ラーゲの戦い、その4
ロストー率いるベイルン伯爵軍騎兵隊が丘を駆ける。
途中、焼き払われたキャンプを通りかかり、大半が焼け死に、いくつかの人影が重度の火傷を負いながらも蠢いているのが目の端に入りさしものロストーも吐き気を催さずにはいられなかったがどうにか耐えて務めて前を見据えて騎馬を走らせた。
騎兵隊に気付いて助けを求めるようにのろのろと手を上げる人影が見えたが、あえて声を上げる。
「捨ておけ! 今は奇襲を受けている歩兵部隊を掩護するのが最優先事項だ。前を見よ!」
焼かれたキャンプの惨状に視線を奪われそうになった騎兵隊だったが、ロストーの声につとめてキャンプの惨状を無視して真っ直ぐに進路を取った。
丘の向こうから怪音と悲鳴が続いている。
「サー・ロストー! 丘を抜けます!」
左後方を走っていた副官の声が響き、下り坂に差し掛かった時、怪音も悲鳴も止んでいた。
眼下に見えるのは街道を外れて西に移動した、ほとんどが地に倒れ壊滅した歩兵部隊。
(五百人だぞ・・・。五百の歩兵が、十分も立たずに壊滅だと!?)
急ぎ、壊滅した歩兵部隊の救護に馬を走らせる中で、街道の西に歪なラインを見つけ、それが塹壕だとすぐさま見抜いたロストーだったが塹壕が歩兵の隠れ場所としか認識の無い彼は友軍の救出に着手しようとする。
「全隊! 生き残った歩兵を集め急ぎ本陣へ戻るぞ、ついてこい!」
「「「「「はっ!」」」」」
直ちに丘を駆け下りて街道を渡り、壊滅した歩兵部隊の元へ。
「ロ、ロストー様・・・!」
「皆、耐えよ! 我ら騎兵隊が掩護する、本陣へ急ぎ戻るのだ!」
弱々しい足取りで南下し始めようとした部隊に対して、塹壕から再び矢弾の攻撃が再開される。
何発かは騎馬隊に襲い掛かり、馬達が驚き隊伍が崩れそうになるがすかさずロストーが叫んで騎兵達を鼓舞した。
「敵の攻撃は散発的だ! 数は少ない! 歩兵たちを守るぞ塹壕に突撃! 槍の陣形!」
「「「「「オー!!」」」」」
ロストーを中心に三角形に陣形を素早く整え、退路の脅威となる塹壕の南端目指して突撃が開始された。
セージは敵の騎兵隊の動きが良いことに不謹慎にも安堵を覚えていた。
(敵にも戦場を知る者は少なからずいるという事か。退路を確保するために盾になるその心意気は買うが・・・)
「騎兵隊に攻撃を集中しろ。敵の精鋭をここで叩く!」
セージのいる三号特殊塹壕から南端の五号特殊塹壕までが騎兵隊に火力を集中するが、騎兵隊の突進力は衰えない。
まもなく五号特殊塹壕に迫るかというところで、
「騎兵隊です!」
後方、森の中。
ガッシュ率いる本部部隊の観測員が声を上げた。
ガッシュも望遠鏡を覗いて戦況を見ており、大弩弓隊を振り向き右手を振り上げる。
「残存兵力を下げるつもりだ。全大弩弓方位修正! 特殊塹壕、五号前方に照準を合わせ!」
「方位修正、五号特殊塹壕!」
格大弩弓の観測員が台座の方向を支持して十台の大弩弓が砲口を向ける。
「矢弾装填ー!!」
「「「「「オー!」」」」」
大弩弓の台尻に設置された取っ手付きのハンドルを左右に別れ、前後に一人ずつ四人がかりで巻き上げると矢台に組み込まれたチェーンが回って大きな弓が絞られていく。
止め金具まで引き絞られて、金属音を立てて弦が固定されると、矢弾補充要員が素早く長剣ほどもある大きな矢弾を装填し、砲撃主が台尻に取り付いて砲口を天に向かって傾けた。
「角度補正、マイナス!」
観測員が右手を上げて掌を開き、指を四本立てる。
一斉に大弩弓の砲口がやや下方に傾き、望遠鏡を覗く観測員が素早くその手を振り下ろした。
一斉に放たれる大きな矢弾。
甲高い笛のような独特の音で矢弾の羽が空を切り、天に向かって撃ち出され、それは限界まで上がると放物線を描いて落ちていく。
その先は、五号特殊塹壕の正面からやや東に外れた位置だった。
ピューーーーーン
怪音が空から落ちて来る。
突撃態勢で馬上槍を構えて駆けるロストー率いる騎兵隊は、それの正体が解らず無視して突撃を敢行していたが、突如炸裂する矢弾が騎兵隊中央に次々に着弾して騎馬が、騎兵が傷付き、馬は暴れ、兵がその背から振り落とされていく。
五分の一の兵が振り落とされたが、残る騎兵は騎馬を手綱で巧みに操り落馬を免れるが、第二射、第三射が着弾するとさすがに半数が落馬してしまい突撃力は止められてしまった。
「く、何の攻撃だ!?」
ロストーもたまらず落馬し、しかしすかさず立ち上がって馬上槍を捨て左腰の長剣を抜刀した所に塹壕から弓が射かけられ、すんでの所で長剣を鋭く振り切って飛来した矢弾を斬り落とす。
「おのれ卑劣なり! 奇策で戦う事しか出来ぬか恥を知れ!」
返答は矢弾の四斉射。
これも斬り落としたロストーが怒りに任せて声を荒らげた。
「卑劣極まりないぞ! 臆したか! そうでないのであれば私と一騎打ちしろ、エッソス男爵軍の将はいずこにいるか!?」
「一騎打ちだそうです。前時代的ですね総隊長」
「ロレンシア帝国とは戦の内容が違うのだ。察してやれ」
「ですが、どうなさいますか。総隊長」
黒騎兵達が射撃を中断してセージの顔色を伺う。
セージはギッと鋭い目付きで声を上げた敵将を見て大きく一歩踏み出した。
「そろそろ、黒騎兵本来の戦いを見せようか」
「「「「「おお!」」」」」
歓喜の声を上げる黒騎兵達。
彼等の本分は白兵戦にある。
左腰に下げた対鎧用の武器、鋼のみで作られた長柄の戦槌を一斉に抜刀して直立不動の姿勢でセージに正対した。
セージが一つ力強く頷いて歩み出すと、黒騎兵達は悠然とそれに従い歩いていく。
塹壕を進み、四号、五号の黒騎兵達もそれに続いて南の端の斜面から地上へと姿を現すのだった。
塹壕の南端から続々と姿を現す黒一色の兵士達。
「黒い鉄兜に、黒い鎧・・・。噂に聞く黒騎兵という奴らか」
ロストーが吐き捨てるように口にして敵の中でも異様に大きな体躯の戦士を睨みつけた。
しっかりと両足で大地を踏みしめ、長剣を両手で正眼に構え名乗りを上げた。
「我が名は騎士ロストー! ベイルン伯爵家の騎士にして、総指揮を任された将である! 貴殿らの将に一騎打ちを申し込む!」
最も大きな体躯の戦士が前に出て獣のような鋭い視線でロストーの目を見据えて言った。
「俺の名はエッソス家準騎士にして黒騎兵、セージ。貴様らの道楽に付き合う道理はない」
「何だと・・・。騎馬を失ったとて、未だ我らの方が戦力は上なのだぞ!」
「不利だと思ったから一騎打ちだなどと抜かしたのだろう?」
「な、に・・・!」
「ようはこちらの優位は変わらんという事だ」
塹壕から出た黒騎兵の数はセージを入れて十三人。
対してロストー率いる兵の数は未だ百五十人は健在だった。
だというのに黒騎兵達は動じた様子が全くない。
(不気味な・・・)
だが、家族のために負けるわけにはいかない。
長剣を構えてジリと距離を詰めるロストー。
セージは左腰に下げた戦槌ではなく、背中にベルトで背負った素剣を抜刀する。
「いざ、一騎打ちと参ろうか・・・!」
意気込むロストー。
しかし、セージは素剣の切先をすっとベイルン兵に向けて短く言った。
「殲滅せい!!」
「「「「「うおおお!!」」」」」
一斉に駆け出す黒騎兵達。
「な、なっ!?」
ロストーの脇をすり抜けて呆気にとられるベイルン兵に次々に襲い掛かった。
未だ正攻法が抜けないベイルン兵は一騎打ちが成立したと勝手に思い込んでしまったのだ。
慌てて反撃に移るも、彼らの長剣は容易く黒騎兵達の戦槌で叩き折られて、あるいは叩き落されて反撃の力を削がれ、頭部に、胸部に、戦槌が叩き込まれて頭蓋を割られ、肋骨を折られ、腕を脚を折られて数を減らしていく。
「せ、戦争は、数なのだぞ・・・!」
「力が拮抗していればそうだろうな」
地獄を見せられているかのように狼狽えるロストーにセージが無情に言った。
「同じ土俵であれば、俺達とてこんな無茶な戦いはせんがな。貴様らは弱すぎる」
「なにい!?」
「死ぬ覚悟もなく、殺す覚悟もなく、よくも我らの前に立った」
「死・・・殺す・・・?」
「貴様らは戦争を何だと思っていたのだ・・・?」
一歩、また一歩とセージが距離を詰めて来る。
幾度かの戦の経験はあるつもりだったロストーは、初めて相手にしていた敵を知った。
(ああ・・・そうか・・・。これが黒騎兵。我が国の戦士ではかなわぬわけだ・・・)
「だが・・・!」
勇気を振り絞ってロストーが長剣を右に小脇に構え、刺突せんと突進した。
「私にも家族がいる。待つ者が。守る者が! 貴様ごときに!!」
「奇遇だな。俺にも妻と子がいる」
鋭く突き出された剣の一撃を、一回り短い剣で切先を叩いて軌道を逸らすセージ。
弾かれた勢いで弧を描いて斬撃を繰り出すロストー。
素剣の腹で斬撃を受け止め、一歩前に出つつさらに外に長剣を弾き勢いそのままにセージの剣がロストーの首筋に吸い込まれた。
「むっ、ぐぬ!?」
パッとロストーの喉元が割れて血が噴き出す。
「ぬ・・・ぐ・・・くぬ・・・」
血反吐を吐きながら白黒する目で左手で傷口を抑えるも、半分切り裂かれた喉から溢れ出る血は止まらず、やがてロストーは視界を失い、右膝を、左膝を地に着いて天を仰いだ。
(オレア・・・。すまぬ・・・。私は、道を誤った・・・)
ゆっくりと前のめりに崩れ落ちていく。
(私は・・・伯爵閣下をお止めすべきだった・・・。上には、上がいるものだなぁ・・・)
ドッと、瞳から光を失ったロストーの身体が大地にうつ伏せた。
悠然と敵将が、セージが彼の頭を見下ろして来る。
(オレア・・・愛していた・・・許して・・・くれ・・・)
ベイルン伯爵軍総指揮官、ロストー・ヘインウィグ。
ラーゲ草原において討ち死にす。
黒騎兵による圧倒的な暴力の前に、精鋭と謳われた騎兵隊はその機動力を奪われ、そして悉くが打ち取られ戦線は決しようとしていた。
返り血を浴びて黒く光る毛皮鎧をそのままに一人の黒騎兵がセージの元に礼をする。
「首を撥ねますか、総隊長」
「戦死者の亡骸を汚すような蛮行をするのか?」
「いえ、我々は、黒騎兵です」
「そうだ。俺達は死者を辱める真似はしない。生者は殺してもな」
「はっ」
「全黒騎兵を招集。大盾を用意。狼煙を上げろ。仕上げにいくぞ」
「はっ!」