12.フラグ崩壊
「本当の、父親だって……?」
結香の発言に、僕は理解が追いつかなかった。
あの黒波墨汁が、結香の父親……?
あまりにも飛躍しすぎた接点に僕が呆然固まっていると、結香は静かに口を開く。
「前にも話したよね、私の両親は一度離婚してるって。あの人は……一番最初のお父さんなの……。私と血の繋がった、お父さんなの……」
ぽつりぽつりと、結香は言葉を出す。
その様は、罪を述べる罪人のようであり、酷く暗く、そして重苦しい。
「最初に名刺をもらったときはすごく驚いたよ。まさかもう一度、お父さんと会えるだなんて思ってなかったから……色々なことを聞きたかったし、色々なことを話したかった。だから私、七芽くんから名刺をもらってすぐに電話をかけたの。そしたら……電話の向こうにお父さんがいたんだぁ……っ」
結香は本当に嬉しそうに、そのことを思い返して、涙ながらに微笑む。
彼女の、その微笑みが自分に向けられたものではないと思うと、無性にやりきれない気持ちにかられた。
本当だったら、家族の再会を一緒に喜んでいてもいいはずなのに。どうしても心に次々と靄が生まれる。
「だからアイドルになったのか……? 父親と会うためだけに」
「端的に言えばそうだよ。だってこれが、お父さんと近づける唯一のチャンスだったから」
「でもそれなら暴走の理由はなんなんだよ! 父親には会えたはずだろ!?」
「ううん……実はお父さんとはまだ一度も会えてないの。テレビ電話で姿を見ただけ――それが今日だった」
「っ! さっきまで、黒波墨汁と話してたのか……?」
「うん……」
「でもそれならなんで……どうしてそんな暗い顔をしてるんだよ……?」
電話越しとはいえ、ようやく念願の父親と出会えたのに、どうしてそこまで暗く落ち込んでいるんだ。
そんなに会いたかったのに、どうしてそんなに苦しそうなんだよ。
僕の疑問に、結香は、本当に苦しそうに、喉から針でも吐き出すように、言葉を出す。
「私ね、実は足引っ張ってるんだよ……ダンスも上手くないし、歌もまだまだ素人の声で……本当に駄目駄目なんだよ……」
「はぁ……? でもライブの時はあんなに出来てたじゃないかよ……」
「あれじゃ駄目なんだよ……っ! 最初の、ましてや他の人たちもいた合同のライブだったからあれでよかった……でも今度は単独なんだよ? だからあれ以上のクオリティが必要なの……っ! あの子と並び立つには……あの子を越えるには……っ!」
「あの子……?」
いや、それが誰を指しているかなど考えるまでもない。
ペルソナキュートのメンバーは二人だけ。つまり――、
「愛果……をか?」
「!? なんで……七芽くんがあの子の名前を知ってるの……?」
「こないだ、結香の家から帰る時にたまたま出会ったんだよ……その時はまさか結香と一緒にアイドルをすることになるなんて思わなかったけどな……」
「もしかして、あの子……七芽くんまで……? それなら……尚更負けられないじゃない……っ!」
「ゆ、結香……?」
結香の纏う黒い感情が更に強くなったように感じた。
「七芽くん。あの子とはもう、関わらないほうがいいよ」
「どうしたんだよ、急に……? そんな怖い顔して……前はあんなに仲がいいって言ってたじゃないかよ……?」
「とにかくあの子は駄目……忠告はしたから……」
「待てよ結香! だから説明してくれなくちゃ分からないんだよ! 教えてくれよ、一体お前に何が起きてるんだよ!?」
「これに関しては……七芽くんにも話せないよ……。これは、私たち家族の問題だから」
「っ!?」
結香の目は初めて僕を認識した――明確な『拒絶』の瞳を、僕に向けてきた。
その鋭さはすさまじく、胸に刃物でも突き刺されたかのような衝撃に襲われ、動けなくなる。
頭の中の思考が全てと飛び、意味も無く消えていく。
今唯一出来たことは、口から思いついた単語を並べて出す。ただそれだけ。
「そ、それでも……僕にも出来ることくらいはあるだろ……?」
みっともなく震えて、まるで媚びるかのように纏わり付く耳障りな声。
それが自分がものだと気付いた時、激しい自己嫌悪に苛まれる。
そんなあまりにも惨めな僕に、結香は突然、笑みを浮かべた。
「ねぇ、七芽くん。七芽くんにとって、私ってなんなの?」
「へぇ……っ?」
あまりにも突発的な質問に、また間抜けな声をあげてしまい、嫌悪感は増す。
僕にとって結香とはなんなのか?
必死に考えようとするも、頭の中に見えるのは、広大な虚空。
暗く閉ざされて、まともな考え一つすら見えてこない。
でもここで何かを言わなくては、結香との接点を本当に失ってしまう。
そんな気持ちが先行し、気付けば僕は既に言葉らしき物を口走っていた。
「何って……友達……だろ? そうだよ、僕らは友達だろう! だから僕だって」
感情任せに僕は叫ぶ。
そう、僕らは友達だ。
だから助け会うのは当然のことなんだ。
関わるのは、当たり前なんだ。
そう自らに言いかけるように、僕は傲慢に叫ぶ。
それで結香に何かしらの気持ちが届くのなら、それだけでよかった。
僕の感情任せな言葉を、結香は大きな声で笑った。
「あはははっ! そうだよね、私たちは『友達』だもんね」
「そうだよ! だから――っ!」
「ならさぁ、ちゃんと応援してよ。友達なら」
「――――っ」
結香は笑っていた――が、目は全く笑っていない。
拒絶――軽蔑――嫌悪。
それら全てが入り乱れた瞳が、僕を見ていた。
それは好意を持っている相手に向けるものではない。
今の結香は、僕のことを完全に部外者、邪魔者として見ていた。
そして思い出したのだ――結香の仮面を。
いつもの僕が好きだと言ってくれる結香の姿が、僕を堕とすためだけに作られた仮初めの姿であることを。偽りの姿であることを。
なら、その仮面を付ける必要がなくなった時、その下に現れる素顔はどんなものかを僕は本当の意味で知らなかったんだ。
怪物である彼女の姿を……。
「やめろ……やめてくれよ……僕をそんな目で見ないでくれよ……っ」
「ははっ……怖い、七芽くん? 今の私が怖い?」
「はぁ……っ!?」
結香は僕の顔に何を見たのか、再び認識していないような瞳に戻った気がした。
精気がなく、どこか諦めきったような、そんな何も感じさせない暗黒の瞳になっていた。
「……ねぇ、七芽くん。私たち、もうお互いに会わない方がいいよ」
「何……言ってるんだよ……? 結香は僕に課金して、僕を堕とすんじゃなかったのかよ……?」
やめろ……そんなこと言わないでくれよ……。
「もちろん七芽くんへの恩は忘れないし、これからも何かあれば助けになるよ。でも今は出来るだけ、お父さんの役に立ちたいんだぁ」
「自分の身体を壊してまで、そこまで自分を捨てた父親が大事なのかよ!?」
「大事だよっ! 当たり前じゃない! 私にとってはあの人もお父さんなの! だから少しでも役に立ちたいの! なんで分かってくれないの!?」
「分かってたまるかよ! それで結香が壊れたら、元も子もないじゃないかよ!」
「っ! やっぱりもう駄目だよ、私たち……。もう……無理……これでお別れしようよ……別にいいでしょ……私たちはただの友達なんだからさ……」
「ゆ……か……っ」
「さようなら……私の七芽くん」
結香は、家の中に消えていったが、今の僕にそれを引き留める気力など残ってはいなかった。
ただ感じられたのは、虚無感と喪失感。
それらを胸に、僕は夜の暗闇の中へと放り出されたのだった。
◇◇◇
何度目か聞くアラーム音で目を開ける。
枕元に置いた携帯を見ると、既にお昼を過ぎて十三時を回ってた。
……流石に起きるか。
泥の中から這い出るかのように、重たい身体をベッドから転がして、そのまま床に無残な格好で転げ落ちる。
そこから立ち上がることなく、ただ無意味に自室の白い天上を見つめた。
結香に拒絶された夜から既に二日が経過していた。
あの日以降、見るもの全てが灰色に染まったような感じる。
何をしても楽しめず。
何を見てもときめかず。
何を食べても味を感じず。
何を思っても下らないと感じてしまう。
あんなにもやりこんでいた『スターダスト☆クライシス』も、ここ丸二日はログインすらしていない。
唯々時間が過ぎ去るのを待つように、部屋の中でぼーと過ごす。
そんな人生の時間の壮大な無駄遣い。
普段だったら、こんな無駄な時間の消費に焦るが、今は正直どうでもよかった。
どんな考えもどうでもよかった。
ただ何もしたくなかった。
何もやる気が起きず、ただ外の飛行機雲でも眺めるような毎日。
それが今の僕の日常だった。
なんでこうなってしまったのだろう。
何を間違えて、こうなってしまったんだろう。
そんな言葉の思考の繰り返し。
僕は結香に拒絶された。
僕と結香はただの友達だし、それだけの関係だ。
それが解消されただけなのに……どうしてなんだろう……。
どうしてここまで何もかも灰色に見えてしまうのだろうか。それが分からなかった。
分からない――いや、本当に分かっていないのか? 僕は?
あの晩、結香のあの質問に、僕はどう答えればよかったのだろうか。
僕にとって――結香とは一体何なんだ?
ピンポーン。
「!」
チャイムの音に、身体が跳ねる。
「まさか……っ」
僕は急いで階段を駆け下りて、玄関を目指す。
だってこの状況は、あの時と同じだったから。
僕が悶々とした日々を送っている時に、突然結香が僕の家に来た日に
初めて結香が僕の家に来た日と、同じだったから。
だから期待したんだ。
もしかしたら……結香がまた来てくれたのではないのかと。
「待っててくれ……! 行かないでくれ……っ! 痛っ!」
音を立てて転げ落ちる。
急ぎすぎて足を捻ったが、気にするものか。
直ぐに立ち上がって玄関のドアノブを掴み、鍵を開けた。
扉を開けると同時に差し込む、真夏の日差し。その光をバックに、一人の女性の影が立っていた。
そこにいたのは――、
「あんた……どうしたのよ、その酷い顔は……? 一体何があったのよ……?」
「綺羅……星……っ?」
いつもの鋭く尖った目つきを、珍しく丸くした私服姿の綺羅星が、僕の前に立っていた。
暗い展開が続きますが、ちゃんとハッピーエンドですので、もう少しだけ我慢していただければ幸いです。
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