追撃の黒き闘犬、その8
アニアスは黒毛の大馬に跨り、街道を北に疾走する。
背後には彼女の腰に大きな翼で抱きつくハーピーのラーラが身体が触れるか触れないかといった微妙な距離を置いて同じく馬に跨っている。
そして、駆ける馬のやや前方右側には上体を斜めに低く倒して高速で駆けるメイド服の少女、生人形のジェリスニーアが緑色の髪のローツインテールを風になびかせていた。
かなりの距離を走って、アニアスが急に手綱を緩めて緩やかに減速し始めると、ジェリスニーアもまた減速してランニングしながら馬上の女性を見上げて言った。
「アニアス嬢、どうなさったのです。レナ様達も向かっているとはいえ、もう数分は走らなくてはなりません」
軽快に馬を走らせながら、不機嫌そうにアニアスが顔をしかめた。
「向かってるなら勝手に合流するでしょうが。かなりの距離を稼いだわ。ここでセージを待つつもりなんだけど」
「気持ちは分かるけど、急ぎましょう」
背後のハーピーが優しげに、しかし少しトゲのある声色で言う。
「気持ちは私も同じよ。でもあのセージが負けるはずが無いと思ってる。迎えに行くか待つかにしても、先にフラニーやレナと合流するのが先だわ」
「馬できてるんだろっ! だったら待ってたって時間の問題だろうがっ」
あくまでも譲らない褐色肌の娘に、生人形が真顔で緑色のガラスの瞳を妖しく輝かせて抑揚のない声で言った。
「いい加減になさって下さい。貴女が狙われる理由は不明ですが、貴女が拐かされたと聞いた時のセージ様の怒り様を見せて差し上げたいです。それほど愛され、心配される貴女がまた何れかの脅威に晒されるのを是とするならば、申し訳ありませんが貴女を見捨てます」
「なんだって!?」
ジェリスニーアの声がさらに低く冷たくなる。
「セージ様を愛しているのが貴女だけだと誤解なさらぬよう。貴女が居なくなってセージ様が嘆き悲しむならば私がその傍に立ち、慈しみます。我がマスターの愛情を受けている事に、高を括らないで頂けますか。とても不愉快です」
「人形風情が、愛だなんだとぬかすな! 知りもしないだろうが!」
苛立ちを募らせるアニアスの首筋に、ラーラしたたかに噛み付いた。
「痛っ!?」
驚いて身体をのけ反らせるアニアス。
すぐに噛むのを止めると、ラーラは今度は翼一杯で彼女を抱きしめる。
「妻の私が我慢しているのに、どうしてアナタが我慢出来ないのっ。私の辛さが分かるっ?」
その場に足を止めて成り行きをじっと待つ黒毛の大馬の背中で、不安に耐えるように唇を噛んでいたアニアスだが、包み込んでくれているラーラの翼がわずかに怯えるように震えているのを察して俯いた。
「悪かったよ・・・。だけど、もしかしたらとっくに倒して帰りに向かってるかもしれないだろ」
「だとしたら、尚更レナ様達と合流して迎えに行くべきです。敵の目的も数も不明なのですから、大事に大事を取って然るべきです」
ジェリスニーアは言い放って冷たいガラスの目でアニアスの琥珀色の瞳をまっすぐに見つめた。
アニアスは観念したように小さくため息を吐くと、手綱を振るって再び馬を走らせる。
金髪褐色肌の娘とハーピーの娘を乗せた黒毛の大馬は力強く街道を駆けて、それに併走するように生人形もまた疾走した。
「ママー!」
「まーまー」
「ママ達だー!」
ビーニ、チェータ、アルアが超視力で遠方に黒毛の大馬を見つけると、その背に跨るアニアスとラーラを認めて翼を万歳させて歓喜する。
レナとフラニーはじっと目を凝らすが、街道の遥か遠くに馬らしき影がポツンと見えるだけだ。
「ほんと、あんたたちハーピーって目が良いわねー」
フラニーが感心したようにため息を吐く。
「えー。マジで? ぜんっぜん見えないんですけど」
レナが不服そうに魔法の本を展開すると、ひょっこりとチェータが上体を起こして顔の上半分を魔法の本から覗かせて笑う。
「あはははは。きらきらふわふわ〜。あはははは」
「こ、こらーっ! チェータ、レーダーが見えないでしょうが! 頭下げなって!」
「んんー? んんんー??」魔法の本をすり抜けて顔半分を覗かせたまま、左右の景色を見て楽しげに微笑む「あはははは、きらきらー。あはははは」
「もうー! ほんっとうに悪戯好きが!」
諦めてレナが魔法の本を閉じると、チェータは興奮して馬上から舞い上がる。
バタバタとレナの周りを飛翔して遊びだすと、つられてビーニもレナの後ろから飛び立ってはしゃぎ出した。
「コラー! 馬にもどんなさいっ! まだ安全ってわけじゃ無いんだかんね!」
「キュー、キョロロロ!」
「チチー、ヂヂヂヂ!」
すっかり安心してしまってかふわふわと飛んで遊ぶビーニとチェータ。
フラニーも注意しようと口を開いた時、彼女の前に座す長女のアルアが思いの外厳しい口調で叱るように言った。
「ビーニ、チェータ、遊ぶのはメーッ! おとうちゃんまだ帰って来てないのに! ママに言いつけるよっ!?」
「真面目っ子アルアー!」
「一人だけいいかっこしいー!」
ビーニとチェータがくるくると旋回しながら反抗していると、フラニーがより厳しい口調で怒鳴った。
「アンタ達、いい加減にしなさい!! お姉ちゃん達の言う事が聞けないのっ!?」
エルフ娘の凛とした怒鳴り声を聞いて、ビーニとチェータは慌ててレナの前後、元いた位置に収まるとピタリと鳴きやんでまっすぐ地平の彼方を見つめて動かなくなった。
二人共泣きそうな顔で堪えてしばらくすると、非常に弱々しい声でポツンと言った。
「ゴメンなさい・・・」
「ゴメンなさいー・・・」
「「ゴメンなさいみみながー・・・」」
子供達がフラニーを頑なにお姉ちゃんと呼べない理由が怖いからだと、初めて思い知らされた一瞬だった。




