廃墟の地下遺跡、その7
完全なる闇に包まれた遺跡の一室に、淡く儚げな青白い光が灯る。
ぼんやりと明滅するその光の中、朽ちる事なく残るスチール製の棚や机、回転椅子。ただし、棚のガラス戸から覗く中には朽ちて崩れ落ちた書類の残骸、椅子のクッションも僅かな痕跡を残して布繊維やクッション材の成れの果ての誇りが小さな山を作り椅子の下に散乱している。
机の縁には、古代文字で「研究所長:ターシャ・メルベンスケヤ」と。
明滅する光の正体は人魂のようにも見え、そしてそれは、間違いというわけでもなさそうだった。
朽ちた背もたれ付きの回転椅子の真上に、白衣を纏ったワイシャツにタイトスカート姿の膝から下がフェードアウトするように掠れて消える初老の女性が現れて、青白い五つの光源に向かって言った。
「それは、女神が遣わした力ありし者だというのか?」
モールス信号のように規則的かつ不規則な明滅を繰り返す光源達。
初老の女性の幽霊は、半分窪んだ病んだ目にやはり青白い光の炎を燃やす。
「そうか。ようやくか。忌々しい月の女神様の予言の通り、とは言い難いねぇ。一体あれから何年経ったのやら、もう数えるのも億劫で判りもしない。・・・だが、ついに月の女神様の巫女が失われた、という事かねぇ」
部屋の中程の高さを浮遊する幽霊は、部屋の中央の天井あたりまで浮いて移動して床を見下ろす。
「ノールドスめ、この施設の復旧を約束したはずだが。私が再度の眠りについてどれだけ経過したか分からんが、何も進んでいないように見えるぞ」
苛立たしげな幽霊を見上げるように、青白い光源達が矢継ぎ早に明滅すると、幽霊は鬱陶しそうに疲れたように右手を適当に振って応えた。
「分かったわかった。規定の通りに対応しろ。ノールドスが作った骸骨人形を使ったテストだ。対応できないような雑魚なら追い返せ。ただの侵入者なら、始末しろ」
時折左右の壁に扉を備えた無機質に真っ直ぐ伸びる通路を行くレナの一行。
退屈そうに頭の後ろに手を組んで呑気な足取りは我らが自称勇者レナ・アリーントーン。
その左側で、新たな扉に近付く度に鋭い視線を向けて注視する左腰に下げた長剣の鞘にそっと左手を添えていつでも抜刀出来るよう警戒して確かな足取りで歩くのは、コラキア盗賊ギルド一の戦士ベルナン・カークウッド。
三歩後ろを小刻みな足取りで歩くのは、青い法衣に身を包み布の鞄を襷掛けに肩から下げて細やかな胸の谷間を斜めに横切る紐を両手で握りしめた腰の後ろに先端に緑の宝玉をあしらわれた戦棍をベルトで横に固定した神官娘アミナ・メイナ。
そのさらに二歩後ろから、上等な刺繍をあしらわれたチュニックに身を包んだネジン・ヒアキンス少年が表面に鞣革のカバーが施された頑丈なアタッシュケースを両手で抱えて追従し、その斜め右後方から複雑な蔦の彫刻が施された深い緑色の鞘が上等品だとわからせるミスリル製のグラスレイピアを左腰に下げた金髪に膝上までの丈の緑色のワンピースを腰でコルセットに近い太い革ベルトで腰のラインが分かるように固定したエルフのフラニー、フランチェスカ・エスペリフレネリカがやや緊張した面持ちで守り歩く。
最後尾、さらに五歩後ろを下腹部の前に両手を軽く組んで姿勢正しく規則的に歩くのは、生人形ジェリスニーア。
ジェリスニーアが通路の天井付近に一行に追従するように展開した三つの白い光源に照らされて闇を切り開くように進めば、後方は再び闇に包まれて、そうして1キロほど歩いた所でようやく通路は行き止まりに突き当たる。
げんなりしてレナが悪態を吐いた。
「やっと行き止まりだぁ。全然冒険してない気がする・・・」
「冒険するのが冒険者の仕事じゃ無いって事だ。言ってしまえば、冒険者なんてのは小さな厄介ごとから傭兵稼業まで請け負う万屋さ」
ベルナンもまた、レナに呆れるように声をかけて行き止まりに歩み寄って左膝を床に着くように屈み込んで行き止まりの向こうに耳を傾ける。
そこは、丁度頭の高さに25センチ真っ角のガラスの小窓が付いた両開きの扉に見えた。
扉に見えるが取手の類は一切無く、ガラスの小窓は茶色く曇って向こうが見えない。
「構造的にはそんなに厚みは無さそうだが」
扉に触れるか触れないかといった絶妙な距離感でパントマイムのように両手を走らせて調べ続ける。
ネジン少年が、困ったような顔でベルナンの後ろ姿に声をかけた。
「それで、どうなのでしょう? ここが終点でしょうか?」
「そんなわけないだろう。それだったら、この遺跡を発見した調査班は何故手ぶらで帰ってきてお前に知らせたんだ?」
「ぼくがヒアキンスの一族だから、では?」
「お前にやるだけやらせて、利用価値があるかどうか調べるためだろ。価値がなきゃあそれでいい。価値があるなら、知識のある貴族様か研究者に爵位を与えて土地を引き継がせる。そして大概、その役割を与えられるのはヒアキンスの一族じゃないって事だ」
一通り調べ終えて扉と壁の接合部の観察に移り舐めるように視線を巡らせ、上を覗き込んだり屈んだりを繰り返す。
「今回、お前に軍資金を与えてまで調査に来させたのは、元々研究を進めていたヒアキンス家の知識をお前が所有していたからだろう。冒険者を同行させれば、万が一お前が死んだとしても、一定の成果物を得る事は出来る。本格的な調査隊を送るのはその後。つまりは俺達は価値を測る為の先遣隊って事さ」
ベルナンの講釈を聞いて、しかしネジン少年は疲れたような笑みを浮かべるだけで絶望したり怒り狂うような無様な真似はしなかった。
代わりに、やはり疲れた声でしたたかに言う。
「当然ですね。ジョスファン・ヒアキンスの作り出した怨霊を閉じ込める魔法の鏡を始めとして、トーナ王国にとって危険な成果物しか上がっていないのですから。ジョスファンが愛用していた生人形は破壊され、他の生人形と思しきタンスに仕舞われていたパーツはコアを持った個体は無く王国にとって利益の無い廃墟でしかありませんでしたから」
カバンを持ち直して天井を見上げるネジン少年。
「ですが、これはチャンスなんです。僕に監視は付けられていませんから、ここで発見した知識は僕が独占してしまえばいい。どうせ今の王国に古代文明の知識が理解出来る者はいませんから、如何様にも報告出来ます。無価値であると判断させれば良いだけです」
「それでお前は、この遺跡を独占しようって魂胆か。バレたら反逆罪で投獄されるな」
「そこは僕も研究者の端くれですから。上手く切り抜けますよ」
「逞しい事だな」すっと立ち上がり、姿勢正しく一行に振り返る「所で、罠らしい形跡は無かったがご覧の通り開け方はさっぱりだ。どうする、蹴破るか? 魔法で吹き飛ばすか?」
「散々待たせといてソレかーい!」
レナのツッコミが入る。
そして意気揚々と扉に突撃しそうになってジェリスニーアに肩を掴まれて制止された。
「おやめくださいレナお嬢様。扉の向こうに何らかの存在を感知いたしました。IFF《敵味方識別》無し。未知の何かです」
「アンデッドなら問題ないっしょ、ゾンビとかスケルトンなんか」
「そうとも限りません」
アミナが法衣の首元に右手を突っ込んで胸の谷間から直径5センチのメダリオンペンダントを取り出すと、その銀製のメダリオンを両手で握りしめた。
「怨念も不浄な魔力も感じません。少なくともレイスなどの恐怖のアンデッドでは無いでしょうが、アンデッドでは無いと言う事。でしたら、ジェリスニーアが同類と感知できないその存在とは一体なんでしょう?」
「んー・・・? わかんないけど、虎穴に入らずんば虎子を得ずっていうじゃん? ここでぼーっとしててもしょうがないよね?」
「まぁ、今回はアンタが正しいわレナ。と言う事で、先頭はレナ、ベルナンはバックアップ。私も続くわ。ジェリスニーアはネジン君とアミナを守って」
「やったね!」
「了解だ」
「賜りました」
各々の返答。
そして、ジェリスニーアから解放されたレナが不用意に扉に突撃してベルナンが慌てる。
「おい、扉壊すなら・・・!」
蹴破るかタックルするかしろよと言いかけて、レナが両手で扉の中程よりやや上に貼り付けられていた銀色の四角に両手を押し当てて軽く体重を乗せると、隙間無く壁に嵌め込まれていたはずの扉が軽々と観音に開かれ、レナの身体が観音扉の向こうに吸い込まれるように進んで行く。
呆気に取られるフラニーとベルナン。
「え、こんな簡単に開いちゃうものなの?」
「おいおい、俺の苦労は一体・・・」
ジェリスニーアが姿勢正しく直立したまま慰めるように言った。
「現在では失われた技術で作られた設備ですから、解らなくて当然です。それよりも、先に進むべきでは? レナお嬢様を野放しにするとどこまでも歩いていってしまいますよ?」
「「困ったお嬢ちゃんだ」
ですこと」
(あったりぃ〜! どう見ても病院とかで使われてる双方向の観音扉だったしね。まーこの世界の住民にゃあ分かんなくて当然か!)
後ろからみんなが遅れず着いて来ていると思い込んで相変わらず真っ直ぐ続く廊下を突き進んで行く。
そして二枚目の観音扉に突き当たり、警戒心も無く潜ってしまい後悔した。
扉が閉まるや光源を失い、真っ暗闇に放り込まれてしまったからだ。
「ひえ!? あ、あれ!? そういえば薄暗かったような、ねえ、ジェリスニーア、明かり! 明かりどうしたのよ!?」
振り向く。
観音扉の汚れた小さなアクリル窓の向こうにぼんやりとジェリスニーアが展開した光源が見える。
誰一人着いて来てなかった。
「なんでよ!?」
憤るレナ。
不意に、壁に5メートル間隔で淡い青白い炎が灯り、広い室内に10メートル置きに建てられたコンクリート製に見える2メートル程度の太さの柱が規則正しく並び、その柱にも光源が灯ってフラッと部屋の中程まで引き寄せられるように進んでしまう。
「え・・・、広っ! 駐車場・・・?」
一見して広さを感じ取れない無機質な部屋。
大型商業施設の立体駐車場のようだ。
大型のバンタイプに似た車両や軽バンタイプの車両が点在して、淡い青白い光の灯るのは、経年劣化で破れたのか破損した柱に据え付け型の街灯、そして壁の光を失った蛍光灯。
「えええええ、何なに!? ロスファンに現代っぽいマップとか世界観ぶち壊しなんですけど!」
両手で頭を抱えて、周囲を見渡すように反時計回りに数回、回って辺りを確認するレナ。
そして駐車場の西面の壁際、指揮戦闘車両のようなこの中で一番大きな車両の正面に、どう見ても合成樹脂製のプロテクターに軍用ヘルメットを装着した両手剣を両手に下段に構える五人の人影を見つけ、開かれたバイザーの中に覗く顔は骸骨そのもので窪んだ眼球の奥にオレンジ色のLED電球のような輝きを認めて後退る。
「・・・スケルトン・・・?」
一斉に両手剣が「八相」に構えられ、謎の骸骨頭兵士達が重々しく「右足から」一歩を踏み出した。
一歩、二歩、三歩、四歩。
「ちょちょちょ、み、みんなどこ行った!? まだ来ないの!?」
五歩・・・。
そして一斉に駆け出してアンデッド、スケルトンとは思えない滑らかな動きで距離を詰めて来て、レナは流石に慌てて腰の刀を抜刀して正眼に腰を落として構えて数歩後退った。
「まじまじまじマジまじ!? 何なに何なに何!!」
取り囲まれる! という一瞬、間一髪で駆けつけたベルナンとフラニーの刃が踊り、骸骨頭兵士達は訓練された軍人の動きで突撃を中断して五歩下がり、一行を半包囲するように孤に等間隔に距離を取った。
「レナ、平気か!?」
「んなわけあるか! なんで着いて来てないのよ!?」
「アンタが後先考えず猪突猛進するからでしょうが。少しは周りを見なさい!」
「あーもーたくもー! どうすんのよコレ!」
「全く、慎重に行きたかったってのに・・・。戦うしかないでしょ、どう見たって話が通じそうに見えないんだから」
「ですよね・・・」
涙目に怖気付くレナ。
ベルナンが顔だけ振り向いて言った。
「行けるのかい、お嬢ちゃん」
「は!? 舐めんなし! やるし! 出来るし!?」
「そんじゃあ、反撃しつつ通路側に撤退だ。囲まれたらまずい気がする」
フラニーもグラスレイピアの切先を代わる代わる敵に向けて同意した。
「見たこともない敵だものね。動きからして絶対にスケルトンじゃないし。小回りの利く私が中央、ベルナンは左、レナは右! 反撃しつつ下がるわよ!?」
「了解だ!」
「わ、わかったよ!」
隊列を組んで構えたまま後退を始めるレナ達に、二体、入れ替わるように三体と交互に攻撃を仕掛けてくる正体不明の兵士達。
(前衛を固定しない、なんで!? というか、戦いにくい! ヒットアンドアウェイってやつ!? 下がりながらだと全然刃が届かない・・・考えて攻めて来てる? 何なのほんとコイツら!?)
個々がレベル3より上と思わせる熟達した動きに、レナの刀は当然のことベルナンの長剣も、フラニーのグラスレイピアも敵に届かず繰り出されてくる両手剣を捌くのに必死だ。
これが本物の戦闘。これが本当の実戦だと、以前戦ったゾンビの大群など足元にも及ばない一撃が死を思わせる本物の戦士との対峙に、レナはこれまでの遊び心は吹き飛び、泣きそうになっていた。
(こうじゃない・・・こうじゃないよ・・・。ロスファンの戦闘はこんな怖く無かった! ゲームじゃない、ゲームじゃないんだ。・・・セージ・・・!)
知らず遠く彼女を冒険者として送り出してくれた巨躯の男性を想う。
今は、あの最強レベルの戦士は助けてくれない。
自分達で切り抜けなければ。
レナにとって、本当の意味での初戦闘は、生優しいチュートリアルとは程遠い厳しい戦いになりそうだった。




