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柏木の地

 助手席に座った僕は、隣で話し続けるおじさんに相槌を打ちつつ、ぼーっと流れていく景色を見ていた。

 少し駅前から離れるとすぐに田畑や山ばかりの田舎の景色に変わっていく。高いビルなど存在しないここから見える空は、とても綺麗で澄んでいて、どこまでも遠くまで続きているような気さえしてくる。


 思えば、本当に遠くまで来たものだ。


 何故俺はここに来ることになったのか。

 流れていく景色と共に、少し時を遡る。


 ○


 瞼を開くと、見慣れた天井が広がっていた。

 そりゃそうだ。


 ベッドの脇に置いた目覚まし時計のスイッチを切る。時間を見ると、まだ鳴っていないようだ。

 起き上がって伸びをすると、カーテンを開け日光を部屋に採り入れる。

 眩しさに少し目を細めるが、だんだんと慣れてきて頭も冴えてくる。


 部屋内を舞う塵がキラキラと光る。

 窓の外には、朝を迎えた住宅街。目覚めた人達がちらちらと見える。

 気温はそこまで高くなく爽やかな朝だ。うだるような暑さが朝から続いている最近では珍しい。


 リビングに降りていくと、昨日は俺が眠ってしまってから帰ってきた親父がコーヒーを片手に新聞を読んでいた。


「おはよう、父さん」


「……ああ」


 あれ……?

 俺の親父は挨拶の大切さをいつも俺に説いてきた人だった。朝の挨拶もいつも返してくるのに、今日は何故か返ってこない。


 何か……あったのだろうか?


「父さん、どうしたの? 挨拶返さないなんて珍しいね」


 親父は静かに新聞を置き、大きく息を吐いた。

 なにか、重い荷物を背負っているような重々しい息。


「……実はな、来月海外の支社に1ヶ月間出張する事になった」


「1ヶ月……? 長いね、今回」


 親父は仕事柄、出張は多い方だ。でも、大体長くて1週間とかそこらなので、こんなに長いのは本当に珍しい。


「ああ、新しく支社が出来るんだ。そのために駆り出された」


「なるほど……」


 でも、1ヶ月か。夏休みの間ずっと1人という事だ。

 俺はバイトをしていなければ部活にも所属していないし、そもそもそんな長い間1人で暮らせるだろうか。


「そこで、だ。柏木のおじさんに連絡して、1ヶ月の間預かってもらうことになった」


「柏木って……確か小さい頃住んでたところだよね?」


「ああ」


 答える親父の表情はどこか影が差している。

 それもそうだろう。


 柏木で、俺達は母さんを亡くしたんだ。


 そのせいなのか、俺は柏木で暮らしていた時のことをほとんど覚えていない。


 時折親父は墓参りに行っているようだが、俺はその場所を知らないし、行ったことも無い。気がついたらそのまま長い年月がたってしまっていた。

 行ってみたい気持ちもある。でも、そこには触れては行けないような気がして、俺は今まで何も言わずにいた。


「……もう高校生だ。行ってくるといい、母さんのところに」


「……うん」


 静寂の流れる部屋に、鳴き始めたアブラゼミのけたたましい声が、虚しく響いていた。


 〇


 セミは地域によって種類が変化するらしい。

 都会ではあまり聞き馴染みのない、ミーンミーンという声があちらこちらから聞こえてくる。


 目の前にそびえ立つ、門。


「……でっか……」


 身の丈よりも遥かに高い門があり、車の中から遠目で見ただけだが、家の敷地もかなりの広さがあるようだ。


「いやいや、こんくらい普通普通!」


 おじさんの表情は特に変化がなく、本当に普通だと思っていることが伺える。


「この辺の昔から代々農家やっとる家はみんなこんなもんやで」


「そ、そんなもんですか……」


 俺の知らない世界が、垣間見えた気がした。


 門を潜り、和風の庭園を抜ける。灯篭や池まである、とても本格的な庭園だ。

 脚立を立てて、松の葉の手入れをしている作業着のお兄さんもいる。庭師さんなのだろうか、会釈をすると笑顔で返してくれた。


 引き戸を開けると、まるで旅番組で見る老舗旅館のような雰囲気の、木の温かみと歴史を感じる空間が広がっていた。

 差し込んでくる陽の光から天井のシミ1つまで、あらゆるところに時代の息遣いが見えるような、そんな感覚に捕われる。


「ほれ、こっちだ。ちゃんとついてこねぇと迷うぞ?」


「あっ、はい!」


 思わず圧倒されていて、ぼーっとしてしまっていた。

 慌てて靴を脱ぎ、カバンを持って上がる。


 長い廊下を歩いていき、ちょうど玄関の反対側位のところにくると、おじさんはそこにある襖を開けた。


 中は6畳ほどの広さの部屋になっていて、中央には机と座布団。部屋の隅には和紙で出来ている照明が置いてある。


「今日から1ヶ月間、裕太の部屋はここだ。そこの押し入れにふとんしまってあるから、寝る時はそいつ使ってくれ」


「はい」


 とりあえず、カバンを部屋の奥に置き、日用品や着替えの類を出していく。


「おお、そうだそうだ」


 俺が部屋に入っていくのを見届けてどこかに行っていたおじさんが急に戻ってきて尋ねる。


「裕太、温泉好きか?」


「ええ……好きですが……」


「ここから少し歩いたところに共同浴場があるんだ。住民はタダで入れっから、そっち行ってみるか?」


 この辺りの地域は、神社の参道沿いに宿が並ぶ宿場町だったらしい。今でも、神社とその温泉街は観光スポットとしてそれなりに栄えているみたいだ。


 温泉……遠出することがほとんどなかった俺は、温泉に入ったことがほとんど無い。


 是非、行ってみたい。


「行きたいです!」


 この時の俺の表情は、きっとこの数時間で1番輝いていたことだろう。

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