少女達は闘犬を想う
アニアスの部屋の扉が開かれた。
様子を見に来たのか、扉の前に立ちノブに手を伸ばしかけていたデリアと部屋を出て来たセージが正面からぶつかりそうになって驚愕の表情で一歩後退るデリア。
ジロリと無表情でセージが見下ろし、その深く暗い影を宿す茶色の瞳を見上げて、アニアスの教育係として赴任しかつ聖職者として恋だの愛だと言った感情を遠ざけて来たデリアはその瞳の奥に宿る哀しみを見てドキリとして固まってしまった。
(お、大きい・・・! この男が、件の、セージ・ニコラーエフ・・・)
デリアの二倍近い身長のセージはというと、驚愕の表情であんぐり口を開けて呆けている神経質そうな眼鏡をかけた茶色のポニーテールが勉強家に見えてしまう神官の女性を面倒くさそうに見下ろして凄む。
「そこに突っ立っていられては部屋を出られんのだが?」
「はっ!? あ、あなたがセージ・ニコラーエフですね!!」
「・・・そうだが」
「聖女の部屋に男性が一人で立ち入るなどと・・・!」
「で?」
ギッとセージに睨まれてその猛獣にも似た威圧感に三歩後退ってしまった。
一度室内を振り向くセージ。
「ジェリ、アニアスの事を頼むぞ」
『畏まりました、我がマスター』
室内から女性の声を聞いて単独で会っていたわけではないと理解してデリアは警戒心を緩めたが、セージの方はというと彼女の事をまるで正体不明の生物でも見るかのように蔑むような視線を向けて大股に立ち去って行った。
その大きな背中を見送りながら、胸の高まりが抑えられないデリア。
「あれが・・・男・・・」
幼少より神職に就いて三十年。デリア・キリッシュ初めての恋であった。
スクーラッハ寺院の待合室。
名目上はセージの護衛として同伴して来たレナとフラニーは木製の長テーブルを挟んで木製のベンチに腰掛けてのんびりとしていた。
姿勢正しく座って紅茶を嗜むフラニーとだらしなくベンチに横たわって腕枕しながら天井をぼうっと見つめているレナ。
レナがポツリと言った。
「セーちゃん遅いね。アニアスとお話し出来たのかな」
澄まし顔で紅茶を一口飲むフラニー。
「気になるんだったらついていけば良かったでしょうに」
「んー。だってほら、一応? 奥さんに会いに行ってるわけだし?」
「ま、いいけど。別に」
「はぁ・・・」
「何よ?」
「セーちゃんってさ」
「そのセーちゃんって呼び方、小馬鹿にしてるように聞こえるからやめた方がいいわよ」
「セーちゃんって、何人と結婚できるのかな。ほら、騎士って末端だけど貴族なわけじゃん?」
唐突な事を言いだすレナ無言で紅茶を嗜みながら無視を決め込むフラニー。
レナは数秒待って不満そうに半身起こした。
「ねえ聞いてる?」
「答える価値すら無いんだけれども?」
「常識的な話じゃん! 魔物、だけど、ハーピーのラーラとも結婚してるわけでしょ!?」
「結婚っていうのは基本的には一人としか出来ないわよ。後妻は同棲するにはするけど愛人枠ね。あくまでも」
「ほう」
「ちなみに魔物は常識的に人間扱いされる事はないから、ラーラとの関係は結婚とは言えないわね。人間社会では」
「つまり?」
「セージの正妻はアニアスって事になるわね」
「ふうん。じゃあとっとと肉体関係結んじゃえば解決するってことね」
「・・・やめておきなさいね?」
「フラニーは諦めるの?」
「この話はやめましょうか」
「ねえどうなの?」
「・・・・・・」
「セーちゃんの強さって気になるよね?」
「そろそろそのピンク脳から戻って来なさいよ」
「もうね。あたし我慢するのやめる事にした。だからお父さん呼びは卒業なの!」
「セーちゃんだけはやめておきなさい」
「もうきーめーたーのー!」
「嫌われても知らないからね」
窓の外は日が完全に落ちていた。
室内を照らすランタンの灯りは心許なく、レナもフラニーもお互いの表情は正確に見ることは出来ず、それぞれどこか期待するように頬を朱に染めていたが表面的な表情だけを見てお互いに不満げに視線を逸らすのだった。