結成、勇者パーティ、その3
コラキアから北に徒歩で数時間といった距離に、川からさほど離れていない名もない集落があった。
頑丈な丸太の防壁に囲まれた小振りな砦を持つ、セージ・ニコラーエフが騎士として赴任した名もなき砦村。
レナ達が陽も登らない早朝にコラキアへ立ってから時は過ぎ、心地の良い朝日が砦の南に乱雑に立てられたテント群を照らし、村人達の半数が川に向かって歩いて行く。
その手には、木材から切り出して作った簡易的な剣スコップや、やはり全木製のクワが握られており、何かしらの作業に向かうのだというのは誰の目にも明らかだ。
砦の城門が分厚い木材で組まれた格子門が太いロープでギリギリと引きずり上げられて行き、黒い毛皮鎧の上にやはり黒い鎖帷子を重ね着した、鞣革の腰までの丈のマントを羽織り左腰に長剣をカラビナで吊るした巨漢の戦士が三人徒歩で砦の外へと姿を現す。
砦の守備兵である黒騎兵の長、セージ・ニコラーエフと、彼の二人の副官ウルベクとヤヌークである。
セージを先頭に、ウルベクとヤヌークはやや後方を左右に分かれて追従してテントの間を進むと、集落を守る兵隊の長たる騎士セージとその副官二人の姿を認めて集落に残っていた者達がすれ違いざまに明るく声を上げて手を振って来た。
「騎士様!」
「サー・セージ・ニコラーエフ!!」
「騎士様!」
「騎士様ー!」
彼等の声に、戦傷の痛々しい強面に若干の困惑の色を浮かべつつも不器用ながら笑顔を作って力強く頷いて応えるセージ。
ウルベクがやれやれとため息を吐いて言った。
「同志セージ。人気者ですね」
「皮肉かウルベク」
セージが苛立たしげに目を細めて顔を半分振り向かせると、ウルベクは困ったように笑って肩をすくめて見せる。
「滅相もありません! しかし、帝国では力の象徴として市民との繋がりを極力絶ってこられた同志が、民草に寄り添うようになるとは。変わられましたね」
変わったといえばそうなのだろう。
セージという凶暴だった戦士は最恐の人喰い熊ガランジャとの戦いで死ぬ目に遭い、同時刻に異世界の日本で震災事故で命を落とした大槻誠司の魂がこの世界に転移してきたのに融合して命を取り留めたのだから。
そして今は、大槻誠司の精神の方にその魂は偏り、かつての粗暴さはかなり抑えられているのだから。
セージは足元に駆け寄ってきた幼女が一輪の青い花を差し出してきたのに跪き、右手でそっと受け取ると左手で頭を撫でてやった。
「くれるのか」
「うん! きしさまのおせなかの光といっしょ!」
「そうか。同じ色か」
くしゃくしゃと少し力を入れて撫でると満面の笑みを浮かべて声を出して笑う幼女。
母親が思う所があったのか駆け寄ってきて両膝をついて頭を垂れて来た。
「騎士様申し訳御座いません! 娘がご無礼を!!」
「構わん。俺のオーラが見えるという」
「はっ!?」
何を言われたか分からず、頭を上げて畏怖の目でセージの顔色を伺う母親に、セージは努めて表情を無くして言った。
「魔法の才があるのかも知れん。スクーラッハ寺院の神官長と懇意にしている。その気があるなら、修道士になれるよう口添えしてやる。どう育てるかは、貴様次第だが、大切にしてやれ」
「は、はい! ありがとうございます!!」
幼女を抱き寄せて深々と頭を下げる母親に頷いて巡回を再開するセージ。
ウルベクとヤヌークが続き、ウルベクは少し心配そうにセージの背中に声をかけた。
「同志セージ・ニコラーエフ。あの家族が気になりますか」
「気になるかといえば、全ての村民だな。あの未亡人達の半数は、先の戦で俺が命を刈り取った兵士の妻達だ」
「同志の寝首を掻くというのならば、」
「そうじゃない」
セージは青空を見上げて眩しそうに目を細めて溜息を吐いた。
「責任は感じている」
「ですが、攻めてきたのは彼等の選択です」
「敵対的な亜人共ではないのだ。せめて手元にやって来た者達の面倒は見なくてはな。全く、爵位など貰うものではないな」
物悲しそうに語るセージに、ウルベクとヤヌークは、かつての、ナターリア皇女を守るために手段を選ばなかったセージが今まで見せた事のない心を見て複雑な顔を見合わせる。
彼を、セージ・ニコラーエフをここまで変えたのは、最近結婚したというアニアスか、それともコラキアでずっと寄り添っていたというハーピーのラーラか。
集落の端まで歩いたセージが川の方に視線を向けて、川から引いた用水路に隣接するように男手が耕している田畑を見て物思いに耽っている横顔に、はたしてこのまま従っていいものか不安を覚える。
そんな彼等の気持ちを察してか、セージは静かに言った。
「戦ではよく、俺に従い戦ってくれた。だが、もうお前達も黒騎兵というわけでもない。他にも道はあるだろう」
セージがウルベクの心情に気付いてか、西に見える山の森の稜線を遠く眺めながら言う。
ウルベクは抱いた不安を見抜かれたような気がして恥じるように少し俯くと、一度頭を上げて右手を腹に当て、腰を折るようにセージの背中にお辞儀をして見せた。
「サーラーナの巫女を護らんとする善竜、同志セージ・ニコラーエフ。我らの剣は既に掲げた通りです。お供致します」
ウルベクの決意を聞かされて、フッと寂しげなため息を吐くセージ。
ウルベクとヤヌークが顔を見合わせて彼の大きな背中を怪訝そうに見ると、セージは背を向けたまま語った。
「お前達が俺に従う必要は無いと俺は言った。理由があっての事だ」
「理由? どう言った事です。同志セージ・ニコラーエフ」
「いい加減その呼び方はよせ。肩が凝る。セージでいい」
「は、あ・・・。では、サー・セージ。いかなる理由があるというのですか」
「ん。俺はな。一度死んでいるのだ」
セージが一度命を落としている。
そのような事を聞かされて、ウルベクは再び不信感を抱いてしまう。ヤヌークも同じだったらしく二人は眉根を寄せて顔を見合わせた。
続けるセージ。
「ガランジャと呼ばれる人喰い熊がいてな。ある日山を歩いていた修道士の少女がその巨躯の熊に襲われているのをガラにもなく助けて、深手を負ったらしい。その傷が元で、俺は一度命を落としたようだが、別の世界の俺の命を取り込み、融合して一命を取り留めたんだそうだ。スクーラッハ寺院の神官殿に聞かされた話だがな」
「まさか・・・エルフ族に言い伝えがあると聞き及んでおります。異界転生というやつですか」
「そうなんだろうな。今の俺にはその世界の記憶もある。ただ二つの記憶が混在した後遺症で、幾つかの事柄を忘却してもいる」
「そのような事が、事実だと?」
「信じる信じないはこの際どうでもいい。ただ、俺はお前達の知る、黒騎兵セージ・ニコラーエフではないという事だ。だからよく考えて決めてもらいたい」
三度ウルベクとヤヌークが視線を交わし合う。
二人はセージの背中に向かってその場に跪くと、頭を垂れてしっかりとした口調で言った。
「同志セージ・ニコラーエフ。かつての貴方は武力を示し、恐怖で周囲に威光を示して居られた」
「しかし力が支配する帝国にいれば無理からぬ事でしょうよ」
「今、貴方は民草に寄り添おうとしておられる」
「棄民されて行き場を無くした者達を導くのは、そりゃあ辛いでしょうよ」
「ですが、我らは今の貴方のその姿勢にこそ、天神サーラーナの巫女にふさわしい男であろうとする証であろうと思い至りました」
「武力だけが、人を導く道標じゃねえって事です。そりゃあ昔のあんたの方が頼り甲斐はあったが、今は本当の意味で同志になれると思ってるんですぜ」
「今更、他人行儀な事を言わないでください。私は確かに不安を抱きました。それは恥じる所です。どうか共に戦わせてください、サー・セージ・ニコラーエフ」
セージはゆるりと振り向くと、跪く二人に深々と礼をして見せた。
「ありがとう・・・。共にこの地を、民を、サーラーナの巫女を護ってくれ」
「「御意のままに」」
つと、ウルベクが顔を上げて心配そうな目で控えめに言う。
「ですが、同志。どうか異界転生の話はあまりなさらないで下さい」
「うむ。近しい者にしかしないようにしている。俺は嘘を吐くのも人を騙すのも苦手だからな」
「自分達を信頼して打ち明けてくれたと嬉しくも思いますが、エルフ族に伝わる伝承です。快く思わない者もいれば、サーの信頼を損ねる事もあり得ますので」
「そうか・・・」
セージは腕組みをすると少し思案して、ウルベク向き直って少し頭を下げた。
「気を付けよう。これ以上は努めて話さないようにする」
「はっ・・・」
「所で」
再び深くお辞儀をするウルベクとは対照的に、ヤヌークが身を起して歪んだ笑みを口元に浮かべて遠く南の街道を目を細めて眺めながら一歩前に出る。
「騎馬が一騎、向かって来ますね。同志の養女じゃないですかい」
「レナが?」
のそりとセージも街道の方に向き直ると、灰色の馬に跨った、ダブレットの上に革の胴当てを着用した、左腰のベルトに刃を上向きに刀を差した少女が軽快な足取りでやって来るのが見えてフンと鼻から息を吐く。
「ギルドの馬なんぞに乗りやがって。タダじゃないんだぞ」
「なんか、メイドっぽい娘も隣を走ってますが? アレ、コラキアからずっと騎馬に並走して来たんですかね」
「ジェリスニーアめ・・・。悪目立ちしやがって・・・」
頭を抱えるセージ。
頭上から三人の少女の声が響いた。
『おねえちゃ〜!』
『レナねーちゃー!』
『ねーちゃー!』
見上げると、三匹のハーピーの少女達が街道を外れて集落に真っ直ぐやって来るレナに向かって飛翔して行くのが見えてセージが声を上げる。
「おい、お前ら! コラキアの中じゃないんだ、不用意に外を飛ぶんじゃない!」
『『『はーい!!』』』
答えておいて解っていないのか、レナに向かって飛び去っていく。
『『『おねえちゃー!』』』
馬上で笑顔で手を振っているらしいレナ。
セージは舌打ちすると木々の少ない開けた土地を見渡して、通りすがりの冒険者に狙われないかと気が気ではない。
魔物相手だというのにその父親ぶりに、ウルベクとヤヌークは微笑ましそうにその大きな背中を見つめていた。