王と闘犬、その2
エッソス城、謁見の間。
ノアキア・エッソス男爵を筆頭に、一歩下がって左右に騎士ガッシュとメレイナが立ち、メレイナのさらに二歩後ろにセージ、その右一歩後ろにジェリスニーアが静かに佇んで待っていた。
奥の壇上には横に長テーブルが置かれ、その中央にクッション付きの玉座に見立てた椅子。
その椅子の左右には男女の近衛騎士が立ち一同を見下ろしていた。
ガッシュが居心地悪そうに身じろぎしてメレイナに咳払いされて睨まれる。
待たされた時間は五分ほどであろうか。壇上向かって左側の扉が開かれて近衛兵が勢いよく入室すると正面に向き直り、起立の姿勢で声を張り上げた。
「国王陛下、御成です!」
ノアキアが、ガッシュが、メレイナがその場に片膝を付いて頭を垂れる。
セージとジェリスニーアもそれに倣った。
トーナ国王ラウル三世が悠然と中央の椅子に向かって歩くと女の近衛騎士が椅子を引いて、ラウル三世はマントを翻すとゆっくりと腰をかける。
跪く一同を見渡して言った。
「楽にするが良い」
王の言葉にまずノアキアが面を上げ、ガッシュとメレイナが続き、そしてセージとジェリスニーアも顔を上げて国王ラウル三世を見上げる。
ノアキアはすぐに目を閉じ軽く頭を垂れた。
「陛下」
「うむ、久しいな、壮健であったかノアキア」
「ご覧の通りでございます」
「ふむ、しかし些か老いたか」
「十五年になりましょうか。年も取ります」
「そうか」
会話が途切れる。
ノアキア男爵としても、ラウル三世の目的は分かっていたがいきなり触れるような真似はしない。出来る人間アピールはあまり印象の良い行為とは言えないし、何の用で来たのかと上級階級の者に言うわけにもいかないからだ。
ラウル三世は跪く一同をしばらく眺めて、一呼吸息を吸い込んで口を開くと、間を置いて言った。
「余が北の辺境まで来た理由は、知っておろうな。ノアキア」
顎を引いてその場で一層頭を垂れるようにすると、ノアキアは面を上げて王の顔を見上げる。
「恐れながら、陛下のお考えを推し量るなど。私の裁量では知る由もありません」
「そうか。ベイルン家と戦を起こしたそうだが?」
「伯爵家は、なんと?」
ノアキアはまずシラを切った。
実際、ベイルン領で何が起こったのかを調べる密偵を放っていたわけではないので知る術はないのだから、嘘を言ってはない。
ラウル三世は疲れた顔に目を細める。
「流石に、伯爵家の動向を探るような愚は犯さぬか」
背もたれに体重を預けて寄りかかり、やや天井を見る。
「ベイルン家は滅んだ。分家のフォイルン家が反旗を翻したようでな」
「それは・・・誠にございますか」
「ファーレンめ、目論見があったのであろうが領民に無理な課税を課したようでな。しかも、貴様との戦に負けて、身代金の支払はおろか遺族への弔慰金も出し渋ったそうでな。多くの難民がこのコラキアの地に流れて来たのであろう?」
「それは、確かに。聞き及んでおります。しかし分家が謀反とは」
「それほどまでに民達は逼迫していたのであろう。時に、貴様はどうやって伯爵軍を打ち破ったのだ。十倍の戦力差であったと調べは付いておるのだが?」
「地の利が我が方にあっただけにございます。強いて言うなれば、我が軍には近年、北のロレンシア帝国より流れて来た傭兵を雇い入れる機会に恵まれまして」
王の両脇に控える近衛騎士達の目が鋭くなった。
ロレンシア帝国とは正式な国交が結ばれているわけではなく、敵視している軍事国家であるためだ。
「そのような地の兵を雇い入れるなど。背信行為だとは考えなかったのか」
王の左に立つ男の近衛騎士が左手を長剣の鞘に身じろぎして剣と鎧が金属の摩擦音を奏でる。
ラウル三世が左手を上げて制した。
「オーギュスト。よい」
「しかし陛下!」
「よい。だがノアキアよ、余としても北の兵を、傭兵とはいえ招き入れるのは感心せぬな。亜人の国との戦に明け暮れる野蛮人の帝国の兵などと」
「仰ることは確かに。しかし彼らは、主人たる王族を同じ王族の兄弟の奸計により討たれ、軍勢のほぼ全てを失い命懸けで逃れて来た者達。それだけではございませぬ。このコラキアにて亜人が攻めてきた折には率先して参戦しこれを撃退せしめるほどの働き。御旗求めて私に忠誠を誓わんとするならば、これを拒否する理由もございませんでした」
「寝首を掻かれるとは、思わなんだのか」
「義に厚き者達なれば。そのような心配も無用にございます」
ノアキアの言にオーギュストが再び反応した。
「白々しい事を! ノアキア・エッソス男爵。貴殿は国王陛下に向かって反旗を翻そうとしているのではないのか!」
今回はラウル三世は止めずに様子を見ている。
男爵の粗を探しているのだ。
オーギュストはわざとらしく、尊大な態度で胸を張りノアキアを太々しく見下ろして言った。
「金髪褐色肌の娘を匿っているのだろう。その姿の意味を知って、なお!」
ノアキア一同の目が鋭くなるが、ノアキア以外は顔を下げているので気取られない。
オーギュストが口角を上げて笑みを浮かべると続けた。
「調べが付いていないとでも思ったか。男爵」
無礼な態度にノアキアもナイフのような視線を隠しもせずに睨み返す。
「確かに、金髪褐色肌の娘といえばこのコラキアには二人居るというのは承知しているが。それがなんだと言うのか」
近衛騎士の立場的には、どの貴族よりも王族に、国王に近い立場となりある程度の謁見行為は許されるが、階級で言えばいち騎士に過ぎない。
国王の威をかって無闇に領地貴族に不遜な態度を示すのは無礼が過ぎた。
ガッシュとメレイナが突いた膝を浮かせたが、ノアキアが両手を軽く上げてそれを制する。
ラウル三世がオーギュストを諌めるように言った。
「オーギュスト。止めよ」
「は。しかし陛下」
「良い。知らぬと言うのであれば仕方の無いことよ」
国王の言葉にオーギュストは一礼して下がる。
ノアキアはオーギュストを睨む顔を一呼吸吐いて表情を殺すと、ラウル三世に向かって改めて問うた。
「金髪褐色肌の娘とは、いかなる者なのでございましょうか。ファーレン・ベイルン伯爵もまた同じ理由でこの地に軍隊を差し向けて来ましたが」
「ノアキア。貴様は我が娘を覚えておるか」
「はい。二十年前に行方不明になられました、王女殿下の事でございましょうか」
「貴様は、我が娘を一度も見た事は無かったな」
「恐れながら。いち騎士団長の身としては、お産まれになられたばかりの姫様に目通り叶わず」
「そうであったな・・・」
ラウル三世は天井を見上げ、懐かしむように語る。
「娘は、マリエル姫は金色の産毛が愛らしい黒い肌の赤子であった」
努めて無表情を貫くノアキア。
セージは下げて隠した表情を固くする。
(アニアスが、そうだとでも言いたいのか。この王族は)
「叛逆者ゼンダーに、かつて宮廷魔法使いであった者に隠されて二十年。もはや諦めておった所に北の辺境で金髪褐色肌の娘を見つけたと知れば、確かめたいと言う余の気持ち。分かってくれるな、ノアキアよ」
「心中、お察し致します。なれどすぐにと言うわけにも参りませぬゆえ、その者達を呼びつける時間を頂きたく、」
「この期に及んで時間稼ぎか。男爵!」
オーギュストがノアキアの言葉を遮った。
それはこの茶番の台本になかったのか、ラウル三世があからさまに表情を曇らせてオーギュストを見て言った。
「オーギュスト、控えよ」
「ですが陛下。エッソス男爵は明らかに時間稼ぎをしようとしている様子。近衛兵を動かし、速やかにコラキアの街を調べるべきです。徹底的にでも!」
「オーギュスト。余が決める事だ。控えよ」
「ノアキア・エッソス男爵は、反逆罪で捕えるべきです!」
「おのれ黙って聞いておれば!」
「言いがかりにも程がありましょう!!」
遂にガッシュとメレイナが怒り心頭で立ち上がり、腰の剣に右手を伸ばした。
ラウル三世の右に控えていた女近衛騎士も剣の柄を握り締めて身構える。
セージは動かない。
ジェリスニーアも主人であるセージが動かない限りは興味が無さそうにじっとしている。
オーギュストの矛先がセージに向けられた。
「貴様はどうなのだ。臆病な騎士よ。あるいは賢明といった方が良いのかな?」
「オーギュスト殿、いい加減になさいませ! 陛下のお言葉が聞けないと申されるおつもりか!」
女近衛騎士が身構えたままオーギュストを叱るが、彼は止まらず、壇上を長テーブルを回って側面の階段を下りながら男爵に向かって行った。
「どうなのです、男爵閣下。どこに金髪褐色肌の娘を隠しておいでなのです」
立ちはだかるメレイナ。
「それ以上近付くな。国王陛下の御前とはいえ、無礼が過ぎます!」
「女は黙っていろ!!」
オーギュストが剣を抜いてしまった。
自然、セージが静かに、しかし素早く立ち上がり電光石火の如く進み出て拳で無造作にオーギュストの剣の腹を殴りつけて床に打ち捨てる。
近衛騎士の長として鍛えられて来たオーギュストが、いとも簡単に剣を叩き落とされて目を丸くして驚いた猫のように固まってしまう。
セージは騎士として決して小さくない体躯の男を、それでも見下ろして、低い声を響かせて言った。
「いい加減にしてもらう。国王の前で近衛の首をへし折るつもりは無い」
「き・・・貴様! 貴様はこの近衛騎士団長の私に勝てるつもりでいるのか!」
「へし折られたいのか?」
ずん、と、セージが右足を一歩踏み出すと、オーギュストだけではなく壇上でラウル三世を守る女近衛騎士までもが後退ってしまった。
近衛騎士としてあるまじき失態。
しかしラウル三世は責めもせず、淡々として言った。
「オーギュスト、いい加減にいたせ。余に恥をかかせるつもりか」
「へ、陛下! しかし・・・!」
「貴様も王国きっての騎士。レベル13というのは伊達ではあるまいが。余の見立てではそこな黒き鎧の男、それ以上のレベルを持っておるようだぞ」
「そんなはずは・・・! レベル10に到達するのすら、並大抵の努力では叶わぬもの。私よりも強い騎士など!」
「奢るでないオーギュスト。其方がレベル13の高みにまで上り詰めるのに並々ならぬ努力を重ねて来たことも重々承知しておる。配下の非礼を詫びよう、ノアキア」
ラウル三世の言葉に深々と頭を垂れるノアキア。
「勿体なきお言葉。金髪褐色肌の娘につきましては、早急に手配をいたしますので」
「うむ。それよりも、そこな黒き戦士よ。その者が、貴様の先ほど言っていたロレンシア帝国の?」
「はい。名をセージ・ニコラーエフと申します。領地防衛の功績を讃え、私の権限で騎士に任命いたしました。現在は最北に新たに建設した砦の防衛を任せています」
「セージ・ニコラーエフか。貴様は、この国に、余に忠誠を誓っておるのか」
興味なさそうに国王を見上げ、セージはため息混じりに言い放った。
「なんでアンタに忠誠を誓わなければならんのです。俺はエッソス家に忠誠を誓い、このコラキアの地を守る騎士だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「無礼な!」
オーギュストが前に出ようとして、風のようにジェリスニーアが前に出てその胸を突き飛ばした。
甲冑を着た大の男が木屑のように後ろに転がされてしまう。
「我が王に触れるとは何事ですか。身の程をわきまえなさい無礼者」
「き、・・・貴様・・・! メイド風情が・・・!」
立ち上がりざまに長剣を拾い上げるオーギュストを、女近衛騎士が声を張って止めた。
「おやめください団長! その者、人間ではありません!!」
「なに!?」
驚いて固まるオーギュスト。
ジェリスニーアはセージの隣に立つと、メイド然として深々とお辞儀をして国王に向かって挨拶をして見せた。
「戦闘用生人形ジェリスニーアと申します。勇者たる我がマスター、セージ様にお仕えしてこの地の防衛を担っております。以後、お見知り置きを」
「ヴァルキリードール・・・」
驚愕に表情を固くして立ち上がるラウル三世。
長テーブルに両手を突いて身を乗り出して口を開いた。
「其方が・・・予言に記された、我が姫を守護する黒き騎士なのか・・・」
言われた事が分からずに顔を顰めるセージ。
立ち上がったままなのを思い出して元いた場所に戻ろうかと身じろぎした所を、ラウル三世は遮るように言った。
「姫は、其方の元に居るのか?」
「は? いや、仰っている事が分かりまねますが・・・」
「名を、今一度教えてくれぬか」
「・・・セージ・ニコラーエフと申します」
「そうか。其方、北の精鋭、黒騎兵であるか」
「よくご存知じで?」
「そうか・・・そうか、なればその強さも納得のいくというもの。オーギュストよ、いかに王国一の騎士といえど、その者を相手にするのは容易くはあるまい。礼を失したのは貴様だ。詫びてこちらに戻るがよい」
「し、しかし陛下!」
「おまけにジェリスニーアと言ったか、伝説の古代兵器ヴァルキリードールともなれば、およそ人の太刀打ち出来る存在ではない。控えよ」
オーギュストは苦虫を噛み潰したような表情でセージとジェリスニーアを睨むと、不承不承といった様子でノアキアに軽く頭を下げた。
「先走った非礼は詫びよう、男爵。金髪褐色肌の娘、早急に呼び寄せられたい」
「承知している。近衛騎士団長殿。セージ、ガッシュ、メレイナ、其の方らも控えよ。王の御前であるぞ」
「「「はっ」」」
ガッシュとメレイナはその場に、セージはジェリスニーアを伴って数歩下がって跪く。
不満げに戻るオーギュストを見て、ラウル三世は満足そうに頷いて見せた。
「誠、その娘が我が姫であれば、これほど嬉しい事は無いが・・・」
『お、おやめください! 只今は国王陛下謁見の最中で・・・!』
『その王様にわざわざ会いに来てやったんだろうが! アタシの夫は中にいるんだろう!?』
にわかに外が騒がしくなり、ラウル三世が怪訝そうに観音扉に視線を向ける。
ノアキアが、セージが、まさかと困惑した表情で腰を浮かせて振り返り、外の喧騒は勢いを増した。
『ですから、日を改めまして・・・!』
『伯爵がらみなんだろうが! アタシに関係あるんだろ!?』
『自分には分かりかねます! とにかく今入られるのは陛下に無礼を働くことに!』
『どうせアタシの顔を見に来たんだろうが! この黒い肌が珍しいってか!? だったら早く見せてやるよ!!』
『お、お願いですからアニアス様・・・!』
『うるさいそこを退け!!』
『ああ、お待ちください、アニアス様! アンデルス様まで! ああ、キンバーデ様そんなご無体な!!』
『姫さまがお通りになられると申しておるのだ!! 道をあけーい!!』
『ああー! おやめください! 本当に! ああやめてーーーーー!!』
ばーん!と、観音扉が豪快に開かれて、右手に斧槍を持った老騎士がヅカヅカと謁見の間に姿を現し、続いて灰色のローブを纏った老魔法使いアンデルス・ヴァシューズが、そして黒いヴェールで顔を隠した五人のメイドに周囲を守られた赤いドレスを身に纏った金髪褐色肌の娘がセージを目に留めるや勢いよくツカツカと歩み寄って行った。
驚いて思わず立ち上がってしまうセージ。
「あ、アニアス・・・! 何をしに来た!」
「ああん?」
じっと平伏したままのジェリスニーアを見下ろして、そしてセージを睨み上げる。
「アンタさ、妻のアタシに内緒でさ、何してんの?」
「いや・・・」流石にオタオタと狼狽える「国王陛下の前なんだぞ、アニアス・・・!」
「はあ!? だから!? アンタ、まさかこのメイド人形と不倫してないよね!!」
「して・・・! いや、無い! というか、」
「王様の前だからなんなのさ!! 浮気してんのかコノヤロー!!」
「いやアニアス・・・してない・・・してないよ・・・? というか、頼むから・・・」
「おい、してんだろ、メイド人形。なあおい。アタシの旦那に色仕掛け使ってんのかオイ」
「色仕掛けなど使うはずもありません奥方様事実無根にございます」
「「「「「事実無根にございます奥方様」」」」」
ジェリスニーアの受け答えにヴェールのメイド達が反応する。
アニアスの顔がみるみる赤くなって怒りが頂点に達しそうになり、何事かと眺めていたラウル三世が唐突に笑い出して騒動が止まった。
「ふふふ・・・はは! ふはははははは!」
「へ、陛下・・・!」
側近の女近衛騎士が慌てて剣を収め、心配そうに腰を折る。
ラウル三世は右手を上げてそれを制した。
「ふっふ・・・ははは、よい、よい。そうか、その者が金髪褐色肌の娘か」
国王の言葉にアニアスも正気に戻って慌ててその場に跪く。
「こ、これは! ご無礼を! セージ、アンタも頭が高いよ平伏しな!」
「お前はな!?」
「早く!! 妻のアタシの言葉が聞けないのかい!?」
「くっ、これでは単に尻に敷かれただけの情け無い騎士ではないか・・・!」
「文句言ってんじゃないよ王様の前だって言ってんだろうが!!」
「俺が言ったんだろうそれは! 全く・・・恥をかかせて・・・」
「妻に恥かかせるんじゃあないよ、さっさと平伏しな!」
「全く・・・お前は・・・全く・・・」
先の獣のような、刃のような姿はどこにいったのか、セージは泣きそうになりながら跪き直した。
その様子を眺めて、ラウル三世は笑いが止まらない。
「はっはっは! そうか、そこの娘がな! はっはっは!」
あまりの出来事に、男爵の一行は赤面して顔が上げられなくなってしまっていた。




