18.ルート選択:【悪魔との契約】
時を遡ること数時間前。
僕は9673プロダクションの出入り口に立っていた。
とある人物と、遭遇するために。
気付けば、僕の隣には黒い影のようなものが現れた――愛果だ。
「待ってたよぉ、お兄ちゃん♥」
「少し賭けだったんだけどな。まさか本当に会えるなんて思わなかった。ライブの練習は大丈夫なのか?」
「私は天才だからねぇ。もっとも、お姉ちゃんはそうじゃないみたいだけど、ふふふ……」
相も変わらず、子供らしからぬ深みのある笑みを浮かべるものだ。
油断したら、一瞬で沈んでしまいそうなくらいに。
「愛果、僕を黒波墨汁に会わせてくれ」
「私のプロデューサーになってくれるのぉ?」
「ああ」
「やったぁ♥」
「ただし、僕が賭けに負けたらの話だ」
「へぇー、一体どんなゲームをするわけぇ?」
愛果が益々笑みを深め、僕との距離を詰めてきた。
だが彼女の目は、これまでに無いほど真剣だった。
「結香がライブで愛果と同等、いやそれ以上のパフォーマンスをすれば僕の勝ち。負ければ、愛果の勝ちだ」
それを聞いて、愛果はクスクスと笑い出す。
「お兄ちゃん、正気? お兄ちゃんが景品なら、私、本気になっちゃうよ♥」
「悪魔と契約するのはこれで二度目だ。もう慣れたさ」
「お兄ちゃんはデビルサマナーか、なにかなの? それなら私、お兄ちゃんの悪魔になりたいなぁ♥」
「生憎、僕はペルソナシリーズ派なんだよ」
「あはっ♥ なら益々、私たちのプロデューサーにピッタリだね。愚者なお兄ちゃん♥」
「雑談は終わりだ。この話、乗るか乗らないか、はっきりしろ」
「勿論いいよぉ♥ ただし、私が勝ったら、お兄ちゃんは私の物になってもらうから。誰にも触れさせないし、誰にも渡さない。だから、覚悟してね」
「負けたらな――でも、僕らが勝つ」
「ふふふっ……本当にお兄ちゃんは、パパにそっくりだよ」
「あんな糞野郎と一緒にするな」
「それじゃあ、行こうかお兄ちゃん。パパの元までねぇ……」
愛果に連れられて、彼女と共にエレベーターに乗って、黒波墨汁のいる最上階を目指す。
僕が部外者でなくなるために。
◇◇◇
「負け犬が、一体何の用だ」
黒波墨汁は入ってきた僕に目もくれず、椅子に座り、机で何か仕事をしていた。
愛果はもうここにはいない。
それこそ最上階に着いた途端、気がつけば姿を消していた。
ただ、エレベーターを降りる瞬間、微かな小声が聞こえてきた気がした。
『私を楽しませてね、お兄ちゃん♥』、と。
あの子の事だ。もしかしたら、今のこの様子もどこかから見ているかもしれない。
なら存分に見ていろ、これから僕がする決死の交渉をな――!
「迷子になったのなら、今すぐ警備員を呼んでやろう。今夜は牢屋でゆっくり一晩を過ごせ」
「取引しに来ました。あなたの好きなビジネスの話です」
「ほう、最近のゴミは話し相手にまでなるのか、知らなかった。最近の情報も確認せんとな」
「結香の実力を、最大限にまで引き出す方法があります」
黒波墨汁の手が止まった。
そのまま静かな動作で、顔を上げる。
椅子の肘置きに腕を乗せて、指の上に顔を乗せて、息を吐いた。
「なら話してしてみろ。三分以内に俺を納得させなければ、その企画は没だ。では始めろ、お前のその案とやらをな」
「ライブ直前まで、僕を結香の傍にいさせてください」
「ちゃんと説明しなければ時間の無駄だと、前にも言ったはずだ」
「ライブまで僕が結香の側にいて、全力で彼女をサポートします。そうすれば、結香の黒台風状態もある程度は制御ができます。そうすれば、きっと今以上の成果を発揮出来るはずです」
「はずだと? プレゼンにそんな曖昧な言葉は使うな。しっかりとした根拠を述べろ」
「根拠ならあります。僕はこれまでに、何度も結香の黒台風に遭遇してきました。だから分かるんですよ。黒台風状態の彼女のことが」
「下らん返答だな。それで俺が納得するとでも思ったか?」
「あなたにとっても悪い話じゃないと思いますよ。今の結香は確かに、黒台風の影響で一時的にパワーアップしています。しかし、効率的じゃありません。ただデタラメに力を消費しているだけです。僕なら、それを一点集中でトレーニングに生かすことができる」
「仮にそうだとして、貴様を結香の近くに置いたとしよう。だが、それでもし貴様たちの下らん恋愛ごっこが再熱して、ライブが滅茶苦茶なった時はどうするつもりだ――!」
微かな怒気を含めた低音に、身がすくむ。
だが負けてなど、いられない。
綺羅星に道を作ってもらった。
硝子さんに助けてもらった。
だから、ここで立ち止まる訳にはいかないんだよ……ッ!
「その時は、僕をこき使ってもらって構いません。それこそゴミのようにどれだけでもね。そう、愛果と契約しましたから」
「……なるほどな。ここまで来れた理由がようやく理解できた。だが貴様、理解しているのか? あの娘と取引するのが、どういうことなのか」
その口調はとても、自分の娘に向けるようなものでなない口調だった。
まるで危険な人物でも語るかのような口調で、黒波墨汁は僕を諭す。
「ヤツの母親もそうだったが、あれは迂闊に関わっていいような人種の人間ではない。はまれば二度とは戻れない。底のみえない沼、いやブラックホールとすら言ってもいい存在だ。いくら愚か者の貴様とて、それくらい危険な賭けだと理解できるはず。なのに何故そこまでのリスクを取る。たかが一つの恋愛ごときのために、全くもって理解できん」
黒波墨汁は僕に何かを問いかけるようだった。
どの言葉が正解なんてことは分からないけど、僕は――僕の想いを口にする。
「僕は別に、結香の恋人なんかじゃありませんよ。僕は結香のアプローチをこれまでに散々断ってきましたからね」
「よし、なら東京湾に沈めてやる」
「ちょっ!? 最後まで聞いてくださいよ! 僕はこれまで結香と散々一緒に過ごしてきました。最初こそ、正直迷惑だと思いましたよ、僕は他人の為に時間を消費するのが嫌ですからね」
「それは正しい。他人の為に自らの人生を削るなど、愚か者のすることだ」
「でも今回、結香のいなくなった日々を過ごして分かったんです。僕は結香と一緒にいる時間が好きなんです。あの日々を知ってしまったら、もう誰にも渡したくない。手放したくなんかない。だから、僕はあの日々を取り戻すためだったら、なんでもしますよ。例えどんな危険な賭けをしようとも」
「――ふん。それがお前の考えてきた案か」
「互いにとって、メリットのある話だったでしょ? どうですか、僕のプレゼンは? 中々、説得力があったんじゃないですか?」
「貴様のはプレゼンでも何でも無い、ただの下らん青臭いポエムだ。評価する価値もない。だが、」
黒波墨汁は一枚の紙を取り出して、机の上に置いた。
「どんな下らん話の中にも、一滴程度の価値ある情報が含まれている場合がある」
黒波墨汁は椅子に座ったまま、ペンを宙に放り投げ、僕はそれを手でキャッチした。
「――失敗は許さん。もしライブで損害が出れば、全額お前に請求しキッチリ払ってもらう」
黒波墨汁が出した紙の正体は、契約書だった。
「未成年から金銭を巻き上げるのは、法律的に不味いんじゃないですか?」
「安心しろ、請求は貴様が二十歳になってからだ。それまでこの紙はしっかりと保管しておいてやる。さぁ、どうする――?」
「そんなの決まってます。僕は結香と一緒にいたいですから」
机に置かれた契約書にサインをした瞬間、僕は部外者ではなくなった。
僕はこれでようやく、この物語の関係者となった。スタート地点に立った。
結香を取り巻く家族の物語の一員として――この物語をハッピーエンドにするために。
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