黒き騎士の心配事
黒の砦、セージの執務室。
立派だが質素な作りの樫の木で出来たデスクに牛革の飾り気の無いソファに座り、セージは幾つかの書類に目を通していた。
この世界では貴重とされて来た紙媒体の書類に目を走らせては承認の押印を押していく。
砦周辺の警備日報や村の発展状況に関する報告だった。
五枚のそれらの書類に押印して左の書類箱に手を伸ばし、次の書類を広げる。
冒険者ギルドから上がって来た依頼内容に関する物で、ランク付けのされていない書類だ。
ギルドを引き継いだアンデルスが不在のため、かつてギルド長を務めていたセージの元に冒険者ギルドに入って来た依頼が集められ、依頼内容を吟味してランク付けを行わなければならないのだ。
(ギルドに入った依頼を砦で処理して、また持っていくというのは二度手間なのだがな)
そうは言っても次にギルド長を任せられる人員が育っていない以上は仕方のないことではあるが。
(受付嬢の中に書類の処理が出来る奴がいれば、代行を任せてみても良いのか?)
依頼の内容、日数、派遣する場所を吟味してAからFまでのランクを押印するセージ。
執務室の扉が三回ノックされた。
チラと視線だけ扉に向けると、印鑑を仮置き用の小さな赤いフェルトの上に置いて顔を上げる。
「入れ」
『はっ』
短く命じると、黒の砦副官のウルベクが難しい顔をして一人のメイドを連れて入室して来た。
メイドはジェリスニーアの姉妹機、ランジェリス。
ウルベクが軍隊式の礼をすると、ランジェリスは下腹部の前で手を組み深々とお辞儀をして言った。
「お忙しい所を申し訳ございません、我がマスター」
「構わん。ウルベク、ランジェリスを連れて来たのには理由があるのか」
通常は女性と接点のない黒騎兵にあって、人形とはいえ女性を連れ歩くような人間ではないからこそ訝しむセージ。
不機嫌とも取られそうな気難しい顔で二人を交互に見て言葉少なく口を開く。
「何だ」
ウルベクは顔を上げるとお辞儀をしたままの姿勢を維持しているランジェリスを一度振り返り、セージに向き直って言った。
「奥方様が、アニアス様が高熱を出されて倒れられたと報告が」
「・・・アニアスが?」
ピクリとセージの眉が顰められる。
ランジェリスが状態を起こして緑色の目を光らせて引き継いだ。
「先程、現地より通信が入りました。礼拝堂での瞑想中に高熱を出されて、お姉様方がベッドに搬送されたようです。命に別状は無いとのことでしたが、深い眠りについている様子」
通信という聞き慣れない単語にウルベクが首を傾げるが、異世界・地球の魂と知識を持つセージは疑問を挟む事なくランジェリスをジロリと睨む。
「話が見えん。妻は無事なのか」
「ライフゲージは安定しています。ですが、全身から原因不明の熱が発せられているとのこと。体温は四十五度前後のため思わぬ影響があるかもしれません」
セージの表情が硬くなりデスクに両手を突いて立ち上がった。
人間は極度に高い熱の状態が長く続くと命に関わると知っているからだ。
深く鼻で深呼吸して声を絞り出す。
「今は無事なのだな」
「はい、問題は無いとメッセージが届いております」
「フゥ・・・」しばらく俯いてデスクに手を突いて目を閉じ、無表情で顔を上げた「様子を見に行く。馬を用意しろ」
ウルベクが表情硬く一歩前に出た。
緊張した様子で言う。
「スクーラッハ寺院の修行では異性との接触は禁止されていますが。寺院に行かれると言うことでしょうか」
「倒れたとなれば話は別だ、修行は必要だろうがな。王都から派遣されたサーラーナ神殿の神官とやらの人となりも知らんからな。様子を見に行く」
「わかりました。馬を用意させます」
コート掛けに大股で歩み寄り手早く羽織ると襟元の留め金具をはめて固定するセージ。
踵を返す彼を見てウルベクがお辞儀をして部下に馬を用意させるよう指示を出すべく退出し、ランジェリスはメイド然と腰を折りセージの命令を待つ。
物言わずセージが退出すると身体を起こして続いて退出し、両開きの扉を静かに閉めて彼の後に続いた。
廊下の途中でお辞儀をした姿勢で待機していたアンジェリスとノアジェリスが、セージが無言で通り過ぎるのに合わせて追従する。
ジェリスニーアにそっくりな子機達はそれぞれの個体を識別するために当初は灰色のメイド服に白いベールを顔にかけていたが、名前を与えてからはウィッグの髪形を変えることで識別出来るようにさせていた。
左右に低い位置でローテールに纏めさせたアンジェリスとランジェリス、ポニーテールのノアジェリスの三機はセージの三歩後ろを下腹部の前に手を組んだ姿勢で颯爽と追いかけて、彼女達を伴ったセージはというと無条件に彼に付き従う生人形達を始めこそ鬱陶しそうにしていたが、彼女達の存在意義が人間、取り分けて「勇者力」という魔力の一種に惹かれその力を持つ者にひたすらに従うロボットのような物だと理解してからは好きにさせている。
ホールに降りるべく階段を目指して自室を通り過ぎると、後方中央を歩くノアジェリスが抑揚は無いがはっきりとした口調で口を開いた。
「お召し物のお着替えはなさらないのですか、我がマスター」
「不要だ。御貴族様に会いに行くわけではないのだからな」
「奥方様の状態に変化はありません。お着替えする時間は御座いますが」
左のアンジェリスも急ぐセージを止めようとするが、それは右を歩くランジェリスがやはり抑揚の無い、しかし何処か棘のある口調で論した。
「人間の容態は変わりやすいもの。我がマスターの心配を払拭するのが我らの務めです。短縮すべき行程は短縮しなさい」
「あなたは我々の上位機種ではありません、命令は実行されません」
「あなたは我々の上位機種ではありません、命令は拒否します」
「我がマスターのお気持ちを考えるべきであると提案します」
「久方ぶりの再会になるかも知れません。準備は怠るべきではないと提案します」
「やはり外行きの衣装にお召し替えされるべきだと提案します」
「いい加減にしろお前ら。俺は着替えは不要だと言った」
「「「申し訳ございません我がマスター」」」
立ち止まり睨みつけるセージに向かって深々とお辞儀をして謝罪する生人形達。
セージは大きくため息を吐くと再び歩き出す。
子機達はそれから、音声会話から通信チャットに切り替えて無言で会話を続ける。
『所で鉄騎と黒騎号の調整はどうなっていますか?』
『鉄騎は二機が組み上り。魔力機関の稼働も問題ありません』
『黒騎号は既に完成。時速200キロまでの走行に耐えられます』
『了解しました。それでは我がマスター専用の鉄兜は』
『ドワーフのミミチャラに製作を依頼していた闘犬骸は丁度今朝方に納品されました』
『準備は万端ですね』
『我がマスターに相応しい機動装備です』
『これはお喜び頂けること間違いありませんね』
『ジェリスニーアお姉様には申し訳ありませんが』
『『『我がマスターからお褒め頂けることでしょう』』』
彼女達は古代の技術を内包する魔力で再現すべく秘密裏に造り上げていた車両をお披露目するのはこのタイミングだと、セージの喜ぶ顔が見れそうだと心の底で期待していた。
アニアスの見舞いを目的としていたセージにすれば、そのような余裕など微塵もなかったのだが、魔力をエネルギーに稼働する機械である彼女達にはそうした人間の機微はまだ理解が及んでいなかった。




