冒険者ギルドの闇
「冒険者共はどうだ?」
冒険者ギルドの地下、ギルド長の執務室はまるで隠れ家のごとく堅牢な地下に造られていた。
執務室は16畳の広さで三つの扉がある。
地上階のホール兼酒場へ出る為の階段へ通じる扉。
寝室へ通じる扉。
そして、苦労して飼い慣らして来た「息子」たるミノタウルスを閉じ込めた檻のある秘密のホールへと通じる扉。
執務室は左右の壁には分厚い本が所狭しと並べられた上品な細工の施された大きな本棚が並び、奥の執務デスクは漆喰の美しい輝きを誇る質素だが高級感のある物で、牛革のソファーが大胆に置かれている。
部屋の中央には同様に漆喰の足を持つテーブル。
ただし、こちらは天板をくりぬいてガラスが嵌め込まれた物で、やはりガラスで作られた灰皿と銀の呼鈴が上に置かれている。
その漆喰とガラスのテーブルを挟むように、三人がけのソファーが置かれ、その脇に美しいが品のない擦れた印象の受付嬢が畏まって軽くお辞儀をして言った。
「ハリヤを始めとして、セージ・ニコラーエフに煮え湯を飲まされた冒険者は多いですから。張り出された依頼に嬉々として飛びつきましたよ」
「それは何よりだ。あの男はこのコラキアのガンになる。こちらの味方に着く可能性がない以上、消えてもらわねば」
「ですが長、本当によろしいので? セージ・ニコラーエフはノアキア男爵の恩人でもあると聞き及びますが」
灰色のローブを纏った老人は、デスクのソファーにくつろいで笑った。
「何が恩人なものか。ノアキアが爵位を取って五年、北の開拓事業を始めた所にホブゴブリンの大軍が現れて苦戦を強いられた所をあの男が救ったなどと。取り入る為にセージが手を打ったに過ぎん」
「ですが・・・、ホブゴブリンが人間の言う事を聞くのでしょうか?」
「賢明なるイヴァリア。ホブゴブリン、いや、ゴブリンとは実に欲深い種族だ。欲求を満たす条件を与えれば、誰にだって従う。このワシにすらな」
ギルドの様々な雑務を兼務する受付嬢を取り纏める、受付嬢の纏め役であるイヴァリアは、この老人の事が嫌いでならなかった。
それでも付き従っているのは、この老人がイヴァリアを気に入って法外な給料を支払ってくれる事と、生意気な気に入らない女冒険者についてこの老人にけしかければ、罰を与えてくれるからだ。
ミノタウルスに犯させる、という、醜悪な罰。
二人は汚れた共生関係にあった。
老人は、ジャーカー・エルキュラは、わざわざ冒険者ギルドに「入れる」ようにと足を運んでまでセージに会いに行ってやったと言うのに、無限に断った挙句、弓矢を向けて殺すとまで宣ったのだ。
元を正せば、彼の家族を人質に取るかのような発言をした高圧的な態度に出た自身の所為なのだが、ジャーカーという魔法使いにとってはそれでも下手に出た方だったのだ。
コラキアの災厄とまで言われた凶暴な巨大な猛獣、人喰い熊のガランジャ。
秘密兵器の「息子」を使うべきかと言うほどに強力なモンスターとなった、悩みの種であったガランジャは、何の偶然かセージが襲われるうら若き修道女を守る為に戦い、文字通り命がけでこれを倒した。
それ程の戦力であるからこそ、奴の生活圏にほど近い鉱山にゴブリンを手引きしてまでこちら側に着く機会を与えてやったと言うのに、ゴブリンが鉱山を奪った経緯を「冒険者ギルドの怠慢」だなどと批難までして来た。
ジャーカーの苦労も分からず、悪党とまで罵って来たのだ。
その上、ガランジャを単独で倒したとあっては、彼の「息子」と互角に渡り合えると言う事。
敵側に着こうが着くまいが、彼を存在させておくのはジャーカーにとって都合が悪い事であった。
それを理解するからこそ、イヴァリアは平伏して見せて言った。
「長の聡明なお考えの通りです。失言でした」
「分かれば良い。して、何人集まったのだ?」
「50人です。いくら元帝国兵と言っても、この数の冒険者を相手に戦うのは骨が折れるでしょう」
「50・・・50か。フフフ・・・。仮に失敗したとしても、無傷ではいられまい。生き延びたとしても、そこを息子に襲わせれば、確実であろうな」
「おっしゃる通りでございます」
「所でイヴァリア、息子に命じる為に贄が必要だと思わんか?」
「先日、ハリヤとセージの決闘に横槍を入れた愚かな娘が居ります」
イヴァリアがガラステーブルの上に置かれた銀の鈴を右手で持ち上げると、チリリ、とひと鳴らしする。
階段口の扉が開き、別の受付嬢に引かれて女戦士が入ってきた。
セージに長剣を貸し与えた女戦士だ。
「追加報酬が貰えるって聞いたんだけど?」
女戦士は、何の疑いもなく部屋に進み出て言う。
ジャーカーは、さも何かを思い出したかと言うようにやや上を向いて嬉しそうに口を開いた。
「ああ・・・。君は確か、南の都市、ウィーレウィッツ出身の冒険者だったねぇ。レベルは確か・・・?」
「3です。凶悪なリザードマンも、何匹も殺してきました!」
「ふぅむ・・・。そうか・・・。所で、君はセージ・ニコラーエフという人物をどう思うかね?」
「はい?」何故彼が関係あるのか分からず首を傾げる「そうですね・・・。荒くれ者ですが、正々堂々としているし、戦士として尊敬できると思います」
「なるほど!! それは確かに!!」
ジャーカーはとても嬉しそうに手を叩いてソファーから立ち上がって両手を開いて歓迎する仕草をして見せた。
「君は実に良い戦士のようだ。鍛え上げられた身体もまた、艶めかしくも美しいのであろうな」
ジャーカーの態度に、今更ながら不信感を抱きたじろぐ。
「名前を聞こう! 君の名は、何だったかな?」
「えっと、カリマール村のハンナです・・・」
「カリマール! あそこは上質な葡萄の産地だ。水も空気もとても美味しい」
「あ、ありがとうございます」
「さぁ、カリマールのハンナ。君は知らないだろうが、君はとても素晴らしい功績を残している」
「ほ、本当でしょうか?」
「勿論だとも! さあ、報酬は奥に用意してある。ついてきたまえ・・・」
仰々しくジャーカーがミノタウルスの棲むホールへと続く扉へハンナを案内する。
ハンナはコラキアに来てまだ経験浅く、ギルドの地下に女冒険者だけを躾ける為の拷問が用意されている事を知らなかった。
いや、噂には聞いていたが、ミノタウルスなど人の飼い慣らせる魔物ではないという常識と、追加報酬という甘い言葉が、彼女の判断を鈍らせたのだ。
ホールに案内されるなり、どんな財宝が貰えるのかと好奇心に緩む顔が凍りついた。
何も無い。
ただ、広いだけの直径30メートルのホール。
天井も高く、7メートルはあるだろうか。
「あの・・・、ギルド長・・・。何もありませんが・・・?」
ジャーカーは何も言わずに奥の壁へと歩いて行く。
不審に思いながらも、別の隠し扉でも有るのだろうかと遅ればせながらハンナが進んでいくと、ジャーカーが壁の一部をスライドさせてハンドルを見せて来た。
ああ、やっぱり隠し扉があるんだ、と思った瞬間、ジャーカーがハンドルを手前に引き倒す。
ホールの中央辺りにまで進んでいたハンナの足元の床が、後方に傾いて落ちた。
「な!?」
滑り台と化した床は、彼女を滑り落としながら左右に割れて行く。
ハンナは下に隠された部屋に落とされてしまった。
そこはさらに広いホールになっており、しかしホールの中央で、直径20メートルの鉄の檻の中だった。
胸がむせるほど強烈な獣臭が充満している。
そして、彼女の目に牛の頭部を持つ身長3メートルにも及ぶ巨人が映った。
檻の片隅で、丸ごとの牛を生のまま貪り食っている。
巨人がハンナが落ちて来た音に反応して、視線だけ投げかけて来ていた。
「み、み、・・・ミノタウルス・・・」
噂は本当だった。
他の女冒険者達は、その多くが一人でギルド長の執務室には行ってはいけないと言っていたのを思い出す。
のそり、とミノタウルスが立ち上がる。
やはり7メートル以上ある天井を見上げると、開いたその上の階の床の縁から灰色の魔法使いが捩くれた杖を左手に声高に宣言した。
「我が息子、ファルガンよ」
ジャーカーの声に反応して、ミノタウルスが天を仰ぐ。
「今宵は貴様に人を殺しに行って貰わねばならん。これはその為の報酬だ」
「報酬? オヤジ殿。この牛が、飯が、報酬か?」
「そうではないぞ、我が息子よ。そこに居る女だ。見えぬか?」
「オンンンンナアァァァァァァァァ」
ギラついた目でハンナを睨みつけるミノタウルス。
ハンナは身の危険を感じて長剣を抜き放って構えた。
「ギルド長! こ、これはどういう事ですか!? この、モンスターは一体!?」
「カリマールのハンナよ。私は正々堂々となどクソ喰らえだと思っている」
「仰っている意味が分かりません!」
「セージ・ニコラーエフは敗北を知り、私に跪くべきだったのだ」
「何を!?」
「それに手を貸して、勝利を与えるなど言語道断」
「わ、私が、手を貸さずとも、このギルドにあれ程の戦士はおりません!! ハリヤでははなっから勝機は無かった!」
「ファーーールガンよ! その女は少々筋張っているかも知れんが、乙女だ」
「乙女・・・処女・・・」
「そうだ。ファルガン。乙女を串刺しにするのは好きであろう?」
「処女・・・乙女・・・」
「飽きたら、いつものように上に放り投げなさい。私の方で片付けてあげよう」
「処女・・・処ジョォォォォォ・・・」
「出来れば、殺すんじゃないぞ? レベル3の冒険者は、貴重な戦力だからな」
「分かってるよ。オヤジ殿・・・」
ヨダレを垂れ流しながら、一歩一歩、歩み寄ってくる牛頭の巨人。
ハンナは長剣を構えて後退る。
「ギルド長ーーー! ジャーカー・エルキュラーーーーー!!」
ギルド長を呼び捨てにして罵るハンナ。
破れかぶれとミノタウルスに斬りかかるが、左手一本で軽々と剣を振るう右手を掴まれて宙にぶら下げられてしまう。
「うわぁー! くそー! 離せっ、バケモノがー!!」
「グフゥー、グフゥー。生きのいい女は、大好物・・・」
「ひぎっ・・・いやーーーーー!!」
イヴァリアは、床下の秘密のホールで始まった惨劇の音を執務室から聴きながらほくそ笑んだ。
ハンナは品性公正な清純派の娘で、何かとイヴァリアや他の受付嬢に説教を垂れてくる生意気な女だった。
こうして、清純派の女冒険者が「堕ちる」のを目の当たりにするのは、実に心踊った。
これで、ギルドに刃向かう冒険者はさらに数を減らす事だろう。
イヴァリアの収入は安泰なものとなり、彼女達受付嬢に刃向かう愚かな冒険者も居なくなる。
ミノタウルスを飼い慣らしていると信じている愚かな老人からも印象が上がった事だろう。
満足げに階下で行われる惨状を楽しむ老人を横目で見て、イヴァリアは歪んだ笑みを浮かべてガラステーブルのソファーに腰を下ろした。