打ったり、商売出来ないと、マーシャに虐められるんです」
「俺にはどうでもいい事だ」
「でも、ボク、女の子も持ってるんですよ」
(一番どうでもいい情報だよ! 何言ってんだこの娘!!)
「ぼ、ボク、どうしたら、・・・」
「悪いが!」
おもむろにセージは立ち上がって言った。
「俺には妻がいる! 魔物だが、大切な妻だ。子供達もいる・・・!」
キョトンとして見上げてくるシェーン。
セージは後ろ髪を引かれる思いで言い切った。
「俺はそんなに器用な男じゃない。妻以外は愛せん」
内心は心臓が破裂しそうなほどだったが、どうにか平静を保ち、セージは浴場を後にする。
湯船に取り残されたシェーンは彼の大きな背中を見送って気持ちがときめくのを感じていた。
「・・・うん・・・。もう、どうでもいいや・・・。マーシャとは縁を切ろう!」
後の結果などもうどうでもいい。
この日、この時、この瞬間、シェーンは自分の為に飛び出そうと決心を決めた。