王と闘犬、その1
黒毛の大馬がエッソス城の城門を潜る。
エッソス城の外には城から運び出されたテントが陣を構築して二百人からなる近衛騎士団がキャンプを張っているが、馬を有する近衛騎士の数は四十騎を数えるだけで他は騎馬を持たない近衛兵だ。
王族が使用する大馬車も見えるが、戦争でもなければ大掛かりな輜重隊を率いる必要性が無くテントは領地通過の際に領主貴族に提供させるのが通例である。
セージは統制の取れた、しかし緊張感の無い煌びやかな鉄兜と王国の紋章が描かれた甲冑に身を包む近衛達を遠目にエッソス城の広場に入ると、まず自らが下馬して両手を差し伸べてジェリスニーアのか細い腰をそっと掴んで下馬を手伝った。
「恐れ入ります、我がマスター」
「気にするな」
エッソス家の兵士に黒毛の大馬ライトニングを預けると、二人のやり取りを遠巻きに見ていたのかノアキア・エッソス男爵の側近の一人ガッシュが大股に歩み寄って来て左手を腰に、右手を差し出して言う。
「早いじゃあないか、北の野人」
「皮肉か?」
「本音だ」
「で?」
「国王陛下は既に城内に入られている。来賓室でお休みになられている。まずは応接室まで来い、男爵閣下がお待ちだ」
言いながら歩き始めたガッシュと肩を並べてセージが歩き出し、ジェリスニーアは下腹部の前に両手を組んで静々と後をついて歩いた。
すれ違う兵士達と敬礼を交わしながら正面口から城のホールに入り、通路を進んで応接室を目指す。
「国王が近衛まで引き連れて来た目的は」
「俺の口から言えるか。閣下から聞け。アニアスは連れてこなかったんだな」
「目的が判らんのに連れてこれるか」
「察しはついているんだろう」
「流石に王国の近衛二百人を殺すのはまずかろう?」
「やるなよ、絶対に・・・。お前にはそれだけの武力があるのが末恐ろしいよ。おまけにジェリスニーアの戦闘力も一騎当千とくれば本当に出来てしまいそうだしな」
「やらんさ。多分な」
分厚い扉を開き、応接室へ。
中では大きな樫の木のテーブルの上座のソファに腰掛けたノアキア男爵が緊張した面持ちで片腕のメレイナを後ろに立たせて待っていた。
「来たか」
「閣下」
ノアキアの声に儀礼式のお辞儀をして見せるセージ。
ノアキアは右手を挙げて立ち上がって言った。
「アニアスは連れては来なかったのだな」
「連れてこいとは書状に書いていなかったので」
「構わん。陛下もまずは我らの事を見極めたいのであろう、そのような事は言うておらなんだ」
「謁見の間に?」
「すまんな。私としては隠し通したかったのだが、知られてしまってはどうにも出来ぬ。とはいえ、アニアスが王族の血筋であると言う明確な証拠がある訳でもない。知らぬ存ぜぬを貫き通せればそれはそれで良いのだがな」
苦々しい顔を上げるセージ。
ノアキアはセージの右肩を右手で強めに叩くと通路に出てやや振り向いて言う。
「では、参るか。出来れば、無礼の無いようにな」
「王国に忠誠を誓った覚えはありませんが」
「私の立場というものも、少しは考えてくれよ」
苦々しい表情のままお辞儀をするセージ。
ガッシュがギロリと睨み、メレイナはセージの背後に歩み寄って言った。
「閣下の事は我らが全力でお守りします。近衛に遅れを取るつもりもございませんから」
「いや、すまん。自重はするよ」
「私はするつもりはございませんが」
いつになく不機嫌そうなジェリスニーアがセージに付き従いながら言うと、メレイナは困ったようにして彼女に微笑んで見せた。
「閣下の騎士であるのだから、セージ殿も元を正せば王国の騎士ということになる。私が一番懸念してるのは、君なのだけれどな。ジェリスニーア」
「自重はいたしません」
「ジェリ」
短く諭されて、ジェリスニーアは不満げにしながらも深々とお辞儀をして言いかえた。
「自重は、いたします。手は出しますが」
「おい」
「はっは・・・構わぬ。好かれておるなセージ」
「お恥ずかしい所を」
「配下に好かれるというのは良い事だセージ。だが手綱は握っておけよ」
「承知しています」
「しかし、な。あの狂犬の如くであった貴様がその態度、少々調子を狂わせてしまいそうだ」
「それほど変わったつもりは無いのですが」
「いや、すまんな」
ノアキアはコートの襟を正すと姿勢を直して一同に背を向け胸を張る。
「では、行くか。もしもという事は無いだろうが、」
「その時は」
「そうならんようにせねば、な」
ノアキアが歩き出し、ガッシュとメレイナが続く。
セージはジェリスニーアを伴って、三歩後ろから謁見の間を目指して歩き出すのだった。