隠者と勇者の覚醒
「セージ・・・?」
ミノタウルスの突進を両刃斧で止めて、三歩後退させて見せた漆黒の鉄兜を被った大男を見て、ラーラがその場にへたり込む。
フラニーもまた、彼の姿を見て呟いた。
「遅いのよ・・・全く・・・」
しかし、レナは魔法の本と目の前の光景を交互に見て不安が拭えないでいた。
特殊スキル、体格の劣る者のレベル補正の無効化。
単純なレベルで言えば、レベル15戦士のセージの方が圧倒的に有利なはずだが、先の戦いでレベル8のレナは徒党を組んだレベルの圧倒的に劣っていた筈の暴漢達に取り押さえられている。
(これは、ゲームじゃない・・・。レベル補正なんて補助的なもので、あって無いようなものなんだ・・・。それなら、補正無視のスキルがあるミノタウルスに、人間はどこまで戦えるの・・・?)
ミノタウルスが吠えた。
左腕を前に突き出し、右手の拳を振りかぶる。
勢いよく前に踏み出して右手の拳が振り抜かれた。
セージが両刃斧を下から掬い上げるように振るって右拳を迎撃する。
拳を弾き返したものの、その威力に押されてセージの両刃斧もまた大きく後ろに返される。
ミノタウルスは弾かれた勢いをそのままに、左拳を打ち据えて来た。
真っ直ぐに振るわれるだけの拳に狙いをつけて、セージが力任せに両刃斧で叩き返す。
両刃斧の刃が、真正面からミノタウルスの拳を弾くが、ミノタウルスの骨格も皮膚も、規格外の硬さで薄皮一枚も傷ついていない。
セージは構わずに両刃斧を振り回し続けた。
単純な直線的な攻防。
「これは、まずいな・・・」
セージとミノタウルスの攻防を見て、ベルナンが声を抑えて呟いた。
翼を閉じて肢体を隠したラーラが、不安げにベルナンを見る。
「どうしたと言うの?」
「ミノタウルスの頑強さは城壁並みだと謳われるほどに硬い。いくら黒騎兵と言っても、所詮は一個人だ。あのまま戦っていてもいつかはスタミナが切れる。一撃も攻撃が届かない状態が続いては、いつかは負ける」
レナも同じ意見だったが、だからと言って戦いに参加する度胸が湧いてこない。
いや、むしろレナの事を赤子扱いしたセージなら、と、心の何処かで頼ってしまっている。
それは、「狼」を自称したベルナンも同様であった。
狼は気高い、などと嘯いて見ても、目の前でミノタウルス相手に戦いを繰り広げる「闘犬」ほどに戦いに狂えはしない。
刃を交えないで済むなら、越した事は無いと思ってしまっているのだ。
そもそも、レベルが倍も離れていては、下手をしたら一撃で殺される。
そんな怖気付く彼らを他所に、セージは一切も引かずに両刃斧を振るっていた。
拳を強固な斧の刃で打ち据えられて、傷は負わなくとも痛みはあるのかミノタウルスの拳の勢いが徐々に落ちてくる。
それに呼応して、セージの振り回す両刃斧の勢いは逆に増していった。
「うおおおあ!!」
右拳を弾かれ、勢い左拳を打ち抜かんとミノタウルスが振りかぶった所を、セージが一歩を踏み出して両刃斧を横に振り回して左の前腕に刃を叩き込んだ。
「グモオオオオオ!?」
初めてミノタウルスが呻き声を上げる。
左腕の前腕を深々と斬り裂かれて、血飛沫が上がった。
セージは攻撃を緩めずに、右に振り抜いた両刃斧を、回転力を活かして下から掬い上げるように胸部に刃を叩き込み、大上段に振りかぶると防御に翳された右腕前腕に真一文字に振り下ろして更に傷を付ける。
「おおおうおお!!」
狂犬の如く雄叫びを上げて両刃斧を振り回すセージだったが、激昂したミノタウルスが咄嗟に右脚で蹴り上げて来た速度に対応出来ずに左顔面にまともに食らって後方に弾き転ばされる。
「ああ!」
レナが、もしかしたらラーラも悲痛な叫び声を上げた。
ひしゃげて宙を舞う鉄兜。
顔の左上、前髪が根こそぎ剥げ落ちた古傷が鉄兜を飛ばされた勢いで引き裂かれて血飛沫を上げる。
盛大に流れ出た血で顔の左半分を濡らしながらも、セージはすぐに立ち上がって両刃斧を振るった。
「だ、ダメだ・・・」
魔法の本に視線を落としてレナが呟く。
一見ミノタウルスの方がダメージが入っているように見えるが、HPが五分の一も減っていない。
対して、セージのHPは今の一撃で三分の一持っていかれてしまった。
「これが・・・レベル補正無視の威力・・・? これじゃあ、絶対に勝てない・・・」
セージが吠えた。
両刃斧がミノタウルスの左肩を深々と捉えるが、ミノタウルスはものともせずに右腕でラリアットを見舞って来た。
左肩からモロにラリアットを食らってセージの身体が吹き飛ばされる。
5メートルは転がされて、それでも立ち上がるセージにミノタウルスが突進した。
「それ以上は無理よ、避けて!!」
レナが叫ぶ。
セージが身構えるより先に、ミノタウルスのタックルが真正面から激突した。
勢いよく弾かれたセージの身体は、監視台にと積み上げられた杭の山にぶち当たり、激しく杭をボーリングのピンのように弾きとばしながら柵に激突して倒れた。
じっと息を飲んで見守る一同。
なかなか起き上がらない。
レナは、魔法の本に目を落として、悔しそうに目を閉じた。
セージのHPは、ほぼゼロに近かった。あと一撃をもらえば、落命する。
ミノタウルスが笑い声にも似た雄叫びを上げた。
「グモオオオオオ! ググ、モオオオオ!!」
フラニーが駆け出そうと身構える。
ラーラが飛翔せんと翼を広げる。
しかし、その誰よりも先に、赤い革鎧に身を包んだ褐色の美女がセージとミノタウルスの間に歩み出て小剣を構えて見せた。
「!? アニアス、何をしている!」
なかなか言う事を聞かない身体を両刃斧で支えながらセージが叫んだ。
アニアスは寂しそうに振り向いて言った。
「あたしが暴漢に襲われたら、怒ってくれるかい?」
「やめろアニアス、貴様の腕で何が出来る!!」
アニアスは答えず、小剣を構えてミノタウルスに向かって行った。
嬉々として雄叫びを上げるミノタウルス。
「おひさまの匂い! 甘い匂い! 女アアアアアアアアアアアアアアアア!!」
軽々とアニアスの右手を右腕で捉えると、捻り上げて小剣を溢れさせる。
痛みをものともせずにアニアスが叫んだ。
「そんな程度か! 腐れエロ牛野郎!!」
ミノタウルスがアニアスを地面に押し倒す。
レナの脳裏に、声が響いた。
『・・・見るのです』
ミノタウルスがアニアスを右手で押さえ込み、左手で革鎧を剥ぎ取らんと襟首を掴む。
レナの脳裏に、声は響く。
『・・・目覚めなさい』
アニアスの革鎧が引き千切られる音が響いた。
レナの脳裏に、声は響く。
『・・・選ばれし者よ・・・』
「だけど、あんな化け物、どうすれば・・・」
魔法の本が輝き出す。
ステータスページに、変化が現れた。
【名前:レナ・アリーントーン、真名:レナ・オサカベ、レベル:戦士8、勇者力:12、勇者スキル解放:聖剣一文字斬り、唱えよ・・・】
「これって・・・」
雄叫びが上がった。
怒りに打ち震えてセージが立ち上がる。
「このクソ化け物が、薄汚い手でアニアスに触れるなーーーーー!!!!」
【勇者スキル解放:撃砕兜割り】
「潰れろおおおおお! 撃砕兜割り!!」
女に夢中で隙だらけになったミノタウルスの脳天を、セージの両刃斧が直撃した。
頭蓋をカチ割られてミノタウルスがたまらず立ち上がり、後退る。
セージは左手でアニアスを助け起こすと背後に庇った。
チラとレナを見る。
彼女の身体と魔法の本が輝いているのを目に留め、両刃斧を右から振りかぶってミノタウルスに激白した。
ふらつきながらも激昂したミノタウルスが両刃斧を掴んで力比べに移る。
セージが叫んだ。
「勘違いゲーム女! 何かするならさっさとしやがれ! 俺がコイツを抑えてるうちに!!」
「そんな、何かするったって・・・!」
レナの脳裏に、声は響く。
『立ち上がりなさい・・・選ばれし者よ・・・戦うのです』
「えええええーい、ままよ!!」
レナが破れかぶれと武器を構えて駆け出す。
ミノタウルスがレナを振り返った。
一瞬の隙を突いてセージが側頭部を両刃斧で強打する。
ミノタウルスの態勢が崩れた。
(今だ!!)
「魔を討ち邪を討ち悪を討つ! 天の輝き世を照らす! 悪虐決して許しはしない!!」
トンッと地を蹴ったレナの身体が、天高く舞った。
大上段に素剣を振りかぶる。
「邪悪を今こそ消し飛ばさんと! 今! 必殺の!!」
下降を開始したレナの姿を、ミノタウルスが驚愕の表情で見上げて唸った。
加速するように剣を構えて降下して行くレナ・アリーントーン。
「聖剣! いちっ! もんっ! じっ! 斬りーーーーー!!!!」
急降下してミノタウルスとすれ違いざまに、レナが真一文字に剣を振り下ろした。
素剣ではなし得ない斬れ味。
ミノタウルスの身体は、左右に真っ二つに斬り裂かれると、ゆっくりと左右に割れながら倒れて行き、それが地に伏す前に眩い白い爆光となって爆ぜて消えた。
後には、ミノタウルスの角が一対だけ残されていた。