ラーゲの戦い、その1
深夜、遥か遠く稜線に日光の兆しが見え始める頃。
バレイロス平原に接する未開の森の北。ラーゲ草原も遠く見える茂みに潜むエッソス家騎兵百騎、突撃軽歩兵百人が仮眠を終えて動き出す。
「起床」
「総員起床」
「起床っ」
「物音を立てるな」
「起床」
「戦闘準備」
そこかしこで小声で相互に声を掛け合い、戦いに向けて装備の点検が始まる。
速射弓の弓の弦を、矢弾装弾機構のレバーを、矢弾弾倉の不具合がないかを順次確認する随伴の突撃軽歩兵達。
愛馬に寄り添い、馬具の点検を行い、身に付けた鉄兜、胸当て、籠手、草摺、具足の留め具に緩みがないかを隣り合った相互に点検し、背中に凧盾を背負い、ベルトの左腰のカラビナに長剣を吊り下げ、馬上戦用の斧槍を右手にずしりと握りしめて垂直に地面に突き立てる。
整然と戦支度を整え、騎士メレイナはぐるりと兵達を見渡すと早朝の森の静けさの中凛と透き通った声で命じた。
「戦の時は近い。合図の狼煙を待って敵陣の背後を突く」
副官のハルトベーンを振り向く。
「装具の点検はどうか」
ハルトベーンは一つ頷くと、一同をぐるりと見渡して言った。
「点検報告っ」
「騎兵第一分隊、良好」
「騎兵第二分隊、良好」
「騎兵第三分隊、良好」
「突撃兵第一班、良好」
「二班、良好」
「三班、同じく良好」
「四班、良好」
「五班、良好」
「総員、点検完了。いつでも出られます」
「よろしい。総員休め。狼煙が見えたら戦闘開始だ」
「「「「「はっ」」」」」
各隊長、そしてハルトベーンからの報告を受けて、メレイナは力強く頷き敵が焚いていると思われる篝火の灯りを遠く見て鉄兜を被り直した。
ハルトベーンにやや振り向き、呟く。
「心配をかけた」
「いえ、心中、お察しします」
「父上は優秀な騎兵だった。私を騎士に育ててくれるほどにはな」
「存じております。兵達も、サーと同じ気持ちです。必ず仇を討ちましょう」
「ありがとう・・・」
丘の上のキャンプ。
人気の無い中、五人の黒騎兵がテントの影に隠れるように南の麓に敷かれた敵の陣地を静かに見下ろしている。
キャンプの丘西側、街道を挟んで数百メートル離れた木の蓋に土を被せてカモフラージュされた塹壕型の特殊陣地が五基、互いに塹壕帯で連結されて南北に100メートル伸びている。
それぞれに四人ずつ黒騎兵が隠れ、弓を一回り大きく改良された速射弓を壁に立てかけて休息を取り、各特殊陣地に一人は望遠鏡を覗き込んで外の様子を窺っていた。
それぞれに特殊陣地を回って、中央の陣地にセージは入ると監視員の右肩を軽く叩いて労う。
「どうだ」
「はっ、総隊長。敵陣に今のところ動きはありません」
「そろそろ日が昇るな」
「動くでしょうか」
「北部ならすでに仕掛けられていただろうが。トーナ王国の戦争というのは随分とのんびりしているものだな」
「全くです。緊張感がない。・・・あ、動くようです」
監視員が望遠鏡に集中し、セージにも肉眼でそれらしい動きが見て取れた。
歩兵のような軍勢が丘の上のキャンプを目指して行軍して行くのが見える。
「重歩兵のようです」
「馬止めがあれば、まずは出方を見てからということか」
「好都合ですね」
「こちらを侮ってくれているということさ。どれほど損害を与えられるかによるが」
セージは悠然と行軍していく敵重装歩兵部隊を遠く見つめて、奥歯を噛み締めた。
設置した罠は単調だ。分かる者が見ればすぐに看破されてしまうような罠だ。
上手く機能するのを祈るだけだった。
早朝、ベイルン伯爵軍キャンプ。
高らかに起床を促すラッパが鳴らされた。
プーッ、パーパパー!
日もまだ指さぬ時間に、仮眠を取っていた兵士達がゆるゆると起き出して戦支度を始める。
朝一番で攻撃を仕掛けるにしては緊張感がないのは、エッソス軍の総戦力がどう見積もっても五百人に満たないと言われていたからだ。
ベイルン軍は三千。赤子をひねるより簡単に戦争は終わるだろう。
誰もがそう思い、緩やかに、しかし的確に支度が整えられ、そして第一陣となる重装歩兵五百人が十列縦隊に隊伍を組んで丘の上を見上げていた。
ベイルン伯爵軍キャンプ中央。本陣。
テーブルを前に大股に椅子に座るファーレン・ベイルン伯爵の前に戦斧の騎士ネリジェ、双剣の騎士ジェフリー、朴訥な騎士ロストーの三人の騎士が整列し、ジェフリーが一歩前に進み出て言った。
「伯爵閣下、まずは俺が行きます。功は焦らねば取れませんからね」
「私はロストーに行かせるつもりでいたのだが。一番槍を取りたいというのだな」
「当然です閣下! 派手に敵を屠ってきますよ」
うっすらと笑みを浮かべて、ファーレンはロストーを見るとロストーはゆっくりと深く頷き返す。
ネリジェが笑顔で両手を広げて言った。
「弟はベイルン家一の剣の使い手です。惰弱なエッソス家の兵士など、足元にも及びません! 必ず奴らに恐怖というものを与えてくれるでしょう」
「いいだろう。ジェフリー、一番槍を任せる。丘の上の忌々しい陣地を蹂躙してこい」
「承知仕りました!」
深々と、わざとらしいほど大きな仕草で儀礼式の礼をして踵を返してテントを後にするジェフリー。
すぐに周囲に大きな声で命を飛ばした。
「重装歩兵隊っ、出撃準備! 騎兵第一、第二戦隊は後ろからついて来い! アリを潰すより簡単な仕事だがっ、速攻でケリをつけるぞ!」
ジェフリーは愛馬に跨ると出撃の時を待つ重装歩兵隊の先頭に立ち、騎兵隊が慌ただしく隊伍を組むのを尻目に檄を飛ばした。
「行くぞテメェら! エッソス家の弱小兵どもを蹴散らすぞー!」
「「「「「オーッ、オーッ、オーーーーーッ!!」」」」」
長剣を抜刀して全身甲冑に身を包んだ兵士達が天高く武器を振り上げ鬨の声を上げる。
悠然と歩き出すジェフリーの騎馬に従い、規律正しく行軍を始める五百人の重装歩兵の立てる足音は重く、丘の上にまで響き渡るほどだった。