隠者の斧
セージは寺院で革の靴と薄汚れが落ちないようなくたびれたチュニックをもらって身につけた後、コラキアの町に繰り出した。
スクーラッハ寺院から西に2キロほど離れた川沿いに発展したコラキアの町は、人口三千人程度の町で、トーナ王国の北の端に位置する辺境では一番大きな町だ。
産業は銅や石英の採れる鉱山があり、銅細工やガラス細工の工芸品が盛んに作られている。
銅職人、ガラス職人を多く輩出する町で、名のある工芸家も幾人か世に送り出しているほどだ。
統治するのはノアキア男爵という軍人からのし上がった男で、部下からはもちろん、領民からも信頼の厚い真面目な老人であった。
しかし、正攻法だけで貴族階級に軍人が上がれるほどトーナ王国の貴族社会は甘くはなく、ノアキアにしても裏社会を牛耳る盗賊ギルドとも通じており、前任のコラキア領主の不正(主に同盗賊ギルドを介した)取引を(同盗賊ギルドの裏切り、寝返りによるリークにより)暴き、退陣に追い込んで現在の地位を手に入れるくらいの器量はある。
前任の領主に比べれば領民に対する年貢量も減らし、治水・開墾に力を入れ、路上での個人商売も解禁して町の経済の自由化を図り、これまでにない善政を敷いていた。
その裏で、盗賊ギルドにも一定の地域における治安維持活動を陰ながら外注しており、その報酬は路上に露店を開く個人商店から巻き上げる見ケ〆料を暗に認める事で賄わせ治安維持の財源を確保する。
北の端に位置する辺境では、外敵であるオークやゴブリン、ノールと言った亜人勢力との小競り合いも絶えない事から危険な依頼も請け負う傭兵や命懸けの探索に熱心な者の寄せ集めを組合化して一括管理する公営組織、冒険者ギルドも運営しているが、ともすればいつ暴走してもおかしくない彼等を管理・監視する意味でも盗賊ギルドの存在は大きかった。
そんな裏正規軍とも揶揄される盗賊ギルドにあって不可侵の存在が、北の辺境の国、ロレンシア帝国軍からの逃亡兵であるセージ・ニコラーエフである。
ロレンシア帝国は、スノーリザードマンという高等な知性を持つ亜人族との戦争に日々明け暮れており、強大な軍事力を誇りながらも肥沃な南方まで領土を広げる余力がなかったのは、トーナ王国にとって幸いであっただろう。
軍事大国であるロレンシア帝国は、スノーリザードマンからの脅威に対抗するためとはいえ精強な軍隊を所有しており、スノーリザードマンとの戦に決着がつけば豊かな土地を求めて南下してくる恐れもあるのだから。
そんな帝国の元兵士であったセージ・ニコラーエフもまた精強な戦士であり、鋼の如く鍛えられた肉体はオーガにも匹敵する強さを誇り、三十も半ばを過ぎてなおノアキア配下の正規兵の中にも彼を超える強さの戦士は存在しなかった。足して、長く前線で戦った証である全身、特に顔面の大きな傷跡や、長い従軍生活による気性の荒さは領民から恐れられ、嫌われており、彼が山小屋でまるで隠者の如き生活をしている理由にもなっている。
スクーラッハ寺院から歩いてコラキアの町の西門に着いた時、高さ5メートルの城壁の上から監視していた王国軍兵士はまるで怪物が現れたと言わんばかりの警戒心でセージの歩みを制止するために大きな声を上げる。
「そこで止まれー! 山の隠者がコラキアに何の用かー!」
セージは舌打ちすると鋭い視線で兵士を見上げる。
そのあまりの鋭さに、安全な場所から吠えているはずの兵士は震え上がって一歩後退った。
セージが咆哮にも似た大声で答える。
「相変わらずの歓迎痛み入る! 少し冒険者ギルドに用があるだけだ、長居はしない! それとも貴様ら兵士はたった一人の隠者が恐ろしくて、昼間から門も開けられないほど腰が引けているのか!?」
セージの挑発に、沈黙する事2分。
門を閉ざす引き上げ式の丸太を組んだ柵がぎりぎりと縄を引く音と共に引き上げられ、十名の重武装の兵士が駆け出してきてセージを半包囲して言った。
「野蛮人が。少しでもおかしな動きをしたら斬るぞ」
被りを振って肩をすくめるセージ。
「呆れたものだ。丸腰の男一人相手に完全武装で十人掛か。それでも俺の相手をするには不足だがな」
「完全武装だぞ!!」
「フン。それがどうした。どうせ一度に、三人で斬りかかるのがせいぜいだろうが。そんな事より道を開けろ、俺だって一応コラキアの領民だぞ」
ズンズンと前に出るセージの、巨漢の威圧感に兵士達は一斉に後退り、中央で道を塞ぐ二人の肩に触れるや兵士達の方が勝手に恐れ慄いて道を開けてしまう。
何の手応えも感じないその恐れぶりに、改めてセージは被りを振って悪態を吐いた。
「この程度で怖気付くなら初めから道を塞ぐな・・・!」
「ひっ・・・! 行ってよしっ!」
「それでも兵士か貴様・・・!」
ガッと両手に力を入れて押しのけると、たたらを踏んで足を縺れさせながら道を大きく開ける兵士達。
そのまま悠々と歩み去るセージの迫力に、誰一人として挑発を返せる兵士はいなかった。
呆れるように再び被りを振る。
(だったら最初から立ちはだかるな。バカどもが・・・)
城壁の上からなら幾らでも強がれるが、いざ対峙すると震え上がってしまう。
今のセージには、それほどの威圧感があったのだ。
正常な精神状態の者であれば当然の事であったが、領地を守る兵士の士気がその程度ではゴブリンの襲撃にすら耐えられまい。
セージは心の何処かで、そんな町に住む領民達の事が気掛かりだった。
大通りを進んで行くと、道々すれ違う町民が海を割るように左右に道を開ける。
其処彼処からヒソヒソと悪態を吐く声が聴こえてきた。
『野人が、真昼間から一体何の用だ?』
『また誰かを殺すのか?』
『何のようなんだ・・・』
『山に篭ってればいいのに』
『子供達を隠さないと。若い娘は連れ去られるぞ』
犯罪者を見る如き扱いに、ジロリと視線を向けると一斉に町の中が静まり返る。
皆一様に地面に視線を落として顔を伏せる有様に、セージは被りを振ってため息を吐いた。
(勝手に人を、人殺しだの人攫いだの言いやがって。所詮はそんなものか)
露店の立ち並ぶ大通りを埋め尽くす人混みの中、面白いほど容易く割れる人垣に睨みを効かせながら歩いて行く。
途中、その様子を見た盗賊ギルドに所属する荒くれ者が立ちはだかった。
「おい、貴様」
しかし、相手がセージと見るや、
「カタギに迷惑かけるなよ」
と、何事もなかったかのように道を開ける。
「お互い様だがな」
皮肉を返して通り過ぎる。
更に歩き続けて商店街に面した大通りを望むと、ガラの悪い冒険者達のたむろす冒険者ギルドが、地上5階建の大きくも飾り気も何もない木造の建物が見えてきた。
木造五階建ての建物は、一階が酒場になっており、そこでは真昼間から酒に溺れる荒くれ者達でごった返している。
セージが平然と入って行くと、恐れ知らずが多いのかギラギラとした目付きでセージを睨んできた。
彼は意にも介さずにカウンターまで行くと、受付兼ウェイトレスの美人だが態度の悪い女に向かって言う。
「探し物をしている」
「ご注文は?」
「金は無い」
「クソして寝な」
さっさとセージの前を離れるウェイトレス。
セージは被りを振って辺りを見渡す。
すると、カウンターの一角で見覚えのある大斧を傍らに置く一見イケメンの金属の胸当てを装備した戦士風の男を認め、若いウェイトレスを五人もはべらせている辺りに興味を持ち、まずは聞き耳を立ててみた。
「でだ、狂ったように暴れ回るガランジャ相手に、俺はこの両刃斧を振るって言ってやったのさ。俺の斧の錆になるのが、そんなに怖いのかってね」
「やーん、ハリヤくんイカすー!」
「ガランジャって、人食い熊でしょ! やばーい!」
「それでそれで!?」
「まぁ、獣が人の言葉がわかる訳もないさ。激昂したように左右からベアクローを繰り出してきたんだが、これを軽々と両刃斧で打ち払ってやってよ。流石のガランジャもこれに堪えたのか、地面にひれ伏して助けを乞うように見上げてきたのさ」
まるでセージの戦いを見ていたかのような展開に、あまりの脚色。
呆れてセージは椅子を立ち、自慢げに語る男に向かって歩き出した。
途中、ニヤけた痩せた酔っぱらい冒険者が揶揄うつもりか足をかけてきたので、脛で掬い上げるように捻ってやると椅子ごとカウンターから転げ落ちて後頭部を打って昏倒する。
それを見ていた冒険者達がどっと笑い声を上げた。
自慢話に明け暮れる冒険者に近付く。
「でさ! 俺は言ってやったのさ。お前が許しを乞おうとも、お前が人々を喰らってきた罪は消えない。ここで死になってね!」
「やばーい!」
「かっこいー!」
「ははは! それで・・・」
ぬっと、傍に現れたセージを見上げて、不機嫌そうに睨みつけてくる。
「何だよオッサン。俺になんか用か?」
「お前の自慢話に茶々を入れるつもりは無いがな。その斧は俺の商売道具だ。返してもらうぞ」
「は? 何言ってんだオッサン。アンタ覚えてるぜ? ガランジャに! ズタズタに! 引き裂かれて瀕死だったオッサンだ!」
男はセージを強調するように両手を広げて、酒場中に聞こえる大声でセージを紹介するように言った。
「なぁ、オッサン。俺は瀕死のアンタをスクーラッハ寺院まで運んでやったんだぜ? この両刃斧はその、報・酬・だ。解る?」
「わからんな。別にお前の手柄を取り上げるつもりはない。恥をかきたくなきゃあ俺の斧を返せ」
「わかってねぇなぁ。強面だけで強がれるほど、冒険者ってのは甘くねぇんだよ。解る?」
ぐるりと周囲を見渡すセージ。
その様子を見て満足げに頷く冒険者の男、ハリヤ。
しかし、セージは意にも介さずに言ってのけた。
「多勢に無勢が成り立つと思っているのか?」
「は? 馬鹿かテメーは。俺一人で十分だっつってんだよ」
「よくわからんな」
「この、」両刃の斧を右手で掴み「両刃斧で一刀両断だっつってんの」
「ふん。貴様の細腕で、俺の斧を扱えるようには見えんがな」
「俺はな。レベル3の冒険者なんだよ。そんだけ活躍してんの。レベル補正って知ってる? 1レベル違えば、十年分の戦力差があるって事だよ」
「レベルがどうのと言うのは知らんがな」
「レベル補正知らないの!? マジで! ははは、そんなんでよく乗り込んで来やがったな!? お前挽肉だよ挽肉!」
「で、返すのか、返さないのか」
「おい、オッサン。俺の話聞いてんのかよ。なぁ。レベル補正は並大抵の努力じゃあ埋まらないわけ。俺達冒険者から英雄が多く輩出されてる理由なわけ」
「冒険者の英雄? 聞いたことがないな。居るのか?」
ハリヤの挑発に返すセージの言葉に、酒場内の空気が凍り付いた。
一斉に殺気が溢れ出す。
しかしセージは、物ともせずに言った。
「で、俺の斧を返す気になったのか?」
じっと沈黙してセージを睨みつけるハリヤ。
端整な綺麗な顔つきに、青筋が浮かび上がった。
「おい、オッサン。いい気になってんなよ。表出るか?」
「どうやら、タダで返す気は無さそうだな」
「戦力差ってやつを教えてやんよ。この、両刃斧で」
「使いこなせるのか見ものだがな」
「こいてろオッサン。さっさと表出ろや」
「先にお前が出ろ。背を向けた途端逃げられたのでは、追いかける手間が面倒だからな」
「いい度胸してるじゃねぇか。いいぜオッサン、オッサンこそ逃げるんじゃねぇぞ」
意気揚々と椅子を立ち、両刃の斧を掴むハリヤ。
がしかし、軽々と持つ、と言うわけにはゆかず両手で持ち直して肩に担ぎ、ドタドタとおぼつかない足取りで酒場を横切っていく姿に、他の冒険者達が大笑いしながら声援を送った。
「おい、ハリヤ、無理すんなよ!」
「そんなんで両刃斧なんて振るえるのか!?」
「まさかワンパンで負けるとかねぇよな!?」
「冒険者の意地ってやつ見せてみろよ、ルーキー!」
「ギャハハハ、骨は拾ってやるぜ色男!」
「やかましい! 吠えてろ! あんなロートル一撃だ、一撃!」
「でっかく出たなぁおい! 見せてみろよ一撃!」
「ああ、見せてやるよ! よく見とけ!」
やんややんやと巻き起こる喝采。
冒険者ギルドを出ると、どこから嗅ぎつけたのか百人はくだらない野次馬の包囲による即席のリングが出来上がっており、その中央にハリヤが立った。
セージは悠然とした歩調でその向に仁王立ちして対峙する。
実はその間にも、セージに嫌がらせをしようと数人の冒険者が足をかけて来たのだが、ことごとく蹴り返されて転ばされ、最後の一人に至ってはイラついた勢いで脛を蹴り潰して骨を折ってやった。
酷い悲鳴を上げたが、喧嘩見物の喝采でその声は掻き消されてしまい、人混みの何処かで悶え苦しんでいるのか人混みにまみれて踏み潰されているのか判断は出来ない。
剣のような斬り裂く視線で睨みつけるハリヤ。
獣のような鋭い視線で睨みつけるセージ。
ハリヤが両刃斧を構えようとした時、野次馬の中から良く通る女の声が上がった。
「大男! 素手じゃあ盛り上がらない、コイツを使いな!」
一本の長剣が投げてよこされる。
その柄を器用に空中で掴むと、具合を確かめるようにセージが長剣を振るった。
様になったその光景に、ワッと喝采が起こる。
ハリヤが舌舐めずりして笑った。
「なぁ、オッサン。死んでも文句言うなよ。コイツは決闘だ」
「正気か? 取り消すなら今だぞ」
「テメーこそ、取り消して土下座したらこの場で許してやる」
「コソ泥のくせに良く吠えるな」
「ガチャ面の汚ねぇオッサンが、いい気になってんじゃねえぞ!!」
ハリヤが先手を切った。
超重量の両刃斧を大上段に振り上げて突進してくる。
セージは呆れるようにため息を吐いた。
「トロくさい攻撃だ」
身体の軸を左にずらして振り下ろされた斧を躱す。
斧は全力を捧げなければ引き抜くことは叶わないほどに深々と固い地面に穿たれた。
一瞬動きを止めるハリヤ。
セージは悠然と一歩を踏み出し、長剣の柄頭でハリヤの脇腹を強打した。
ビクンっと全身で飛び上がり、もんどりうって地面に転げ落ちるハリヤ。
周囲から笑い声が上がった。
「わっははは、何やってんだルーキー! お前そんな動きで本当にガランジャ倒したのかよ!?」
「トロくせーぞルーキー! 今なら嘘でしたって言えば許してやんぞ!」
「一撃でオネンネとかやめてくれよな! 笑いがとまらねぇ!」
ぐっと、フラつきながらも立ち上がるハリヤ。
セージは三歩下がって見せる。
「いって、クッソ。奇襲とかふざけんなよオッサンが! 真っ二つにしてやる!」
「吠えるのはいいから、さっさと斧を拾え。それとも、拳でやるか?」
「ふっざけんな!!」
セージが下がったのを、ビビっているか警戒していると勘違いして、ハリヤは両刃斧に飛びついて懸命に引き抜こうとする。
十秒待ち、二十秒待ち、セージは呆れたようにため息を吐いて一歩踏み出すと、前蹴りを放ってハリヤの腹部を蹴りつけ、再び地面に転がした。
「うがっ、ぎゃっ!」
「うがっぎゃっだってよ! わはは、マジか! おいおいガランジャ倒したって割に、簡単にやられてんなぁハリヤ。なあ!?」
「くっそ、マジでこれからだっつーの。こっからが本気だ!」
吠えるハリヤに、蔑む視線で見下ろしてセージが更に踏み出して言った。
「レベル補正がどうとか言っていたが、レベル3って言うのはその程度なのか?」
「なんだと!?」
両刃斧の柄を左手で持ち、軽々と引き抜いて見せるセージ。
人垣のリングがシンと静まり返った。
片手で軽々と両刃斧を振り回すセージ。
これには流石に気付いたのか、ハリヤの顔面も蒼白になる。
冒険者の一人が、ポツリと呟いた。
「山の・・・隠者・・・?」
ザワッとどよめきが起きる。
セージが更に一歩踏み出した。
「で、殺しても構わんのだったか」
「ひっ」
「喧嘩を売るってのは、こう言うことだ」
むんっと左手一本で両刃斧を振り上げ、雷撃の勢いでハリヤ目掛けて振り下ろされる。
雷が落ちたかのような轟音を立てて、ハリヤの眼前に斧が深々と穿たれた。
更に、バターでも弄るかのように容易く引き抜くセージ。
最早声も上げられないハリヤを見下ろして、セージは言った。
「貴様では、あの大熊に十回は殺されているな。良かったな、あれの相手をしたのが俺で。俺があそこで負けていれば、貴様も熊の胃袋の中だった」
野次馬からも、あまりの一撃の凄さに声が出ない。
セージは、長剣を投げて来た方角からおおよその見当をつけて女の冒険者を認めると、悠然と歩み寄って長剣を差し出した。
「返す。借りる必要も無かったがな」
「あ、うん・・・」
「まぁ、正々堂々って言う精神は、嫌いじゃない」
「あ、ありがと・・・」
そしてセージが一歩を踏み出す。
冒険者を中心とした人垣が、海を割るようにさっと開かれる。
その間を、セージは悠然と歩み去って行った。
面白がって見ていた冒険者達は、その後ろ姿を畏怖の目で黙って見送っていた。